*2001年2月25日メッセージとディボーションノート*

私たちの価値観シリーズ(1) 
神さまとともにある私たち個人の人生に関わる価値観
              
メッセージ:ジョン・ニューマン(ワーシップパスター)

A. 神を切に求め従うこと(詩編63:1-3; マルコ12:30; 1ヨハネ4:19; 2コリ5:14)

B. キリストに似たものとなること(エフェソ5:2; マタイ7:15-23; ピリピ2:12-16)

C. 御霊の導き(ガラテヤ5:5;ローマ 8:14; ヨハネ8:28-29, 3:34, 16:13)

D. 祈り(1テサロニケ 5:16-18; フィリピ 4:6, 1:19; マルコ10:8)

*メッセージのポイント*
 これらの価値観は個人のためのものですが、教会が価値をおいているものの基盤で
もあります。教会の価値観は個人の価値観によって影響されます。私たち一人一人が
日々の生活の中において、これらのことに重要な価値を置く必要があります。

*ミニチャーチのためのヒント*
個人個人の神さまとの関係は、群れ(グループ)のなかでどのように影響を与えます
か?


*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。


2月26日(月) 詩編63:1-3 
どんなに神さまに近くなったとしても、これで充分ということは決してありません。なぜなら神さまはとても大きく無限の方だからです。
 目を閉じて祈るとき、小さな自分に対して大きな神さまの存在を思うことが出来ます。今までくり返し無力な私に強い力を与え、罪深く醜い私を優しい者に変えて下さったでしょうか。自分自身が偶然生まれてきたのではなく、神さまの働きのために今そのままで必要とされていることがどんなに私の励ましとなり力となったでしょう。この先もこの方が私と共にいて下さるので、不安の多い世の中においても安らぎを感じることができるのです。書いたように私はクリスチャンとなり神さまの恵みを十分に受けてはいますが、神さまを求めるという点ではまだまだ不十分なのです。そして今後、いくら私が神さまを求める者に変わったとしても、十分だとは言えないのです。なぜなら神さまは人間が認識出来ないくらい大きく限界のない存在だからです。不十分だと自覚して求めることを続けていけば神さまの期待通りに成長することができると思います。

2月27日(火) マルコ12:30; 1ヨハネ4:19
 きっとだれでも愛の連鎖を経験したことがあると思います。だれかに優しくされたり、親切をされたりすると、自分も他の誰かに優しくなれるという経験です。
 愛を受け取ると嬉しくて、幸せな気持ちになれて、身近にいる人にこんな気持ちになってもらえたらいいなって自然と思えてくるのです。そしてそれを行動に現し、また別の人へとつながっていきます。みことばに「神がまず私達を愛して下さった」あります。神さまは愛の連鎖のスタート地点です。神さまの愛を受け取り、周りの人に対してもっと愛を表現していきましょう。それは神さまの喜ばれることなので、神さまへの感謝の気持ちを表しているのと同じことなのです。

2月28日(水)マタイ7:15-23, フィリピ 2:12-16
 この社会は、何をしたかで人を判断します。いいことも悪いこともそうです。その人がどういう人なのかということはあまり気にとめません。でも神様は私たちのキャラクターを見るということです。これだって別に自信があるわけではありませんが、なんといっても「神の子」として「認められている」のですから、これほどこころ強いことはありません。失敗しても精一杯すればいいと社会は言ってくれませんが、イエス様は違います。私の小さな失敗ぐらいで影響を受けるような方ではないからです。業によって義とされるのではなく信仰によって、とパウロが言ったことを思い出して、せめて心だけはいつも主に向かっていたいですね

3月1日(木) ヨハネ 8:28-29, 3:34, 16:13
 クリスチャンとして、教会として、神の国として、この世で良い成果をもたらしたり、霊的な事柄や個人の人生において成功を治めるための唯一の方法は、聖霊に方向を示してもらうことです。自分で方向を決めようとするなら、たいてい間違った道に行ってしまいます。たとえ、自分が一番賢く、経験深いクリスチャンであったとしても、聖霊なしでは神さまを理解したり、神さまの考えを知ることはできません。神であるイエス様ご自身でさえ、自分勝手な考えで行動することはなく、聖霊をとおして示される父なる神の導きによって全てを行いました。

3月2日(金) 1 テサロニケ 5:16-18、 ピリピ 4:6
 祈ること以外でこの2カ所の聖書に共通していることは、感謝することです。困難なことや否定的な思いに焦点を当てていると、感謝することがでず、ますます落ち込んでしまいます。そういう時こそ神さまに目を向けてイエス様がしてくださったり与えて下さった感謝すべきことに目をむけると、不思議に喜びと平安がやってきます。ありのままの自分を受けとめて下さる神さまですから、祈るときに全て大丈夫なふりをすることは決してありませんが、イエス様の顔を思い浮かべて、イエス様に焦点を当てて祈るとき、たとえつらい状況にあったとしても感謝の気持ちがあふれます。子供のビデオに「A thankful heart is a happy heart (感謝の心はハッピーな心)」という歌が出てきますが、祈ること、感謝すること、喜び(ハッピーであること)という3つの事柄は一つにつながっているのです。

3月3日(土)フィリピ1:19, マルコ10:8
 祈りは信じる者にとって大きな力です。祈りは時間と空間を超え、神様のみこころを成し遂げるために働くのです。癒し、解放、救い、励まし・・・時々私たちは「・・祈る事しかできなくて‥」なんていう言い方をしますが、それは祈りの力を過小評価した大きな間違いです。
神様は素晴らしいミニストリーに私たちすべての者を招いています。家族のために、リーダーのために、必要としている人々のために常に祈る事を求められています。
私は二人の「祈りの勇者」を知っています。一人はその生活のほとんどを喘息のためにベッドの上で過ごしながら、人々のために祈りを欠かさなかった人です。もう一人は、自分が出会った人々特に牧師やリーダーのために、毎日必ず一人一人の名前を挙げて(150人以上いたのですが)祈り続けた人です。とても真似はできませんが、でも私ももっとみんなのために祈る者になりたいと思います。
祈りが世界中に満ちて、神様のわざがもっと大きく表れることを期待します。