*2002年2月10日メッセージノート*
神の奥義(神の秘められた計画)その2:
神のご性質 - 実体と特質1.神の実体
a. 霊的人格(ヨハネ 4:24, コロサイ 1:15, ローマ 1:20)
b. 自存(出エジプト 3:14, 黙示 1:8)
c. 無限の存在(1 列王 8:27, 2歴代 2:5, エレミヤ 23:24, 使徒 17:24-28)
d. 永遠(詩編 90:2, 102:28, イザヤ 57:15a, 黙示 4:8)2.神の内面以外の特質(神が何をなさるか)
a. 偏在(詩編139:7-10, ヘブル4:13)
b. 全知(詩編139:2-6, マタイ10:30, 詩編 147:4-5, エレミヤ 1:4-5)
c. 全能(創世記 17:1, 黙示 4:8, マタイ19:26, エレミヤ 32:17)
d. 不変(ヤコブ 1:17, マラキ3:6, ヘブル1:12, 詩編 33:11)3.神の内面の特質
a. 聖さ(レビ11:44, 1サムエル6:20a, 詩編22:4, 黙示 4:8)
b. 義と公正( 2歴代 12:6, エズラ9:15, 詩編 97:2)
c. 善良(1ヨハネ 4:7-10, 詩編145:8-9, エフェソ2:4-7, ヤコブ2:13)
d. 真理( 詩編 119:151, 160, 箴言30:5, エレミヤ10:10, ヨハネ17:3,
1ヨハネ5:20)*メッセージのポイント*
神さまはあまりに大きく、畏れおおいお方なので、私たち人間には神さまを完全に理
解することはできません。神さまを言い表すための言葉さえも十分ではないほどです。
このことによっても、神さまは唯一、真の、生きる神であると言えるのです。*ミニチャーチ*
神さまを言い表す時にあなたが使う、ことばや表現、その他の方法をシェアしてくだ
さい。 また、そのことをシェアするとき、どんな思いや感情を持ちますか。
ディボーションノートディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所はメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。
2002年2月11日(月) 出エジプト記3:11-22、コロサイ1:9-20人知では図り知ることのできない神様、その姿さえ見ることもできない神様に従ってエジプトからカナンの地に向かったイスラエルの民のことを考えると、彼らの多くの不信仰や失敗にもかかわらず、よく約束の地に入れたなあと感じます。ほとんどモーセの信仰によってみんなでよりかかって何とか入れたという感じです。このことを考えると、イエス様が人としてきてくださったことが本当に大きな恵みに感じられます。もう私たちはイエス様に従うことを通して御心を知りながら歩むことができるのです。言葉も、行いも、神様ご自身がイエス様としてお手本になってくださった以降の時代に生まれて本当によかったなあと思うのです。もちろん依然としてわからないことはたくさんあります。でも「イエス様に従ってゆくためには、全部を知る必要は全くない」ことがわかっているので、私は安心してイエス様についてゆけるのです。
2002年2月12日(火)2列王記 8:27-32、使徒言行録17:22-31聖書が神様について描写しているところを読むときに、私たちが注意しなければならないのは、限界のある人間の言葉で書かれているということです。天国について、終末について、書かれた当時の人々がわかる表現で書かれているのです。たとえば旧約の時代の人は、地球が丸いことも、地動説も知りませんでした。その人々にわかる言葉で書かれているということです。聖書は私たちに対する神様の心や願いを伝えるものであって、未来の精密なデザインを引き出すためのものではありません、自然科学の成果を否定するための証拠にもなりません。ここを間違えると、本来同じ基準では語れない「進化論」と「創世記」を公立学校でどちらを採用すべきかなどといった類の不毛な議論をはじめることになってしまいます。
