********11月12日メッセージの梗概*********

私(ユアチャーチ)は出てゆき、必要を満たす(使徒言行録9:32-43)

A 求められているわたしたちの姿勢

1)必要を見出し満たす、癒す(32-33、マタイ10:5-14)

ペテロは地方にある教会をはげます働きをはじめた。自分のところに人を招くのではなく自分のほうが出て行くのがイエス様を伝える基本。ペテロは出て行って人々のニーズに出会った。それは私たちにも求められている、クリスチャンのライフスタイルです

2)神の国の権威(生と死を超える権威)を帯びて(34-37、列王記上17:4-17-24、ローマ8:1-10)

いやしがイエス様の権威によってなされることがここで分かる。しかしその権威を用いるのは私たちです。ここではペテロはゆっくり祈っていたのではなく「起きなさい」と命じました。いやしのミニストリーに細かい手順のようなものはありません。ただ彼は主にしたがって行い、人々はそこに神様の臨在を強く印象付けられ信じました。私たちが神様から預かっているのは「死」に打ち勝つ権威と力です。何でこんなにいい人が早く死ななければならないのだろうか?こんな疑問が浮かぶような「死」を看取ることがあります。しかしそれは永遠の命を信じるものにとっては解決済みの疑問のはずです。クリスチャンにとって納得できない死はありません。

B しるし、不思議、奇跡をどう考えるか

1)切実な期待に応えるために必要 (38-39、マタイ9:18-19)

彼らはペテロのいやしの業の評判を聞いており、死者も生き返るのではないかと期待しました。彼女の存在はその周りにいた人々にとってまだまだ必要な人でした。祈ってほしい、助けてほしいという声に応えられるように、大胆に主に求めましょう

2)見世物ではない(40-41、マタイ9:23-26)

ペテロが他の人たちを部屋から出したのは、静かな環境で主に祈り聞くためでした。祈りなすべきことはっきり知って、それからタビタに命じました。祈りの内に主が奇跡を起こされることを確信したからです。見せること、誇ることを考え始める時、ミニストリーは堕落し始めます。

3)奇跡がなくても教会は生き延びるが、愛がなければ教会は死ぬ(42-43、マタイ11:1-6)

肉体的に死んだ体がよみがえる、いくらこの時代の人であってもそれは信じられないことでした。神様は信じるものを通してこのような奇跡をあらわされました。それはイエス様ご自身もなさったことですが、それほど頻繁になされた奇跡ではありません。奇跡はその時にかなった神様のしるしです。教会はこのことをきっかけに発展しましたが、そこにはいつもきりストの愛が働いていたことを忘れるわけにはゆきません

*メッセージのポイント*
私はなぜクリスチャンになったのだろう?神様は私にどうあってほしい、何をしてほしいと願っておられるのだろうか?私たちはその答えをイエス様の地上の生涯から知ることができます。イエス様は人々の真の必要を満たすために来られました。しるし、不思議、奇跡を必要に応じて用いられましたが決してそれを売り物にはなさいませんでした。わたしたち(ユアチャーチ)はいつでも神様の奇跡を期待します。そして同時に愛することを怠りません。

*ミニチャーチのヒント*
1)「出て行って必要を見出し癒した」経験を分かち合って下さい
2)自分が(どこかの誰かの話ではなく)経験したしるし、不思議、奇跡について話し合ってみましょう
3)しるし、不思議、奇跡と「愛」はどう調和しますか?

*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

11/13(月) 使徒言行録9:32-33   マタイ10:5-14 
 イエス様は弟子たちを遣わす(送り出す)という方法で福音を広めました。ペテロは忠実にイエス様から学んだことを実践していきました。つまり、人を自分のところに集めるのではなく、自らが出向いていって神様の働きをしたのです。ペテロは行く先々で人々の必要に応じて祈りました。ここでは病の人が癒されたことによって、周りの人々が神のことを信じるという結果となってあらわれました。日本の教会はとかく内向きで閉鎖的になりがちですが、それはイエス様の意図したこととは正反対であることがわかります。ユアチャーチでは一人一人が教会の外にいる人にも目を向け、助けを必要としている人がいたら手を差し伸べて欲しいと願っています。そのことによって神様の愛が人々の心に伝わります。その方法やタイミングは神様に祈り求めることによって必ず与えられるはずです。た

