*2001年1月14日メッセージとディボーションノート*
今週のメッセージ(2000年1月14日)
体の一部であるということ(2)
私はイエス・キリストを人生の中心とするクリスチャンとして、ユアチャーチのヴィジョンと目的に心から同意し主にある兄弟たち姉妹たちのなかに加わることを聖霊の導きであると確信して、以下の事柄について神様と教会のメンバーに対して誠実であることを誓います。
3.わたしは
1)ミニチャーチのメンバーになることによって
2)教会の活動に参加しクリスチャンの交わりを大切にすることによって
3)人々がきよめられ、癒される時は神様にゆだねて、ありのままに受け入れることによって
教会の人々を愛し、教会の家族と時を過ごします。(ヘブライ10:25ペトロT1:22 ローマ15:7)
4.わたしは
1)神様に祝される生活態度と主の弟子としての生き方をすることによって
2)収入の十分の一を定期的にささげることによって
3)主が与えてくださることを信じ、神の国に投資(宝を積む)することによってメンバーとして教会の経済的必要を満たし、また宣教活動に大胆にささげます。
(マタイ6:32-33 マラキ3:10 コリントT16:2)
5.わたしは
1)自分に与えられている聖霊の賜物と才能を見出し用いることによって
2)他の人に仕えるための時間を増やすことによって
3)聖霊の導きに「はい」と応えられるようになることによって神様に仕えることを表明します。
(ペトロT4:10 フィリピ2:3-7 使徒言行録1:8)
*メッセージのポイント*
あなたのために神様が願っていることの第一は、その魂が滅びずに永遠の命を持つことですが、それだけではありません。新しい命を得た者として、それにふさわしい歩みをこの地上での残された時にもしてほしいと願っておられます。「ふさわしい歩み」とはあなたがおかれているところで神様の仕事を担うということです。神様の愛は与える愛です。神様の愛を受けた者もまた、愛を与えることを期待されているのです。信じる者には例外なく所属すべき目に見える地上の教会が与えられています。あなたにとってそれが「ユアチャーチ」だと確信しているなら、先週と今週のメッセージにとりあげられた「メンバーシップカヴェナント」に同意し署名してください。
*ミニチャーチのためのヒント*
1) カヴェナントの内容について不明なことがあれば話し合ってみましょう
2)神様はあなたにどのように生きることを望んでおられると思いますか?
*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―
ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。
1月15日(月) ヘブライ10:25、ペトロT1:22
わたしはミニチャーチのメンバーになることによって(メンバーシップカヴェナント3-1)、教会の活動に参加しクリスチャンの交わりを大切にすることによって(メンバーシップカヴェナント3-2)、人々がきよめられ、癒される時は神様にゆだねて、ありのままに受け入れることによって(メンバーシップカヴェナント3-3)教会の人々を愛し、教会の家族と時を過ごします。
アメリカでは日曜日一つの教会に何百人と集まることは珍しくありません。そこではスモールグループのような数人単位の集まりに属さない限り、自分の存在にさえ気づいてもらえないことがあります。ユアチャーチは全てのメンバーが集まったとしても30名弱ですから、顔を知らない人はいないかもしれませんが、それでも日曜日の限られた時間だけでお互いに親交を深めることはなかなか難しいことです。霊的にも礼拝に出席するだけでは充分満たされるとは言えません。ミニチャーチは私たちの信仰生活の基本と言っても過言ではないでしょう。礼拝と同じ位必要かつ大切なものです。幸い私はすばらしいミニチャーチの仲間たちに恵まれています。共にみことばを学ぶだけでなく、安心して心を開き悩みを打ち明けることのできる場所です。同じ信仰に立つ者同士がお互い祈り合い、励まし合いながら一緒に歩み、成長していくことができることを感謝します。
1月16日(火) マタイ6:32-33、フィリピ1:27-30
わたしは神様に祝される生活態度と主の弟子としての生き方をします(メンバーシップカヴェナント4-1)