2002年2月13(水)詩編139:2-10、ヘブライ4:13、マタイ 10:30、エレミヤ 1:5この地上での神様のはたらきを想像してみると、神様がどんなに忙しい方かが分かります。ここで私の祈りをじっと聞きながら、他の人に対し癒しのはたらきを行い、またある人を励ましたり、まだ神様を知らない人に対しても働きかけながら、新しいものを生み出したり。神様は全ての人に関わっているのだから、このようなことが同時に全世界にくり広げられているのです。私たちの必要を満たすために、休みもなく忙しくはたらいているのが神様なのです。いつも誠実に惜しみなくはたらいてくれる神様の姿は「仕える者」に他なりません。いつも神様に仕えたいと願っている私たちですが、神さま自身が私たちに仕えてくださっているのが実情なのだと思います。そして仕えるという点でもっと分かりやすいお手本としてイエス様が与えられているのです。
2002年2月14(木)創世記1:29-31、ローマ8:18-25最近読んだ本に、とても興味を惹かれました。著者は聖書が結局のところ人間に菜食主義を勧めていると考えている人で、食いしん坊の私にはちょっとついていけないところもあるのですが、本の中の彼の警告にはまじめに反省しなければならないと思いました。彼が言うには神様の最初の指示には、人間には植物を食物として与えられたのですが、堕落の過程を通して「仕方ないこと」として動物を食べることを許したということです。クリスチャンの中でも「神様はすべての自然を人間のために作られた」という考えが強く、人間以外の動物の権利を軽視している傾向がある、という彼の意見には私も賛成です。神様はご自身の栄光のためにすべてのものを創られたこと、すべての被造物にたいして神の国が開かれていることを覚えて、今、目に見える世界の管理をまかせられている者として、人間中心主義に陥らないようにしたいと思いました。この人間中心主義は「神は全世界の、そして、全ての生物や非生命体も含む万物の創造者であり、神の力と御心が全世界を支配している。神は完全であり変わることがない」ということを否定することにつながります。
2002年2月15(金) レビ記11:44、詩編22:3、詩編97:3 歴代誌下12:6神さまが完全な方であると言うことは、皆さんもご存知のとおりです。聖さ、高潔さ、正義、公正において、その完全さは人間と比較することは到底できません。どんな立派な王や指導者でも人間は必ず罪を犯しますが、神さまには悪を行なったり、罪を犯すことはできないのです。旧約聖書の中でも最も偉大な王とされるダビデでさえ、他人の妻を横取りし、その夫を死に至らしめるという大きな罪を犯しました。現代においても、一国の大統領や王室の性的スキャンダル、政治家の汚職事件、裁判官や警官の犯罪など枚挙にいとまがありません。しかし、神さまはその完全なる聖さや正義を理由に私たちを見下げている方ではないのです。こんなにも罪深い私たち人間に、キリストを通して神の聖さにあずかり、神に近づくことのできる道を与えてくださいました(ヘブル10章)。改めて神の大いなる愛と恵み深さに感謝し、賛美をささげたいと思います。
2002年2月16(土)1ヨハネ4:7-10、詩編145:9、エペソ2:4-7、詩編119:151、160、箴言30:5、ヨハネ17:3、1ヨハネ5:20近年日本でもボランティア活動への関心が高まっているように、人間には本来「良いことをしたい」という欲求があるのではないでしょうか。なぜなら神様の存在そのものが愛、憐れみ、思いやりや恵みであり、人間はその神様に似せられて創られたからです。困っている誰かを助けること、あわれみの心をもつことは、クリスチャンでなくてもそれを実践している人はいます。同時にこれらのものは、神を知っている人々を通してこの世に現されるものだということを、聖書は教えています。神様を知らずとも、自分の感情や力で一時的に愛することはできますが、これら全ての良いものを惜しみなく流し続けていくには、その源流である神様の内にとどまっていなければ、到底続けられることではありません。私たちは単にクリスチャンであることに満足するのではなく、愛である神様にしっかりつながり、この愛を世に示していけるように求めていく必要があるのではないでしょうか?また神様は真理そのものであり、正しい裁きをされる方です。私たちはこの世の中の不正などに対して、断固とした態度をとらなければならないこともあります。そのためにやはり真理そのものである主にとどまっている必要がありますが、私たち自身に正しい裁きを行えるのではないこと、神様だけが唯一正しく裁く方であることを忘れてはならないと思います。