*2003年4月27日メッセージノート*

主はよみがえられたけれど・・・イースターメッセージ(2)ヨハネ20:19-21:25

 あなたの中でバプテスマを受けたときの喜びが今でも持続していますか? バプテスマは罪に生きた自分が死に、新しい永遠の命に甦ったことの象徴です。つまりそれはあなたにとってのイースターです。先週はイースターを一緒に祝いました。教会が日曜日を礼拝の日と定めたのは、それが「復活の日」だったからです。復活は年に一回だけ祝うものではなく、毎週の日曜日に覚えて祝うべき日なのです。それは私たちが毎週、復活のイエス様を礼拝することにより、彼と共に毎日を過ごすためです。でも最近、何人かの方から「主が共にいてくださるということが、はっきり分かるときもあるけれど、よく分からなくなってしまうことがあり、主と共にいるという喜びの感覚が長続きしません。私の信仰大丈夫かな?」「どうやったら24時間張り切って最初の弟子たちのように主と共に歩めますか?」と聞かれました。

 皆さんもこの答えが聞きたいと思います。そこで今日は「24時間元気で明るいクリスチャン生活をおくる方法」を教えます。と言いたいところですが、そんな方法はどこにもありません。それは「寝ている間に無理なく記憶できる睡眠学習法」とか「聞き続けているうちに突然、英語がしゃべれるようになるテープ」「あなたは座ったままでペダルが勝手に回ってやせられるルームサイクリングマシン」とおなじでありえないことです。

 大体24時間元気溌剌スーパークリスチャンなんて初代の弟子たちを含めどこにもいないのです。もしあなたが自分の信仰の健全さを「聖霊を感じられるか?」とか「魂が燃えているか?」といった感覚に頼るなら誰だって、自分の信仰はローラーコースターみたいに不安定なものだということになるでしょう。感覚は当てにならないものです。むしろ私たちは十字架と復活を通して神様が完成してくださった救いの事実に頼って生きるのです。

A 主が3回も姿を現さなければ弟子たちは確信がもてなかった

イエス様と生活を共にしていた弟子たちにとって、目に見えないイエス様に従ってゆくということは、私たち以上に困難だったようです。イエス様は彼らを励ますために3度も復活の姿を見せられました。(21:14)

1) 平安、人生の目的、権威を得るために聖霊を受けよう(20:19-23)

復活して最初に弟子たちに姿を現された時の彼らはまったく情けない状態でした。からの墓と残されていた亜麻布だけではとても復活を信じることはできなかったのです。イエス様はこんな状態の彼らに姿を現し、弟子たちだけでなくすべてのクリスチャンにとって3つの大切なことを彼らに伝えました。それは1)主と歩み続ける人に平安がとどまる。2)あなた方を世に派遣します。(人生の目的)3)あなた方に罪を赦す権威を与えます。そしてもっと大切なのは、それが可能となる力「聖霊」を受けなさい、といわれたことです。

 彼らは「主を見て喜んだ」と書かれていますが、その喜びと確信は長続きしなかったようです。

2) 信じない者ではなく信じる者になりなさい(20:24-31)

彼らはまた鍵をかけて家の中に閉じこもっていたのです。イエス様を見ても世に対する畏れはまだ消えてはいないようです。ここにイエス様を見なければ信じないと言い張ったトマスもいました。イエス様はトマスのリクエストに答えてわき腹の傷に触れて確かめるよう勧めました。トマスはやっと信じたのです。イエス様が言われた、見ないで信じる者とは誰のことでしょう。弟子たちはみな見て信じた者です。それはあなたのことです。地上で生きられたイエス様にも、肉体を持って甦られたイエス様にも会った事はありません。それでも救い主イエス様が共に歩んでいてくださることを信じている。私たちは最初の弟子たちより幸いな者なのです。見ないで信じる者は聖書の証言を信じて歩みます。またキリストの体である教会を信じ、自分もその一部として生きるのです。この歩みの中で与えられる日々の恵みが、聖書の証言をより確かなものとして受け止められるようになることを助けてくれます。

3) 恵みの記憶がよみがえる(21:1-14)

彼らが目に見えるイエス様なしに宣教の働きを始めるためにはもう一回主が現れ、彼らを力づけ、確信を与える必要があったようです。彼らは宣教をあきらめて漁師に戻ったわけではありませんが、まだ与えられた働きをする確信は無かったのです。ティベリアス湖はガリラヤ湖の別名です。ここでは夜が漁に適した時でしたが、この夜は魚はまったく取れず、朝になろうとしていました。がっかりしていて岸から声をかけたのがイエス様であることにも気付きませんでした。皆さんはこれに似た出来事がもっと前にあったことを覚えていますか?(ルカによる福音書5:5以下)あの時も夜通しの漁にもかかわらず何もとれませんでした。そしてイエス様の言葉のとおりにすると多くの魚が網にかかりました。まったく同じことが起こってさすがの弟子たちもイエス様に気付きました。

