*2003年3月2日シリーズ「祈りの原点・主の祈り」(8)

国と力と栄えが限りなく神様のものだから

 あいだにクリスマスやカベナントのシリーズが入ったので、忘れている人もいると思いますが、今日は主の祈りのシリーズの最終回です。今日の部分は、ですから、当然、主の祈りの最後の部分ということになりますが、私たちの聖書にはこの部分がありません。KJVにはありますが、それ以降の研究により、後世に付け加えられた部分であることがはっきりしたからです。しかしイエス様の実際の言葉でないとしても、この部分は主の祈りを祈る人に「祈りは聞かれる」という確信を与えてくれます。

昔、アメリカで旅行中、お金を受け取るという機会がありました。相手は財布ではなく何かメモ帳のようなものを取り出すとさらさらと金額を書き込みサインをしてメモ帳から一枚切り離して渡してくれました。それは手書きの金額と絵のようなサインそして始めて聞く銀行の名前の印刷された紙切れです。知人ではなかったのでそれが本当に銀行に持ってゆくと現金に変えてくれるのだという説明にとても不安になりました。それは日本ではあまり使わない個人用の小切手です。

皆さんの中にはその小切手と同じように、今まで学んできた主の祈りが、本当に力があるのか、現実の生活の中で有効なのかと疑問に思っている人もあるかもしれません。今日の部分は、主の祈りを祈ることのできる根拠で、あなたの疑問に答えてくれるのです。


A 主の祈りを祈ることのできる根拠

1)世界を創られた方なのだから (詩編136)

主が創造主であるということは、主が全知全能であり誰よりも大きな権威を持っておられるということです。今は銀行でも簡単に破産してしまうような時代ですが、今でも多くの人は偶像を礼拝し祈ったり願ったりしますが、唯一の神様以外に本当にあなたにふさわしいものを与えることのできるものはありません。


2)私たちの罪を赦した方なのだから (マルコ 2:1-12)

ある人は「私はあまりにも罪深い存在で、神様の恵みを受ける資格がない」といいますが、唯一の神様はすべての人の罪の赦しのために人となられ十字架にかかられたのです。主の祈りを祈る資格というものがあるとすればそれはただ自分が「赦された罪びと」であるという自覚以外には何もないのです。


3)今も私たちを導いておられる方なのだから (ヨハネ 16:5-8)

私たちには聖書を通してしか神様を見ることはできません。イエス様はほんの短い間、人として姿を現され私たちの中を歩まれましたが、十字架の死の後復活された後、天に帰られたのでこの世界においては今では彼を見ることはできません。しかし彼は今霊として私たちを導いておられます。

B 国・力・栄

1)前進し続ける神の国の権威によって(ルカ 12:22-34)

アメリカは東から西に向かって開拓されていった国です。今まで誰も所有していない土地はここは私の土地だと宣言し開墾した者の土地になったという時代があったのです。神の国も同じようにあなたの行くところ行くところでその拠点を広げてゆくのです。心の中で「ここは神様あなたの国です。どうぞあなたがここを御心にかなって支配してください」と学校でも、職場でも、家庭でも宣言し、あらゆることについて神様に期待しましょう

2)聖霊によって現される実際の力(使徒言行録 1:7-8)

キリスト教は「愛」を強調するので、ある宗教の人は「キリスト教には愛はあるかもしれないが、何の力もない宗教だ」と言っていました。使徒言行録を読めばそれは誤解であることがわかります。愛と力は反意語ではありません。愛のないところに本当に強い力は働かないのです。私たちは絶望の中でも、神様が力を持って事態に介入してくださることを期待して主の祈りを祈ることができるのです


3)私たちを通して神様の栄光は世界をてらす(ヨハネ 2:1-11)

主の栄光の光のおおもとはもちろん神様です。でも光るのは栄光の担い手である目に見える教会=私たち一人一人です。ただ私たちは油断をしていると神様の栄光を自分のものだと錯覚して、神様から栄光を奪い取り、高慢になったり、独善的になったりしてしまいます。高慢な心、独善的な心は主の祈りを心から祈ることはできません。この輝きがどこから来ているのかを知っている人にとって主の祈りは本当に力のあるものとなるのです。

メッセージのポイント

私たちの祈りの原点として学んできた主の祈りは「国と力と栄えが限りなくあなたのものだからです、アーメン」という賛美の言葉で締めくくられています。私たちは目に見えるところがどんなであろうと、あらゆる物事が神様の主権の下にあることをいつも確信して、このように祈ることができるのです。最後の「アーメン」も私たちにとっては飾りの言葉ではなく、「本当にそのとおりです」と感謝と期待に満ちた神様への応答なのです。

話し合いのためのヒント(まず一緒に主の祈りを祈ってみましょう)

1)「主の祈り」を大胆に確信を持って祈ることができるのは何故ですか?

2)国・力・栄とはそれぞれ何を意味していますか?