*2001年3月4日メッセージとディボーションノート*

神の働きは信じる者の働きになった

神の働き (ルカ19:9-10)

失われた人々を捜して救うため(救いがあなたの家を訪れた、彼は失われた者を捜して救うために来た)。

その目的

- 愛の本質 (ヨハネ3:16)
- 神が愛を示された (ローマ5:8)
- 人々を神の怒りから助け出す (ヨハネ3:36)
- 神に遣わされた主に従う (ヨハネ17:18、ヨハネ20:21)
- 用意されている報いは素晴らしいもの (黙示録22:21)
- 大宣教命令は遂行されなければならない (マタイ28:18-20)
- すべての国々への終わりの時の命令 (マタイ24:14)

宣べ伝える者 (2コリント5:12-21)

- 新しく創造された者
- 神の子供
- キリストの大使
- クリスチャンはイエスに属する者
- 神のご性質をさらに表していく;愛、憐れみの心、寛容(聖霊の実)
- 身分−個人、家族、グループ/教会

信じる者の働き (使徒1:6-8)、(ヨハネ4:31-35)、(ルカ10:1-9)

- ある人々は宣教には何の役にも立たない事にばかり関心を持つ
- あなたがたは地の果てに至るまで、わたしの証人となる
- 目を上げて畑が色づいているのを見なさい, だが働き手がいない
- 収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願う
- 私の食べ物とは私の父の御心を行い、主によって整えられた道を歩むこと
- 主の前に遣わされ(ルカ10-10)、訪れる家々に主の平和を宣言すること
- 平和の子がその家にいるなら、平和はそこにとどまる。そして病人は癒される。

任務の達成

(働きの本質;神に授かったもの、短期・長期または生涯をかけて)自分の立場や能力を理解すること、主に注意深く聴くこと、神の言葉に従うこと、証すること、祈ること、出て行くこと、送り出し、与えること


*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

3月5日(月) Math28: 18-20, John 17:18 

家の近くに住んでいる若い親子を見ていると、時々どちらが親なのかわからないようなときがあります。子供が命令していて親がおろおろ従っています。もちろん子供は権威を持って命令するというよりは泣き落としとか、地団太を踏んで親をコントロールしようとするのです。さて神様とあなたの「親子関係」は良好ですか?その答えは今日読んだ聖書の言葉で知ることができます。あなたが神様をコントロールして自分の平安や利益を求めるなら、それは親をコントロールしようとする子供と同じで別名を「ご利益信仰」とも言います。そしてそれでは本当の平安はいつまでも得ることができません。本当の平安は本当の使命に生きていてはじめて得られるものです。あなたはここに本物の愛を与えるものとして立てられているのです。

3月6日(火)Act 1:6-8, John20: 21

熱心なクリスチャンでも案外簡単にしてしまう勘違いは(私はサタンからの攻撃だと思うのですが)、「私はイエス様を心から信じているけれども○○さんのように聖くないから宣教とか、伝道には向いていないし資格もないのでは」といったものです。あなたは自分のことをどう思いますか?私は学生であれ、主婦であれ、会社員であれ、宣教師や牧者でない人は一人もいないと思っています。みんなその場その場に置かれた神の国の大使なのです。そして神様はあなたの聖さを力として役割をはたしなさいとは言っていないと思うのです。使徒言行録の時代の有名な弟子たちは手の届かない宣教のヒーローではありません。彼らがよい働きをすることができたは、聖霊が彼らを後押ししたからです。私たちが彼らより劣っているとしたら聖霊はもっと大きな力で私たちを後押ししてくださるでしょう。

3月7日(水)ルカ 19:9-10, ヨハネ3:16 

日本は他のアジアの国々に比べ、お金も物も余っている国です。物質的なものは何でも手に入りますから、一見とても豊かで恵まれているようにみえます。しかし、豊かな外見とは裏腹に人々の心の内側は、荒れ果て、目的を失い、何かを求めてさまよっています。人々から「罪人」と非難されていた金持ちのザアカイは、現代の日本人の姿に似ているかもしれません。しかし、他の人には見えなかったザアカイの心の中をイエス様はみておられました。愛とあわれみに満ちたイエス様は、ザアカイの家に救いをもたらしてくださいました。宣教とはこのように愛に基づく行いです。私たちも人々を外見で判断するのではなく、イエス様と同じ霊の目で見ることができるよう祈ります。イエス様の愛と救いを伝えることは私たち一人一人の役目です。

3月8日(木)IIコリント5: 12-21, IIテモテ2:1-7

物理的にはこの世に生きている私たちですが、神と和解した者はみな、神の国に属しています。つまり、私たちは神の国を代表してこの世に遣わされた大使なのです。ただ考え、言葉、行動だけによって神の国を代表しているのではなく、最も大切なことは霊的な領域においてです。理論的に考えようとするこの世界では、霊的な事柄を理解することはできません。神さまの和解のご計画をこの世に表すことは、私たちの言葉と行動によるのでは限界がありますが、聖霊さまによって人々の霊的な目を開いてそれを見ることができるように信頼することができるのです。

3月9日(金)ヨハネ4:31-35, 使徒16: 6-10

この世はイエスさましか解決できない問題でいっぱいです。世界規模で考えるとあまりにも大きくて、本当にイエスさましか手に負えないと、あきらめモードに入ってしまいがちです。しかし良く考えてみると、そのほとんどの場合は一人一人の問題なのです。世界平和はひとつひとつの家族からと言われています。一人一人がイエスさまを知って、心の中に迎え入れ、平和を得ることでこの世の問題解決につながるのです。ですから、海外宣教はもちろん、私達のいるところでも一人一人にイエスさまの愛を伝えることが大切なのです。そして海外に行かれる人々をサポートするのも重要な役割ということも覚えましょう。

3月10日(土)ルカ10:1-9, ローマ5: 8

海外宣教に限らす私達が人々の中に入って行くとき最も大切なことはキリストの愛を伝えることです。それは言葉だけでは決して伝わりません。具体的に私達のなすべきことがイエスさまの言葉で8、9節に書かれています。まず「出されたものを食べる」ことです。食べ物をはじめ生活習慣や考え方をその地の人々に合わせるということです。自分と異なる点があるということを理解し、受け入れることは難しいことですが、同じ視線で生活すると人々の抱える問題とニーズが見えてきます。その次に「その街の病人を癒す」のです。病気に限らす実際に人々が直面している問題のために祈り行動します。これらを行った上で最後に神様の言葉を語ることが求められています。私達が支援している宣教師、そして自分たちがイエスさまのこの教えを行えるように祈りたいと思います。