2001年5月27日メッセージノート

俺たちは天使じゃない! (使徒言行録16:6-15)
-あの人の心に近づく始めの一歩

福音が初めて小アジアからヨーロッパにもたらされた始めの一歩は、聖霊の導き、力、不思議なしにはなしえなかったことがわかります。ここから私たちも自分たちの宣教、伝道(地域、職場、学校、家族)においてもこれらの要素を重視し、一人一人が主の霊に信頼を置いて歩むことを求められていることを知ります。

A 自分の思い通りにならないとき - 楽観的であること

1) 100%思い通りになる計画はない-柔軟であれ(16:6/ヨナ3,4章)

2) 神さまにふりまわされる?-思い悩むな(16:7-8/ヨハネ21:18.19)

B 世間の常識とどう付き合うか?

1) 転機が訪れたら?定石を破る決断と信頼(神様・リーダー・あなた自身)(16:9-10/創世記15:1-6)

2) 神様は案外常識的な方?(16:11-12/マタイ10:11-15)

3) 誰に伝えるべきなのかを間違っていないか?(16:13/マタイ10:5-10)

4) 人の心は聖霊が開く(16:14-15/8:26-40)

メッセージのポイント
多くの人は自分の思い通りに生きられることが幸せだと誤解しています、信仰するということも思い通りの人生を実現するための道具のように思われています。でもそんな考え方は自分で幸せになることを邪魔しているようなものです。思い通りにならないことは聖書の教えから見れば自然なことです。(マタイ16:24-26) このイエス様に従って歩くということにおいて一見対照的な二つのステージがあります。常識にとらわれずに飛躍を求められる時と、事の成り行きに逆らわずに進んで行くべき時です。これを見誤ると良い収穫を得ることはできません 

ミニチャーチのためのヒント
1)あなたはことが計画通りに運ばないときどのように感じ、行動しますか?
2)互いに伝えたい人についてシェアし、彼らの心が開かれるようにともに祈りましょう


*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

5月28日(月) 使徒言行録16:6/ヨナ3,4章 
沖から波が近づいてきます。波のピ−クにできるだけ近づいて波に乗ります。立ち上がるとまずスロープをまっすぐ前に滑りながら一瞬後ろを振り返り波の崩れ具合を確認します。そしてその崩れから逃げるようにして、また離れ過ぎないようにして横に進みます。このまま規則的に波が崩れてくれれば長く乗っていることができるのですが、時には前からも崩れてきてしまいスープ(白く泡立った崩れてしまった波)の中に逃げ場を失って、思い通りには乗り続けることができなくなってしまいます。信仰の波も同じです。波に乗るのはわたしたちですが、大きさや崩れ方を決めるのは神様の担当です。パウロの計画と神様の計画は違っていたので、パウロの思い通りにアジアでの伝道は開始することができませんでした。私たちもよくそのような状況に陥ります。そんなときにイライラしたり、思い悩むのではなく神様による計画変更を楽しみましょう

5月29日(火) 使徒言行録16:7-8/ヨハネ21:18.19
 神さまの導きに従っているはずなのに、扉が閉められてしまったような状況に陥ることがあります。そうなると、私たちはまず「神さまの導きを見失ってしまったので、全てが間違っているのだ!」ととっさに反応しがちです。しかし、扉が閉められた時、もう一度出発地点まで逆戻りする必要はないのです。少し立ち止まって、他に開かれている扉があるかどうか探してみることができます。すぐには開かれた扉を見つけることができないかもしれませんがパニックを起こしてはいけません。ただ、忍耐を持って、神さまが続けてご計画を見せて下さるよう待つのです。神さまに何が出来るかを限定してはいけません。神さまに不可能はないのですから。

5月30日(水) 使徒言行録16:9-10/創世記15:1-6 
 神様はパウロに幻や超自然的な方法で導きを与えています。旧約聖書を見ても、アブラハム、モーゼのように特定な人を選び神様は直接語られ、預言を与えられました。現在も同じ方法で、神様は教会の進むべき導きを主任牧師に与えられるのだと確信します。では、私たち一人一人は何をするべきでしょうか?ひとつは、『とりなしの祈り』です。常に、牧師、リーダーのためにとりなすことを覚えてください。主がこの教会を通して今何をしたいと願っておられるのか、また、御心に沿った方向に進んでいけるよう、主が牧師に示してくださるように祈ることをお願いします。もうひとつは、『励まし』です。特に主任牧師には、主が豊かに幻や預言によって語られることを祈り求めるよう勧めてください。とりなすこと励ますことは重要な賜物の一つでもあります。

5月31日(木) 使徒言行録16:11-12/マタイ10:11-15 
違う教会の牧師たちと協力して働くといろいろ興味深いことがあります。何かの共同事業に参加を求めると、「それは重大なことだから断食して祈らせてください。」とか「導きを求めて徹夜の祈り会をしなければ」といってすぐに答えをもらえないといったことがあります。わたしにとっては別にそこまでしなくてもいいのにな、ということでも結構そういう反応に出くわします。時と場合によってはわたしだって徹夜の祈りも、断食もしますが、それは異例なことなのです。私が祈り深くないのか?彼らが慎重すぎるのか?
 トロアスから船出すれば航路は当然ネアポリスに一行を導きます。そしてその港に1番近い大都市はピリピでした。ヨーロッパ伝道へのきっかけは不思議な導きの連続によりましたが、ここでは彼らはいったいどこで伝道を始めるかということについて、長期間の断食をして導きを求めるといったことはしませんでした。成り行きというか、軽いノリでピリピにとどまることにしましたが、まさにそこは導きの場所だったのです

6月1日(金) 使徒言行録16:13/マタイ10:5-10 
初対面の人でもすぐに打ち解けて話ができる人を見るとうらやましいなと思ってしまいます。自分がそのようではないからです。わたしにとっては初めての人々の中にいるだけでも居心地が悪く、打ち解けて話ができるようになるまで相当の時間と努力を要します。イエス様を伝えたいとは思っても、有名な伝道者のように飛行機のシートに座ったとたんに隣の人に証をはじめ、着陸するまでに信仰の決心にまで導いたといった話を聞くと、そんなことは自分にはとてもできないし、それではわたしはクリスチャン失格なのかなと悩んでしまったこともありました。でもパウロたちがまずギリシャ人でもローマ人でもなく当地のユダヤ人に伝道のきっかけを求めたように、もっと身近にいて、精神的に近づく努力をしなくてもいいような共通点を持った人に伝えてゆけばいいということがわかって安心しました

6月2日(土) 使徒言行録16:14-15/8:26-40 
リディアが福音を受け入れることができたのは第一に主が彼女の心を開いたからです。そしてパウロの話を注意深く聞くことができ、福音は彼女の家族にまで届きました。私自身も福音を受け入れた時には自分の意思とは別に主が心を開いてくれたことをはっきり覚えています。神様は彼のタイミングで私たちを選んで、私たちにふさわしい時に救ってくださるのです。私たちは周りのノンクリスチャンに福音を語りますが、それをすぐに受け入れる人はなかなかいません。時間をかえて人に関わり神様のすばらしさを伝えようとしても、結局無駄骨に思える経験もします。しかしそのタイミングは神様が定めているので、落胆する必要はないことが分かります。そのときまで愛を持ってその人に仕え、神様がその人の心を開いてくださるように祈ることが私たちの役割です。