*2000年12月3日のメッセージ*
一歩踏み出す力(使徒言行録10:1-43)
A 一歩踏み出す信仰
1) 神様の計画を聞き,行動に移す(1-8、ルカ19:30-35)
2) 自分の考えの枠を主に願い広げていただく(9-16、ローマ10:8-13)
3) 出会いを生かす(17-23、イザヤ55:8-13)
4) 非難や攻撃に耐える熱心(24-33、エフェソ3:10-13)
5) 信じていることへの確信(34-43、エフェソ2:14-22)
B 聖霊に満たされるということ(44-48、1:3-5)
1) 神の言葉を聞く熱心さ
2)賜物が注がれる
3)聖霊の注ぎは宣教が文化の壁を越えて進んでゆく力
*メッセージのポイント*
主のあなたに対する願いと期待に応えるために必要なことは、あなたが主に信頼して一歩を踏み出すこと。聖霊の助けを求めることことです。一人で、家族で、ミニチャーチで自分たちのそして教会が主の期待に応えるものであるように祈り求めましょう。
*ミニチャーチのためのヒント*
1)あなたが信仰の歩みの中でターニングポイントとなったことについてシェアしてください
2)どのように聖霊に満たされることを願ったらよいのか話し合ってみましょう
*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―
ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。
12/4(月) 使徒言行録10:1-8 ルカ19:30-35
神さまが私たちの教会に対するビジョンや方向をどのように表されるのか、また、私たちの祈りにどのように応えられるのかは、決して前もって知ることはできません。神さまは時に、私たちが期待していないような方法や時を用いられるので、簡単に見逃してしまう可能性もあります。私たちの考え方や目に見えるものには限界があって、現在のことや手の届く身の回りの範囲のことに限定されます。神さまが特別に示されない限り、来週教会で何が起こるのかということさえ知ることはできません。私たちは、神さまがご計画に従って何かをして下さると常に期待し、信頼する必要があります。しかし、同時に覚えていなければならないことは、神さまは人を用いて事を成されるということです。私たち自身が神さまによって用いられるよう整えられている必要があります。
12/5 (火) 使徒言行録10:9-16 ローマ10:8-13
神様は、ユダヤ人以外のどの国の人たちにも福音を伝えることを願われ、まずペテロを用いようとされました。しかし、ユダヤの厳しい教えと文化の中に生まれ育ったペテロは、神様にチャレンジされます。夢をとおして、今までの考え方に固執していてはいけないことを示されたのです。そして、それを素直に受け止めたペテロは霊の目が開かれ、どんな人のことでも清くないとか、汚れていると言ってはいけないと悟るのです。それぞれの国に歴史や文化があり、それを尊重することは大切なことですが、人間の決めたルールや習慣の中には完全ではないものがいくつもあります。私たちの日常の中にも自分の考え方やものの見方を狭くしてしまっている何かがあるかもしれません。そのことが神様の愛を伝える妨げとなっているならば改める必要があります。もしそのようなものがあるならば、主がペテロに示してくださったように私たちにも示してくださるよう祈り求めましょう。
12/6(水) 使徒10:17-23、イザヤ55:8-13
朝、足早に通勤の人々が行き交う歩道の端っこに人が倒れていました。そばを通る人は気になってはいるのでしょうが、急いでいることもあり私が見る限りでは安否を確認するために近寄る人はいませんでした。こうゆう時はただの酔っぱらいだったらどうしようなどと考えてしまってたり、周囲の目が気になり声をかけて関わりをもつことに躊躇してしまいがちです。私も躊躇しているうちに一度は通り過ぎました。しかし良きサマリヤ人の話しが頭をよぎり、そしてイエス様に「人に無関心でいけない」と言われているような気がして、引き返して声をかけてみました。幸い意識があり怪我や病気ではなさそうなので、救急車の必要の無いことを確認して立ち去りました。もし声をかけず素通りしたら後悔していたと思います。頼りのない自分自身の判断だけでは過ぎ去る人となっていただろうことも、主が介在してくださったことにより自信を持ち行動にうつすことがました。主に耳を澄まし「自分がどうすべきか」求めることの大切さを再確認した経験です。
12/7 (木) 使徒言行録10:24-33 エフェソ3:10-13
神の言が今までに何の接触もなかった人を結びつけ新しい神の国の前進が始まります。去年のクリスマス、わたしたちはゴスペルクワイヤーを迎えてコンサートを企画しましたが、それはいろいろな意味で反省させられることの多いコンサートで、必ずしも満足のゆくものではありませんでした。けれどもここから始まった人のつながりが、今年のクワイヤー発足に結びつきました。今まで接点のなかった人々にイエス様を紹介するチャンスが増えたのです。そこには無駄になるかもしれない努力とまだ相手をよく知らない中での協力を必要としました。
12/8 (金) 使徒言行録10:34-43 エフェソ2:14-22
私達は理屈では神様が人を分けへだてなさらないと知っていますが、感覚のほうはなかなか追いつきません。イエス様とずっといっしょにいたペトロでさえここに書かれた現実を見て初めて自分のわくをこえることができました。わくをこえることは大切ですが同じように大切なのはそれが主を信じる信仰まで捨ててしまうことではないということです。ここに世代や文化をこえた宣教の難しさがあります。どこにしっかり根をおろし、どんな点では柔軟でいるべきなのか、その基準は聖書が教えてくれるとおもいます。
12/9(土) 使徒10:44-48、1:3-5
聖霊の働きというのは、実は私達クリスチャンにとっていちばん大切な物と言っていいと思います。私達が救われるとき、聖霊の力なしではあり得ないのです。自分の時もそうでしたが、最近、私の家族がイエス様を知ったときにまたまざまざとその力を見た思いをしました。そして私達が日々生きてゆくのに聖霊に満たされ続けることがライフラインになるのです。どうすれば満たされ続けられるかというのは、私達自身が熱心に求める以外にないのです。今週の学びでコルネリウスの祈りと熱心さが主に覚えられたとあるように、主はいつも私達の祈りと心のあり方を見ておられるのです。日本人の私達はこの「熱心さ」を行いと間違えやすいのですが、あくまでも心のあり方であるということです。何をするにも、ましてや特に主に仕える宣教など、この聖霊の助けなしではできないのです。まず熱心さを呼び起こす情熱を願い求めましょう・・・かならずや聖霊様が応えてくれます。