*2003年4月13日メッセージノート/シリーズ「十字架と復活」(2)
受難週の黙想(もくそう)
イエス様が子ロバに乗ってやってきた 棕梠の日曜日(エルサレム入城)ヨハネ12:12-19
もし彼がこの世の王として来られたなら軍馬に乗ってこられたはずです。まだ小さく力もない子ロバに乗って人々の前に姿を現されたイエス様は、やはり人々の「ヘロデを倒し新王国を立ててくれるのでは」という期待とはミスマッチでした。十字架で処刑されるという出来事が、目に見える新王国を立てるよりもっと大きな勝利の始まりだったということを、弟子たちでさえ復活という出来事を通して初めて分かったのです。イエス様の救いに与ることを人間的な常識や,先入観が邪魔をすることがあります。私たちはそういったものに惑わされず、むしろ力も経験もとぼしくてもイエス様をお乗せして懸命に歩いた子ロバのようにイエス様に従って歩みましょう。
神の家を商売の場としてはいけない 月曜日(宮潔め) マタイ21:12-13
教会の交わりは本当に楽しく慰めにあふれています。でも私たちがそれを自分の目的のために利用とするなら(知らず知らずのうちにやってしまうものです)教会も私たち自身も本来の歩みを踏み外してしまうことになります。
神様が与えられた権威を持っている私たち 火曜日(権威についての問答) マタイ21:23-27
人はさまざまな権威を持っています。でもあなたが持っている一番大きな権威は「神の子供」という権威です。それは人に直接、物質的な益をもたらすものではないので人々は軽視しますが、この大きな権威はこの世界のあらゆる権威に勝るものです。なぜならこの権威なしに人は正しく生きることができないからです。
人を自分の価値観で裁いてはいけない 水曜日(べタニアの日・香油の日) マタイ26:6-13
神様は誰か一人の価値観(ひとつの国や文化の価値観)だけを支持されているわけではありません。私たちは福音を伝えようとしているのであって、表面的なライフスタイルを押し付けようとしているのではありません。
互いに仕え合う僕として生きてゆきなさい 木曜日(最後の晩餐) (ヨハネ13章)
足を洗うのは、その家の奴隷の仕事でした。だからイエス様が弟子たちの足を洗おうとしたとき、弟子たちは驚いて拒絶したのです。常識では考えられないことだったのです。ここにイエス様が教える、真のリーダーシップ・真の人間関係があります。それは互いに地位や年齢や性別や関係にかかわらず仕え合うということです
あなたの人生のターニングポイント 受難の金曜日 マタイ27:27-56 ガラテヤ3:1-14
十字架はイエス様の死のシンボルです。クリスチャンではない人にとっては単なるアクセサリーのデザインの一種に過ぎません。でも私たちにとっては主が私の罪のために苦しまれ、神様は私を赦されたところなのです。ガラテヤ人の手紙は私たちの問題を「罪」よりもっと恐ろしい「呪い」という言葉で表現しています。あなたも私も、イエス様の十字架なしには呪われた人間のままなのです。罪と言われてピンと来ない人も「呪い」という言葉には衝撃を受けるのではないでしょうか?どんな残虐な人間も生まれたときからそうであったわけではありません。でも一度権力などの力を持ち始めるとそれは他の人や民族を抑圧したり命を奪っても正義だと言い張ります。私たちの性質も神様の目から見れば残忍な独裁者と変わりはないのです。この呪いを自分で解くことのできる人は一人もいません。これを解くたった一つの方法が「主が私のために十字架つけられたこと信じる」ということなのです
イエス様は宣教するために陰府(よみ)に下られた 土曜日(暗黒の土曜日) 1ペトロ3:18-22, 4:6
イエス様は死んで三日目に甦られました。二日目は何をされていたのでしょうか?残念ながらどの福音書にもその間の経緯は書いてありませんが、1ペトロの三章と四章によるとイエス様はただイースターの朝を待っていたわけではないことが分かります。それはイエス様が地上では宣べ伝えたくても伝えられなかった人々、つまり世を去った人に福音を伝えるために用いられた日だったのです。死んだ者にさえ福音が宣べ伝えられるという事実は、日本のように異教の伝統を持つ国のクリスチャンにとって大きな慰めであり希望です。主を受け入れることなく世を去った愛する者たちにもイエス様は直接出会ってくださるというチャンスがあるということです。
メッセージのポイント
教会は伝統的にイースター直前の一週間を「受難週」と呼び、イエス様の十字架に至る道を共にたどるかのように深く黙想する時として守ってきました。あなたもこの週を一年でもっとも大切な週、黙想し、聖書を読み、祈る時としてすごしてください
話し合いのためのヒント
1) 日曜から木曜までに起きた出来事で興味深かったのは?それは何故ですか?
2) あなたの人生に十字架はどんな意味を持っていますか?