2001年8月19日メッセージノート
対決か妥協か? 使徒言行録19章21〜40
この国でクリスチャンとして生きてゆくということ何が宣教に立ちはだかるのか?
1)経済的理由からの抵抗や反対(23-27)
このテキストで見られる典型的な反応です。日本ではキリスト教の力が弱すぎて占い師や、仏具・神具屋さんから見ても脅威ではないのです。クリスチャンが20%を超えたらこの種の迫害が始まるのではないでしょうか?2)思い込み・無知による抵抗や反対(37、21:24-28、ルカ14:25-27)
聖書の言葉を表面的にとらえたり、うわさを信じることによって起こるもので、今も昔もまた国が違っても起こることです。クリスチャンの律法主義的態度が油に火を注ぐようなことにもなりかねない(異教的だという理由で祭儀に参加することを拒むなど)3)生き方を変えなければならないという本能的な危機感(ルカ16:13)
これは表面的に異教祭儀を拒むといったことではなく、もっと根本的に生き方を転換する事を求められているということであって、本当の抵抗はこのことについてが一番深刻。伝える私たちも決して妥協してはいけないところ本当の敵に対する戦い
1)サタンに対しては妥協や取引はゆるされない(マタイ16:21-25)
「罪を憎んで人を憎まず」「サタンを憎んで人を憎まず」敵は人の背後からその人を操っている2)救出は慎重に注意深く
私たちに敵対する人間は本当は敵ではなく、真の敵であるサタンから、私たちが救出すべき「捕虜」だという見方を紹介するつもりです。彼らが神殿を荒らしたり、女神を直接ののしって相手が冒涜と考えることをしなかったように3)対話と交わりの中で心は変わる(26)
一方的な牧師のメッセージでなく、みんなが日常生活の中で言葉や態度として表れる自然な証が私たちの武具メッセージのポイント
日本は伝道の難しい国だといわれます。目に見える形での迫害はこの国にはほとんどありません。けれども個人の日常生活の中ではクリスチャンとしては肩身の狭い思いをすることもあるのではないでしょうか?周りの人々にイエスさまの愛を伝えていくときはもちろんのこと、自分自身の言動に対する人々の意外な反応などに出会うときにわたしたちをがっかりさせることは沢山あります。多くの人はそれをクリスチャンであるが故の「重荷」と捉えているようですが、あなたの重荷は本当に負うべき重荷なのか、それとも間違った重荷を担い負うべきものをどこかに忘れているのかよく考えて、担うべき「本当の十字架」を負って主に従ってゆきましょう