神がなさっていることを知るためには、神の国の目で見る必要があることを教えられています。神がどんな方であるか、また、神の国において自分は何者であるかをはっきりと理解するとき、自分が大切で、特別な存在であると認めることができます。日々の生活の事柄が(物理的なことも霊的なことも)神さまからくるものであるとわかっているので、私たちはいつでも祈ったり感謝したりします。しかし、このような日常の必要に加えて、もっと大きな霊的な事柄を求めるべきなのです。神さまからのさらに大きな事を経験したり、神の真理の啓示を受け取る時、私たちの霊的な人生はさらに強められ、この世の暗闇に囲まれた時にも打ち勝つことができるようになるのです。
1月17日(水) マラキ3:10、コリントT16:2
わたしは収入の十分の一を定期的にささげること(メンバーシップカヴェナント4-2)、主が与えてくださることを信じ、神の国に投資(宝を積む)すること(メンバーシップカヴェナント4-3)によってメンバーとして教会の経済的必要を満たし、また宣教活動に大胆にささげます。
お金のことをあからさまに言うのは私たちの文化にはそぐわないことですが、聖書ははっきりと収入の十分の一は神様のものだと教えています。そしてその使いみちは誰かの自分勝手なものであってはならないのです。残念ながら組織の中でお金を扱う権限のある人が不正や公私混同におちいることは珍しくありません。教会であってもそれぞれの主観の相違によって誤解や不信が生じることがあります。ユアチャーチでは「信仰とヴィジョン」という文書の中に教会に与えられているヴィジョンとそれを実現させてゆくためのプロセス、そしてそのためにどのようにお金を支出するのかが明記されているので、権限を持つリーダーであっても道から外れて独走しないようになっていることが素晴らしいと思います。
1月18日(木)ペトロT4:10、コリントT12:27-31
わたしは自分に与えられている聖霊の賜物や才能を見出し用いることによって神に仕えることを表明します。(メンバーシップカヴェナント5-1)
クリスチャンになって初めは母教会のことしか分かりませんでしたが、聖霊の賜物ということについては教会によっていろいろな異なった考えがあることを知るようになりました。論争は絶えませんが、今思うのは、その賜物がどのようなものかとか、どれを強調すべきかなどという議論は時間の浪費だということです。大切なことは、神様に与えられた霊的な賜物であれ、努力して身に付けた技術であれ、生まれつきの才能であれ、これらを神様の働きのために活用して教会の働きに仕えるということだと思います。中でも賜物を与えられていることは恵みだと思います。特別な技術を持っていなくても、才能に恵まれなくても、信じるものに与えられているからです。
1月19日(金) フィリピ2:3-7、ローマ15:7
わたしは他の人に仕えるための時間を増やすことによって神に仕えることを表明します。(メンバーシップカヴェナント5-2)
神様が私達に与えて下さっている物は他の人々のために使うためにある、と言ってもオーバーではないかもしれません。例えば、霊的賜物もそうですが、自分より他の人のためにあるのです。その賜物を通してその人を励ましたり、主に近づく助けをしたり。そして、用いれば、用いるほど(与えれば、与えるほど)神様からいただく分が増えて来るのです。ですから物理的なものから、霊的なものまで何でも他の人に分け与えられるということは、それだけ神様からすでに与えていただいていることなので深く感謝したいものです。その中で愛の次に大切で、他の人にあげられるものは私達の時間ではないでしょうか?他の人のために自分の時間を費やすのは簡単なようで、実は難しいことです。それをあえてするのはそのことを通して主につかえることになるのです。助けを必要としている人、話しを聞いてもらいたい人、祈りを必要としている人が私達の周りには沢山いるはずです。主に私達の目をもっと開くようにお願いしましょう。
1月20日(土) 使徒言行録1:8、ヨハネによる福音書21:15-19
わたしは聖霊の導きに「はい」と応えられるようになることによって神に仕えることを表明します。(メンバーシップカヴェナント5-3)
礼拝でメッセージをするのは牧師だけの仕事ではありません。この国のクリスチャンの人数や社会の現状に目を向ければ、神様の言葉を語る人が数多くいたほうが良いということは一目瞭然です。私は人前で話しをするのがとても苦手なので、メッセージは絶対に出来ないと思っていました。そして神様から示されているような気がしても拒否し続けてきました。しかし引き受けてみると神様から言葉を与えられ、こんな無力な人間でもできるということが分かりました。話す言葉を考えることに気をとられがちでしたが、何よりも神様に集中して聞くことが大切であることが実感できました。主に従い、主が私を用いたので私のメッセージを聞いてくれた人達には少しでもプラスになったと思います。また自分にとっての恵みもとても大きく、主との信頼関係が強くなりました。