*2001年6月3日メッセージノート
人はなぜ占いに夢中になるのか?
(使徒言行録16:16-40)
A 占いとは何か?
(16-24)信仰とは異質で相容れないもの
「人の行動の根拠となる」と誤解されている
人に富をもたらすもの
人をコントロールするもの
B 占いより信頼できるもの
いつでも賛美できる神(25)
しるしと不思議、奇跡の神(26)
信じる者に霊的権威を与える神(25)
信じる者を通して真理を伝える神(25)
メッセージのポイント
占いが人の心を捉えるのは今も昔も変わりがありません。人を神様から離す力はいつも働いていて「占い」を巧妙に利用します。あなたが神様の恵みのうちを歩みたいと願うなら、占いと関わることはきっぱりとやめてください。人は二人の主人に仕えることはできません。神様だけを信頼することによってあなたの人生はもっと開けます。ミニチャーチのためのヒント
1)あなたはどんな占いを信じたことがありますか?それはあなたに何をもたらしましたか?
2)なぜ神様は占いを忌み嫌われるのでしょうか?
*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。
6月4日(月) 16-18/ ガラテヤ5:16-26
「霊」について誰でも興味を持っていますが、表面的には敬遠しているように見せる人もいます。現代人にふさわしい合理的存在とは思えなからでしょうか。わたしたちは霊が存在するのかしないのかを議論しますが、聖書ではその存在は当然のことで、問題はそれが「よい霊」なのか「悪い霊」なのかということです。神の霊か悪霊かということです。新宿の伊勢丹の角で占いをしている女性は新宿の母とよばれるほどの人気です。そこで人々は安心と納得を得て帰るのです。そこに悪霊の働きがあるかどうかは知りませんが、それがあってもなくも、占いが人を神様への信頼から遠ざけていることには変わりありません。6月5日(火) 19-24/ルカ12:49-53
自分の収入や権利を脅かすものが出てくると、人は理性を失います。テレビのニュースを見入ると、なんであんなことを起こしてしまうのだろうか、理解に苦しむことがよくあります。昨日まで大会社の経営者として、立派に責任を果たしてきたのに、それを失うのを恐れて、人の命を奪うとする。そんなことまで起こります。体の健康を考えると、はやらなくなる産業があります。ある自治体の町中からタバコの自販機を無くそうとした試みは大きな反対を受けているそうです。誰でもタバコの害を知っています。喫煙によってかなりの医療費がかさんでいることも明らかです。それでもなかなか徹底できないのはそれによって大きな利益を得ている人がいるからです。心の健康に目覚めると(人が神様を信じると)、はやらなくなってしまう商売があります。歓楽街のいろいろな店や賭博場(ギャンブルをするところ)などです。もしあなたがそんなところに勤める人にイエス様を伝えたら、わたしたちもパウロと同じように恨まれるでしょう。この世の善悪の基準は儲かるか、儲からないかであり、神の国の基準は神様の前に正しいかどうかです。あなたの心の善悪の基準はどこにありますか?6月6日(水) 25-28/フィリピ4:4-9
誰の人生にも様々な危機があります。それがない人はいません。でもそれをどう乗り越えようとするのかによって人生は大きく変わってしまいます。どうにもならなくなったときにも本当に頼れる方がいるわたしたちは幸いです。生命の危機でさえ「永遠の命」が保証されていることによってすでに乗り越えてしまっているのです。むちを打たれ、牢につながれても主が共におられる平安の中で彼らの心には賛美がわきあがりました。この賛美の中で神様は不思議な出来事をおこします。牢獄における賛美が偉大な出来事の発端になりました。この箇所を読むたびに自分の信仰がそこまで引き上げられることを願う気持ちでいっぱいになります。逆境でも、神様への信頼に生きる人となって、神様の働きを見たいと思うのです。6月7日(木) 29-34/マタイ8:5-13
大きな権威が目の前にはっきりと示されることによって、人は自分の欲望も、理性も超えてその権威に従うことができます。なんでほかの囚人たちが逃げ出してしまわなかったのか、ながいことどうもよく理解できなかったのですが、神様がはっきりと臨在しておられることを何度か体験して理解できるようになりました。この神の権威を目前にして、そこから逃げ出すという目先の利益に走らず、神様を畏れてそこにとどまるパウロやシラスそして囚人たちを見て看守もまた自分が仕えているローマ帝国の権威をはるかに超える権威を目前にして、自分が信じるべきものを直観してイエス様を信じました。「この方以外に救いはない」と口で説得するよりも、人がわたしたちの言葉や行いのうちに主がおられるということを感じられるほどに神様に近い存在でいたいものですね。6月8日(金) 35-37/箴言2:1-15
このことはもともとパウロたちを逮捕する正当な理由など一つもなかったことを証明しているようです。とりあえず訴え出た人々の体面をたもつために行われた逮捕だったのです。ハンセン病の補償問題に際して裁判で負けた国は、当初いったん控訴した後に和解をするという方針でした。いろいろな方面の利益や体面を考えた苦肉の策でした。保障はするけれど、政策の誤りは認めたくなかったのです。原告の人々は保障よりも謝罪を求め、控訴せずに過ちを認めるよう強く求めたので世論の後押しもあってついに国は過ちを認めました。神様はわたしたちが目先の都合で行動するのではなく、神様の目に正しいか、間違っているかによって判断し行動することを期待しておられるのではないでしょうか。6月9日(土) 38-40/22:22-29
ローマ帝国の市民権は今のアメリカのグリーンカードよりずっと力があったようですね。それでもこの市民権は金で買うこともできました。この地上の権利であるローマ帝国の市民権を生まれながらに持っていたことが、パウロの伝道に役立ったことは明らかです。神の国の権威は地上の権威を越えるものですが、必ずしも対立するものではありません。わたしたちは地上のどんな権威や地位、財産でも、持っていることを恥じることはありません(もちろん持っていないことを恥じる理由も)。わたしたちがそれを自分のものとして、自分のために使うのではなく、神様の働きのために用いようとするなら、神様は祝福して用いてくださいます。