*2001年6月17日メッセージノート

父の日に信仰の父の話 村田英二
創世記12:1-20 

神様の導き
@ 私たちが行くべき所を用意している(1)
A 行き先がはっきりしていなくても出発する(1,7)
B 必ず祝福があると約束されている(2,3)

アブラハムの態度
@ 高齢であったが住み慣れた地から離れた(4)
A 民の、家族のリーダーとして神の声を聞き彼らの先頭に立つ責任(5) 

アブラハムも失敗した
@ 恐れにとらわれエジプトに行った(10)
A 恐れから偽りを語った(11-13)
B しかしその後も主は彼を用いて祝福した

メッセージのポイント
 主がアブラハムをカナンの地に導いたように、私たち一人一人に約束の地が用意されています。そして主は私たちにそこへ行って欲しいと願っておられます。今はその場所がどこなのかはっきり分からなくても、出発すると徐々に道が開かれ、最後はその地へ行き着くことができます。だから常に主に心を向けていないと途中で迷うことになってしまいます。約束の地には真の祝福が保証されているので未来を心配する必要はありません。アブラハムは失敗も犯しましたが、その後、主に忠実だったので、主に用いられ大いなる祝福を得ることができました。

第一に話したいのは導きははっきりと示されるということ
1節「私が示す地へ行きなさい」と主がアブラハムに示したように主は私たち一人一人がどこに行くべきか知っている。

その時々に応じて最良の場所を知っているし何をすべきか知っている
そして道を開いて教えてくれる。

私の道が開かれた経験
・3年働いた後専門学校へ行き資格をとった
・退職して結婚し理学療法士の学校を受験したが金がないため国立希望。
・公立は四国、仙台、箱根、清瀬2回 ここら辺からは通えないとこと地方にしかなかった
・受かれば地方へもどこへでも行くつもりだった 滑り止めで近い私立1校 
・公立は2次の面接で全て落とされショックだった。思いに反して滑り止めしか受からなかった。
・国立は全て閉ざされ、私立だけが開かれ、神様は導いてくれた
・地方の学校に行っていたら、今の教会にいないがこの教会に仕えて学校に通う道を用意してくれた
・しかしこの時は合格したことが嬉しいと同時に経済的に不安だった。
・しかし経済面は実際に神様は助けてくれた。
・1年の時にオールAが取れて2年の学費が半額になった。
・学校でもはじめてのことで規定もないので褒美について職員が考えてくれた。
・他にも返さなくても良い奨学金などがあり経済的に守ってくれた。神様は道を開いて最も良い場所に私を置いてくれた。
・自分の思いとは違う場合があるが、神様の導きの方が確か。
・次第にその意味がわかってくる。だから今の状況も不安になることはない。
・私自身不安材料があっても実際に助けてくれることを経験した。

第二にまず出発すること、始めることが求められている。
・1節「あなたの生まれ故郷、父の家を離れて」とあるがこの時点では行き先がはっきりしていない。
・しかしまず出発しなさいと言われた。
・7節にあるようにアブラハムにはカナンに着いてから、そこが約束の地であることが知らされた。
・目の前の全てが見えていなくても一歩踏み出す勇気が求められている。
・それは第一に話した主の導きに信頼していなければできない。
・将来の準備や計画も大切だが、もっと求められるのは信頼すること。
・信頼していれば、行き先がはっきり見えていなくても勇気をもって踏み出せる

・2-3節にはアブラハムが導きに従って出発すれば必ず祝福があると約束されている
・これはもちろん私たちにも当てはまる
・みなさん経験あると思いますが神様の祝福とは?
・金、地位、物質、知識、競争に勝つことでもない。心からの平安
・私の学校の話のように神様の守りを感じて安心できること。
・本当の喜びであり私たち人間に欠かせない喜び
・それが保証されています


*ディボーションノート*
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

6月18日(月)創世記12:1-3 ルカ9:57-62
アブラハムに対する神様の言葉は「今いる地から離れる」ことと「祝福の約束」でした。彼は高齢でしたから住み慣れた地を離れるだけで大変だったと思います。また民の先頭にたち導くこと、まだ見ぬ約束の地を目指すという点でも彼には厳しい命令でした。神様の命令に従うことは決して楽な道ではないのです。しかし命令に従えば必ず祝福があります。そのことを信じて待ち望んでいれば、厳しい命令も受け入れ実行できるのです。神様からの祝福を日々味わいそしてさらに求める態度を保ちましょう。

