*2000年10月15日のメッセージ*
励まし (フィリピ1:3 -11) 永原眞理

A ローマの信徒への手紙 8:26-28 より

1) 「失敗した!」と思うときも神様は共にいてくださる

2) 背中を押してくださる神様

B ヨハネ 14:27 より

1) 他の誰よりも神様はあなたを愛し励ましている

C  ヨハネ 16:33より

1) どんな状況にいても励まし、励まされる私たち

D ヘブライ人への手紙 10:23-25より

1) 神様の約束は変わらない

2) 神様はあなたを忘れない

*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

10/16(月) ローマの信徒への手紙8:26-28

 イエス様を信じてすぐの頃、信仰の確信がないままバックスライドしていた時期がありました。当時、仕事を探していて、やっとひとつ採用が決まった場所は私の望んでいる条件とはかけ離れていました。通勤に2時間近くかかり、就業時間も毎晩遅く、他にも困難がありました。でも、別の仕事は見つかりませんでした。不平不満を抱きつつ働き始めたところ、その職場でカナダ人のクリスチャンに出会いました。彼女はなんと私が救われたカナダの教会の牧師を知っていたのです!次の日曜日、彼女が行っている教会に一緒に行きました。その日は遠方へ転勤の決まっていた彼女の最後の日曜でした。 後でわかったことですが、困難に思えた職場は、実は神さまによって導かれた場所だったのです。偶然では起こり得ないことを起こして下さった神さまの臨在と愛に触れられ、私は主の元に戻りました。すべてのことを働かせて益としてくださる神さまに感謝します。

10/17(火) ヨハネによる福音書16:33

 私達はクリスチャンになったからといって全ての問題が解決するとか無くなるわけではありません。それは皆、身を持って知っているわけですし、またこの箇所にも「あなたがたには世で苦難がある」と書かれています。それだけだと落ち込んでしまいそうですが、その後にイエス様は「しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」とおっしゃったのです。そこに私達は希望を置くことができるし、平安を得るのです。ただし、イエス様が本当の意味でだれであるのか、また主が勝ったとされている世が何なのか、分かっていないと力がありません。そして勝つと言うことは、私達も戦いの中にいることも理解しなくてはならないのです。全てここで書き尽くせませんが、イエス様の力の偉大さと恵みの大きさを知ることと、主が勝ったのはサタンの支配下にあるこの世であることを認識することです。エフェソ6:12「私達の戦いは・・・天にいる悪の諸霊を相手にするもの」と書かれているように、相手は私達の周りの人間ではないのです。
何より励まされるのは、私達の戦いはすでに主が勝っているので、勝負は決まっているのです。どんなに辛くても勝利は主と私達にあるのです。これ以上の励ましがあるでしょうか。この意味が知識で終わらずに、私達の心の奥深くまで刻まれることを主にお祈りします。

10/18(水) ヨハネによる福音書14:27

 「平和」という言葉を辞書でひいてみると、「戦争・災害・もめごとがなく不安を感じないで生活できる状態」とあります。戦争や災害などがないことが前提で、この状況であって初めて与えられるものなのです。これが一般的な平和で27節にある世が与える平和です。しかしイエス様は世が与えるような平和は与えないと言っています。イエス様が与える平和とは戦いの中であっても災害のを被っても、状況がどのようであれ得られるのです。状況が悪い中で平和を感じるのは難しいものですが、イエス様に祈り、語りかけに耳を澄ますなら、悪い状況が大きな計画の中のほんの一部分であり、本当に必要で良いものを与えてくれるためにそれがあることが分かります。「心を騒がせず、おびえず」にいたいと思います。イエス様のこの言葉を保証しているのは私達に対する彼の深く大きな愛なのです。

10/19(木) フィリピの信徒への手紙1:3-11

 パウロのこの祈りは、私たちがお互いのために祈るとき良い模範となるものです。私たちは皆人生においてそれぞれ違う悩みや問題がありますが、お互いを理解し合うことができます。なぜなら私たちの答えの全ては同じところ、つまりイエス様から与えられるからです。自分に与えられた神さまからの答えによって他の人を励ますことができます。また、反対に自分が困難な状況にあるときには、他の人が神さまからいただいた答えによって励ましてくれます。私たちは皆、同じ道を歩み、同じゴールへと向かっているのです。

10/20(金) ヘブライ人への手紙10:23-25 

 約束された身分とその特権という風に自分のことを考えたことがありますか?聖書はイエス様の血によって永遠の命に与る者、神の国に属する者という身分がすでに信じる者に与えられていることを教えています。でも信じた人でもいとも簡単にその特権を捨ててしまう人がいるのです。アメリカはその人が他の国籍を持っていても、正当な権利がある人にはそのままで市民権を与えますが、日本はその国籍を合法的に保つためには他の国籍を捨てることを要求します。私たちがこの世界にいても神様は神の国の特権を与えつづけていてくれますが、この世の力はいつも私たちに天の国籍を捨てるように働くものなのです。神様に希望・信頼を託すこと、愛と善行に励むこと、共に集まって励ましあうことはいずれもこの世の常識にはそぐわないものです。だからこそ私たちはこの特権を失わないよう交わりを保ちともに礼拝をささげることを生活の最優先におくのです。

10/21(土) ヨハネによる福音書13:1 

「・・・この上なく愛しぬかれた(または、最後まで愛された)。」この言葉はいつも私の心を深く貫きます。
イエス様がご自分の死を目前にしてなおどんなに弟子たちを愛されたかを知るとき、もう一度心が励まされ立ち上がることができます。
情熱がいっぱいあっても冷めやすく、短気で弱くて文句が多い・・・弟子たちの姿は私自身そのものです。でもそんな私を丸ごと愛し、しかもどんな時も変わらずに最後まで愛してくださる方、それがイエス様です。大声で「ありがとう!!!」と、叫びたい気持ちがします。
 この愛に応えたいと思います。愛されている喜びを愛する力へと循環させて、家族や友人、出会えた一人一人を愛し励まして生きたいと願います。