11/14(火) 使徒言行録9:34-35  列王記上17:17-24
 癒すのは私たちではありません。イエス様が、私たちを用いて癒されるのです。それは、私たちが神様にあって自信をもち、人々が癒され救われるように願っておられる神様に100%信頼するときです。そして、癒された人が神様を個人的に知ることができるようになるためです。私たちのすべきことは、神様と親しい関係を持つことです。それによって、人の心が真理を受け入れるよう整えられていて時がかなっているかどうか識別することができます。私たちが祈る時、神様が働いておられることを感じたならば、私たちは大胆に信仰の一歩を踏みだして、神の癒しを宣言する必要があります。

11/15(水) 使徒言行録9:36-37  ローマ8:1-10  Mari 
あなたは誰かから、「あなたは神様を信じているのでしょう?本当に神様がいるのならなぜあの人はこんなひどい目に会わなければいけないの?何でこんなにいい人が早く死ななければならないの?」と聞かれたことはありませんか?同じような疑問が浮かぶような「死」を看取ることはよくあります。あなたは答えに困ったことはありませんか?でも忘れてはならないことがあります。ある人々は無念の内にしてとか、恨みを抱いて最後の時を迎えますが、私たちはどんな死を迎えようが、そこに痛みや苦しみがあったとしてもステパノのように赦しと憐れみを抱いた安らかな死を迎えることのできる特権を与えられているのです。しかしそれは永遠の命を信じるものにとっては解決済みの疑問のはずです。クリスチャンにとっては生も死も神様のみ手にあることとして受け入れることができます。わたしたちはこう答える事ができます。「人は自分の死期も死に方も選ぶことはできないけれど、その死に打ち勝つことのできる永遠の命を得ることはできる」のだと。

11/16(木) 使徒言行録9:38-39 マタイ9:18-19  Andy
イエス様にはできないことはない。きっと死んだ愛する者をよみがえらさせて下さるに違いない。必死な思いとイエス様に対する信仰が彼らをイエス様の元に走らせました。彼らはペテロのいやしの業の評判を聞いており、死者も生き返るのではないかと期待したのです。彼女の存在はその周りにいた人々にとってまだまだ必要な人でした。私は死者のよみがえりのために何度か祈ったことがありますが、そのような奇跡は起こりませんでした。でもそれは失敗ではないと思っています。ただ神様のタイミングはわたしたちの願いとは異なっていたということに過ぎません。だから失敗とは思いませんし、必要があればいつでもそのような祈りを喜んでしたいと思っています。主は恵みによって癒されたり生き返らせたりなさいますが、もし主が定められた時ならそれを受け入れる力も主が与えてくださるのです。

11/17(金) 使徒言行録9:40-41  マタイ9:23-26  Eiji
 ペテロが他の人を部屋から出したのは、静かな環境で主の声を聞くためでした。そして遺体に向かって「起きなさい」と言うことを主から受け取って実行しました。マタイの9:23-26ではイエス様が同じように群衆を外に出してから祈っていますが、この点でペテロとイエス様の祈りの方法は一致しています。私達は新約聖書を読むことでイエス様の行いを倣うことが可能です。しかしペテロの場合は主の御心を懸命に求め行動した結果がイエス様と同じ方法をとることに至りました。イエス様の似姿に近づくことは私達の目標です。そのために実際にイエス様の行いに倣うこと、主に直接聞くことが大切であることが分かります。

11/18(土) 使徒言行録9:42-43  マタイ11:1-6  Maki
肉体的に死んだ体がよみがえったら、きっとたくさんの人々がイエス様を信じるだろうなと想像します。でもそれはやはり神様の主権であり、いつどこでこの奇跡を行われるかは誰も知りません。ただはっきりしているのは、神様がご自身又は人を通してこのような奇跡を行うのは、愛と情けが他ならぬ動機だと言うことです。聖書のこの箇所でこの奇跡が現されたのは、きっと死と直面するほどの迫害を受けている人々への励ましだったのではないかと思います。そして沢山の人々が信じ、教会はこのことをきっかけに発展していったのです。それでは、いまの時代でもひどい迫害を受けている人々の間でこの奇跡は現されているかというと、それは分かりません。上にも書いたようにあくまでも神様の主権なのでフォーミュラ(方式)は無いのです。奇跡はその時にかなった神様の愛のしるしです。私達の出来ることは、この素晴らしい業に期待を持って出ていくことです。期待の無いところでは全てが難しいと思います。