*2000年12月24日のクリスマスメッセージ*


二人のヨセフの奇妙な一致? マタイによる福音書1、2章

1 預言と系図とみ使いが教える神様の摂理と救いの計画

2 行動=主の天使のメッセージを、常識にとらわれずに受け止める

3 結果=神様の計画の遂行に重要な役割を果たす。御心にかなった生き方

メッセージのポイント
神様は誰にでも超自然的な方法で教えてくださるわけではないかもしれません。でも私たちは少なくともそういう可能性があるということを信じていなければ、大切な呼びかけを聞き逃してしまうかもしれません。また神様の呼びかけは教会を通して、聖書を通して、信じる者を通して与えられるものでもあります。主が「必要なときは私に呼びかけてくださる方だ」という信頼が、恐れや困難の中でも前進してゆける力です。そしてあなたのその歩みは神の国の前進を担うものなのです。

ミニチャーチのためのヒント
1) あなたは神様の呼びかけを聞いたことがありますか?それはどんな方法また内容でしたか?
2) 語られることを聞き逃さないためにはどういう工夫ができますか?
3)主の語りかけに応えて行動に移した時に何が起こりましたか?

*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

12/25(月) マタイによる福音書1:1-17、ルツ記1:1-7
初めてマタイによる福音書を読んだ時、ここにある系図の深い意味には気づかず、なんて退屈な書き出しだろうと思ってしまいました。ここに列挙されている人々の名は旧約聖書に記されていますが、旧約聖書を読みつづけることによってイエス様の誕生が民族も国籍も階級も貧富の差をも超越して全ての人の救い主であることを確信するために大切な部分であることが分かりました。ここを読むたびに神様の私たち一人一人に対する計画が世界の歴史の初めから、今に至るまで、そして主が再び来られるまで確かに進行していることをおぼえ、感謝の思いにあふれます

12/26 (火) マタイによる福音書1:18-25、コロサイの信徒への手紙2:6-12 
 イエス様の誕生は人間の歴史上最も重大な出来事でした。処女マリアが聖霊によって身ごもったという事実はヨセフの心を圧倒したに違いありません。この時代の一般のユダヤ人であれば、イエス様とその誕生に関する旧約聖書の預言についての知識はありましたが、それでも普通なら逃げ出していたはずです。ヨセフは神に対して信仰が強くありましたが、逃げ道はないかと思ったことでしょう。しかし、神がヨセフに語りかけたときヨセフはそのことばに従いました。それは、彼が神のメッセージを理解したからではありません。神を信じていて、この状況において神に従うことがいかに大切であるかを知っていたからです。私たちが直面している自分自身の人生の状況はヨセフの状況ほど重要ではないかもしれませんが、神さまにとっては私たち一人一人はとても大切であり、答えを与えてくださいます。「そんなこと不可能だ」という人間的な思いにとらわれず、私たちはただ従う必要があるのです。

12/27 (水) マタイによる福音書2:1-12、箴言22:17-21
 博士達は天体の知識があり、旧約聖書に精通していたためイエス様の誕生を知ることができました。星の導きと聖書の言葉から主の誕生を確信しベツレヘムまで行き、イエスの誕生を祝ったことでマリヤやヨセフは大変励まされたに違い有りません。またヘロデの所へ戻るように命じられていましたが、それに反することでイエス様の命を守ることができました。彼らはとても大切な働きをまっとうしました。博士達と同様に私達を導くのは主の直接的なはたらきかけと聖書の言葉です。そして博士のように専門的な知識が無くても、主は私達に適した方法で導いて下さり、博士達のような大きな働きをさせてくださいます。

12/28 (木) マタイによる福音書2:13-15、創世紀45章
 御使いによってヨセフは人生にかかわる重大なことを2度も告げられます。特に、はじめに自分のいいなずけに子供ができたと知ったとき、彼はどのような気持ちでそれを受け止めたのでしょう。2度とも、聖書にはヨセフがどう思ったかなどの詳しい記述がなく、すぐに主の使いの命じたとおりに従ったとあります。自分の人生を左右するような大きな決断をするとき、自分には理解できない主の声に素直に従うことは、それほど簡単ではないでしょう。神様をいつも近くに感じ、深く信頼していなければできないことです。ヨセフはこれが神さまからのものであると確信し、まったく疑うことなく従うことができました。私も神様に対して、ヨセフのような深い信頼と信仰を持てるようになりたいと願います。

12/29 (金) マタイによる福音書2:16-18、ヨハネによる福音書15:18-25 
救い主の誕生に対して、凶悪な敵意を剥き出しにして攻撃してくるサタンの攻撃がすでに始まった事を示す記述がここにあります。楽しくロマンチックなクリスマスに起こったもう一つの側面からも目をそむけるわけにはいかないでしょう。クリスチャンになるということは、救われ平安を与えられ恵みに満たされることであると同時にもう一つの側面に踏み込むことでもあります。ある人がイエス様を信じる決心をした時、彼を導いた牧師は「おめでとう、そして戦いの前線にようこそ」と言って彼を教会のメンバーに迎えたそうです。新しい年新しい世紀、主の戦いを共に戦えるように成長してゆきたいものです

12/30 (土) マタイによる福音書2:19-23、サムエル記3:1-10 
主は夢を通してヨセフに語っています。いつの時代も主は私達に色々な方法で語って下さいますが、そのほとんどが超自然的な方法となります。たとえば御言葉を通して励まされたという場合は自然な形と思う人が多いでしょう。でも私はこれも神様の「力」であり「息吹き」であり、信頼し期待する者だけに与えられる超自然的なものと思っています。とはいえもっと明らかに超自然的なものがもちろんあって、ヨセフの時の様に夢や幻もあるのです。これらは霊的賜物というもので誰にでもあるものではなさそうですが、切に求めて全然何もないというのもあまり聞きません。つまり熱心に求めれば主は必ずその願いに応えてくれるのです。ただ、主よりも賜物を求めていないかちょっと自分の心をチェックすることも大切ですが・・・・・。でもあまり恐れずに求めましょう。魚の代わりに蛇を下さる方ではないのです。主の御声が聞きたいと願うときどんなに天のお父さんが喜ばれるか、私達が知るともっと頻繁に神様を仰ぐようになるでしょう。