6月19日(火)創世記12:4-6 詩編119:105-112
 もし神さまから、「あなたが生まれ育ち、慣れ親しんだ土地を離れ、新しい場所へ行きなさい」と言われたとしたら、あなたはすぐに従うことができるでしょうか?もし、平安をもって素直に従えるのであれば、あなたの主への信頼と信仰は確かなものと言えるでしょう。 もちろん、神さまの示される道にも困難や障害があります。でも、平安とともに導いてくださる神さまの力ゆえに、私たちは困難をも乗り越えることができるのです。また憐れみ深い神さまは弱い私たちのために、ともに歩む信仰の仲間や助言者を与えてくださいます。

6月20日(水)創世記12:7-9 2ペトロ1:3-11
神を信じることを選んだ人々に、神さまは多くの約束を与えてくださいました。神のことばは全ての真理の源であり、決して滅びることがありません。ですから、神さまが約束を守ってくれるのかどうかを心配する必要はありません。むしろ、私たち自身がするべきことに気を配るべきなのです。それは疑いを持たず、いつも礼拝し仕えることです?全ては主の御手の中にあり、神さまは私たちをがっかりさせる方ではないことを私たちは知っています。私たちが霊的生活において、首尾一貫し安定しているならば、信仰が成長するとともに神のなさる多くのことを見ることができます。逆に、一貫性がなく不安定であるならば、御国における多くのことを見逃してしまうでしょう。

6月21日(木)創世記12:10-13 マタイ26:69-75 
民族の父アブラハムの意外な一面を見てしまいました。自分の命惜しさに妻を妹と偽ろうとは・・・・かれはそれがファラオによる妻の召し入れという結果に至ることを全く考えてもいなかったのでしょうか?そう思いたいところではありますが、やはりその可能性を知っていたのでしょう。系図からいえば厳密には妹にもあたるのですが、命と繁栄のために普通の感覚では赦されない事をしてしまいます。ありふれた日常生活の中ではそうでなくても、極限状態の中では人は例外なく弱いものであること、大切な人を裏切ることさえできてしまうものであることに心を留め、どんなときでも愛し合う人々への忠実を貫くことができるよう主の助けを祈り求めましょう

6月22日(金)創世記12:14-16 1コリント3:18-22
ここでは愛する妻が自分の策謀(知恵?)によってファラオに召し入れられたアブラハムの気持ちはまったく書かれてはいません。そのことによって命が助かったばかりか、物質的には恵まれたと書かれています。しかし・・・・物質的な繁栄よりも、この世の命よりも、大切なものがあることを今日の聖書は教えてくれます。聖書に毎日親しんでいることのすばらしい点の一つは、知らず知らずのうちに神様が与えてくださった「良心」を研ぎ澄まされるということです。信仰の先輩たちの素晴らしさだけではなく、弱さ、愚かさを見るときに、彼らに落胆するのではなく、同じ、いやそれ以上の弱さ愚かさを持った私たちが神様の思いにかなって歩めるよう祈りたいと思います。

6月23日(土)創世記12:17-20 詩編38:2-9
こんなことはやはり神様の喜ばないことでした。夫婦という最も大切な愛の関係を破壊し、自分たちが傷ついただけではなくファラオやその周辺の人々にも害が及びました。私たちは時々自分の大切なプライオリティーを見失って過ちを犯します。そしてそのことによって愛する人々を傷つける結果を招いてしまうのです。「後悔先に立たず」とは本当によく言ったものだと思います。今有明海では、水門によって閉じられた海の内外の水質の変化とそれに伴う問題が議論になっていますが、何かを決断して選ぶということは、それに伴う利益だけではなく不利益をも引き受けるということを意味しています。私たちが神様からいただいている自由は、神様にしっかりつながり、よく聞いて用いられなければ逆の結果をもたらしてしまう、「責任」と表裏一体のものなのです。