*2000年12月17日のメッセージ*

自分のこと好きですか?

自分だけを見ていると他人と比較して、自分が平凡に思えたり、欠点ばかり目についてしまう。しかし神様に目を向けることができると、その思いは小さくなり、このままの自分で良いと思えてくる。

1、主が私たちを造ったから  (イザヤ44:2)
  私たち自身の存在価値が見えてくる。

2、イエスさまが命を捨てるほどに私たちを愛している。(ヨハネ10:10ー15)
  私たちの全ては受け入れられている。

3、主と同じ姿に変えられている。(第二コリント3:18)
  私たちは憧れのイエスさまに似てきている。

ミニチャーチのためのヒント
1)劣等感抱いたときに主がどのように励ましてくれましたか。
2)どのようなひとになることを望んでいますか。

*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

12/18(月) イザヤ44:1-5 ヨハネ15:12-17
人の存在は神様の手による。誰一人偶然に生まれる人はいない。あなたの存在にも理由がある。

全ての人は自分の意志や親の意志で生まれてきたのではない。人の存在は神の手によるのであって誰一人として偶然に生まれてきた者はいない。私たち一人一人に存在の理由がある。神様の長い計画を担う一員である。具体的には互いに愛し合うというイエスさまからの命令を実践することによりその計画は遂行される。私達は「神様から頼りにされている」のでもっと自分に自信をもっていいと思う。自信があれば自分を好きになれる。

12/19(火) ヨハネ 10:10-15, 3:16-21
 神さまは私たち一人一人を愛してくださり、神さまからの良い贈り物を全て受け取って欲しいと願っておられます。神さまは、雇われた羊飼いのように自己中心的ではなく、また自分のことだけを考えてはいません。世の中には、自分のことを愛してくれているかのように見えた人が、危機がやって来たとたん、逃げ去ってしまうということもあります。世界中で自分のことを一番愛してくれる人を誰か一人思い浮かべてください。その人があなたを愛する以上に、もっと神さまはあなたのことを愛しているのです。神さまは兄弟よりも近くにいてくださり、何が起こったとしてもいつも一緒にいてくださると信頼できる方です。

12/20(水) Uコリント3:12-18 エレミヤ29:10-14
 自分を好きになることが時には難しいと感じることがあります。つい人と比べて、自分にないものや欠点ばかりに目がいってしまったり、人からの評価で傷つき落ち込んでしまったりすることはしょっちゅうです。もし、クリスチャンでなければ、そのようなことを基準に自分を省みてとてもみじめな気持ちで生きていかねばなりません。でも、神様は間違いや欠点のある私たちをありのままで受け入れ愛してくださっています。そして、一人一人に特別な計画を持っていてくださり、平安、希望を与えてくださると約束してくれています。また、キリストの大使として、まだイエス様のことを知らない人たちに、本当の愛と喜びと自由を伝えるという大切な役目を任されています。決して変わることのない神様に愛され、期待され、生かされていることを認識する時、自分自身のことも、自分の人生も感謝し喜んで歩んでゆけるのです。

12/21(木) Uコリント4:1-8、マタイ5:13-16
私たちは神様の憐れみを受け、仕えるものとして造られている「地の塩、世の光」です

自分を好きになるのはなかなか難しいものです。自分を甘やかすのは簡単ですが、真の意味で自分を愛せる人は神様を愛し、また愛されていると分かっている人だと思います。これは知識の問題ではなく、自分が主にあって何なのかを主に示してもらうしか方法はありません。自分を正しく評価できる人はいません。神様の目を通してしか出来ないのです。多くの人は、私もそうでしたが、沢山のコンプレックスを持ってそれに押しつぶされそうになりながら、生きているのです。今の私は主に出会ってから、自分の「SIGNIFICANCE」つまり自分の有る意味とそして自分の重要性が分かってきたのです。真理は私達に自由を与えてくれるとみことばにありますが、私は主からどんな小さなことであってもこの世の光になれると教わったのです。主にとって私は大切な存在なのだと教わったとき、コンプレックスとそれを隠すためのプライドも大分少なくなりました。まだ全部明け渡せないでいる私ですが、それでも主に愛されているので小さくとも輝いていられるのです。

12/22(金) 詩編33:16-22 ヨハネの手紙T2:4-10
 自分を好きになる一番の方法は主をもっと好きになることです。なぜなら、神様の目を通して自分を見るのでなければ私は到底自分のことを好きにはなれないからです。欠けているところ、罪深い性質、過ちを繰り返す愚かさは皆私の性質で、好きになるどころか目をそむけたくなるばかりです。しかしそんな自分にさえ目を注いでくださる方がおられる、という希望を聖書は伝えています。 またここにつまずくことのない確かな歩みをする秘訣があると思います。 私はいまだに不完全なもので詩編にあるように完成を待ち望んでいるものです。聖書の要求する高い基準と自分とのギャップに絶望的になることもありますが、変えてくださる主の力を信頼しているので、何とかサタンに魂を売らずに済んでいるのです。

12/23(土) エフェソ5:28-33 ヨハネの手紙U11-18
 自分を愛するということは、自分のパートナー、家族、周りの人を愛するというととつながっています。それができないなら自分を好きにはなれないのです。愛するということと好きだという感情は厳密に言えば別のものです。自分を本当に好きだということは、自分を大事にすることだと思います。大事にすることは甘やかすことではないでしょう。それは自分の全力を注いでキリストの体の一部である、お互いを支えあう=愛し合うことです。聖書にはたくさんのことが書いてありますが、その神様のメッセージの中心は、初めから与えられていた掟「互いに愛し合う」ことです。真理(=イエス様)とともに歩むとは、この掟に従って歩むことなのです。