*2003年2月9日 シリーズ「ユアチャーチ・カヴェナント」(4)

わたしはメンバーとして教会の経済的必要を満たし、また宣教活動に大胆にささげます

1)神様に祝される生活態度と主の弟子としての生き方をするによって

神様を信頼(箴言3)し畏れ敬う心(箴言1:7、ヘブライ5:7)が正直(箴言6:13、16-19、コロサイ3:9)・勤勉(箴言6:6、13:4、21:5)・親切・慈悲深さといった生活態度に表れます。聖書ではそれを「霊の結ぶ実」と表現しています。旧約聖書では特に箴言に神様に従うものにふさわしい生活態度について詳しく記されています。(6:6-11)箴言で繰り返し教えられているように勤勉であることは、与えられている恵みを有効に用いるという点で大変重要なことです。怠惰であるなら献金はおろか衣食住にも困ることになってしまいます。また霊の結ぶ実として紹介されている、親切、善意、誠実こそが私たちの捧げものの原動力であって、強いられて、また自己満足のためになされるものではありません。

わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。(ガラテヤ5:16-26)

怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ/しばらく手をこまぬいて、また横になる。貧乏は盗賊のように/欠乏は盾を持つ者のように襲う。(箴言6:6-11)

2)収入の十分の一を定期的にささげることによって

メンバーが教会の働きのためにどれくらい献げたら良いのか?その答えは聖書にあります。聖書から読み取れる原則は、1)自発性 2)収入に応じて 3)1/10 です。ユアチャーチでは誰がどれほどの献金をしているか牧師もリーダーも知りません。あなたと神様との約束として守ってほしいのです。まだ実行していない人には、3カ月試してみることをお勧めします。きっと、そのことによる祝福を実感して、やめたくなくなるはずです。

"わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。" コリントT16:2

つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。 「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なくすばらしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。(2コリント9:6-15)

"十分の一の献げ物をすべて倉に運び わたしの家に食物があるようにせよ。これによってわたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。"マラキ3:10

3)主が与えてくださることを信じ、神の国に投資(宝を積む)することによって

最近では小学校でも株の売買のシュミレーションのクラスがあるそうですが、福音書の中にも素晴らしい投資の才能を持った少年がいます。(ヨハネ6:1-13) 彼は周りの人々が飢えていることを知り、助けたいと思い、自分の持っている物に目を向けたのです。それがとうてい多くの人の飢えを満たせるものではないことは子供でも分かっていました。賢い大人ならこう考えるでしょう。「どうせこれっぽっちでは役立たないから、自分一人でこっそり食べてしまおう」でも彼は違っていました。「自分が思い切って捧げるなら、神様が何倍にも増やして役立てて下さる。」と考えたのです。皆さんは神様の奇跡を見たいと思いますか?それならあなたが第一歩を踏み出さなければならないことを聖書は教えてくれます。この奇跡だけでなく、水をワインに変えたときも、多くの癒しの場合も、誰かが一歩を踏み出した時に奇跡は起きたのです。一昨日、「心の病を持つ人の友となる」という題のクリスチャン精神科医の講演を聞きに行きました。このような方たちの友となるためには、ある程度の時間とお金をかけて学ぶ必要があるようです。山本久美子さんは、この学びを始めるそうですが、これこそ神の国への投資です。久美子さんが得た知識や経験が教会でもシェアされユアチャーチも心の病を持つ人々が安心して集える教会となるのです。このセミナーを主催しているNPO、キリスト教メンタルケアセンターもまた一人のクリスチャン女性の「神の国への投資」から始まったそうです。彼女は10年前に、この医師の講演を聞いて「心病む人の友」となることのできるクリスチャンが増えれば素晴らしいと思い立ち、自分の事業で得た利益をささげたのです。これらの投資のリターンはお金では返ってこないのです。しかしそれはあなたの人生を、友情、充実、満足、喜びといったお金では決して買うことのできない良いもので満たすのです。そして最も大きなリターンはあなたが天国に帰った時、イエス様があなたを迎えて「あなたは地上で私に代わって良い仕事をしてくれましたね。おつかれさま」と労って下さることだと私は思います

その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。(ヨハネ6:1-13)

"それはみな異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。" (マタイ6:32-33)




メッセージのポイント

聖書の時代、人々の仕事は農業、牧畜、漁業などが中心でした。これらの収穫は神様からの恵みです。人々はここから十分の一を献げものとして最初にとりわけ献げたのです。献げものは祭儀のため、困窮者の福祉のため、相続地を持たず祭司職や聖所での労働に携わるレビ人のためにもちいられました。現代の社会では、労働によって賃金を得る人が多いので収入が神様からの恵みという感覚は薄れていますが、現金収入も収穫と同じように神様からの恵みに変わりはありません。神様から与えられた計画を推進するために、教会を経済の面で支えることはメンバーの責任です。この責任を果たすために大切なことは主の弟子にふさわしい生活態度を身につけること、十分の一献金をささげようという決意、そして神の国の前進に対して積極的な投資家となることです。神様があなたに望まれることなら、あなたが始めれば神様はやり遂げる力を与えてくださいます。

話し合いのためのヒント

1)主の弟子にふさわしい生活態度とはどのようなものなのでしょうか?

2)教会の献金とクラブなどの会費とどこが違いますか?