 誰よりもイエス様のそばにいたいというペテロの気持ちはよみがえり、船が岸に向かうことを待てずに服を着て水に飛び込んで岸に向かって泳ぎだしました。主が過去にしてくださったことが、彼に力を与えたように私たちに踏み出す勇気を与えます。恵みの記憶を大切にするということは決して後ろ向きなことではありません。愚かな人は過去を振り返ったまま前進しません。もっと愚かな人は過去振り返ることなく前進して失敗します。賢い人は過去から学んで将来に生かします。

 ここで少し彼らしさが出てきたペテロですが、この時点ではまだ使徒として教会の創始者として活躍するためには癒されなければならない心の傷が残されていました。それは捕らえられたイエス様を「自分とは関係ない」と否定したことによって付けられたものです。人間の弱さはしばしば裏切りという形で現れ、裏切られた者ばかりか、裏切ったものの心も傷ついてしまいます

B 主を愛する生き方をしよう

イエス様はそんな弱さを自覚しているペテロをどう立ち直らせたのでしょうか?ここに私たちが自信を取り戻すヒントもありそうです。

1) 主の羊を養う(21:15-16)

「私を愛しているか」との問いかけにペテロはどう感じたのでしょうか?彼の心には「自分は裏切り者で、愛しているという資格なんて無いんじゃないか?」という大きな葛藤があったのです。

 でも「あなたと歩むのでなければ自分の人生はむなしいのです。こんな私ですが愛していると言わせて下さい」そんな気持ちが彼の答えに現れています。それに対してイエス様は具体的に「私の羊を養いなさい」と命じられました。クリスチャンとして生きるということ、主を愛して生きるということは例外なく「自分に委ねられた羊を養う」という生き方です。

 イエス様はよい羊飼いは羊のために命を捨てると教えられました。それはイエス様の生き方そのものです。(ヨハネ10:11)あなたは自分に委ねられた羊を、心を込めて養っていますか?

2) 主はあなたが弱いことをよく知っている(21:17)

三回も同じ事を聞かれてペテロははっとしました。自分も三回、イエス様を否定したことを思い出しました。そして悲しくなったのです。でもペテロは三回目にも「愛しています。でもあなたは私の弱さもご存知です」とこたえています。ここが私たちの見習うべきペテロのいいところです。イエス様はペテロを困らせるために三回も同じことを繰り返したのでしょうか?そうではなく「あなたが何度私を知らないといったからといって私は決してあなたを見放さない、どんなに弱くてもあなたを用いる」ということを彼の心に焼き付けたかったのです。このことは私たちにとっても素晴らしい恵みです。私たちは転んでもつまずいても、そのたびに差し伸べられた主の手にすがって立ち上がり、あなたがもう行きたくないと言わない限り、ついてゆくことを許されているのです。

3) 自分の勝手ではなく主の与えられる道に歩む(21:15-19)

「ペテロは晩年殉教の死を遂げることになります。それでもあなたは私に従ってくるのですか?」イエス様の最後の「私に従いなさい」にはそんな問いかけが含まれていました。それが殉教の死で終えるとしても主にしたがってゆくことが彼にとってもっとも価値のある生き方であることをペテロはこのときはっきりと自覚しました。

 神様を信じるといっても「神様がいつも自分の道を進むことを助けてくれる」と信じるのと「主の求められる道を歩むことが最高の選択だ」と信じるのでは大きな違いがあります。前者の生き方では生涯を振り返るときに満足することはありません。しかし後者はそれが何時来ようと、どんな形で来ようと感謝と喜びのうちに天に移されることになるのです

4) 主とあなたとの関係が最優先(21:20-25)

 ペテロの最後に克服しなければならなかったことはヨハネに対するライバル意識でした。ヨハネは周りから見てもイエス様に特に愛された弟子だったと言われています。年が若かったこともあってイエス様に甘えることのできる青年だったので彼がどうなるかが気になって仕方なかったのです。

 セキュラーなヒットソングでも時々福音の核心をついているものが登場します。みなさんは今スマップが歌っている「世界でたった一つだけの花」という歌を聞いたことがありますか?《多くの人はナンバーワンを目指して争うけれど、本当は一人一人がかけがえの無いオンリーワンという存在なのだから、人のことは気にせずに自分にふさわしい花を咲かせようよ》といった内容の歌です。神様はあなたが誰かと競争して優れたものと認められることを望んでおられるのではありません。あなたが主との個人的な関係を大切にしてあなたらしい花を咲かせることを望んでおられるのです。あなたの花をきれいに咲かせるのに必要なことは誰かを意識して競争することではなく、あなたに委ねられた主の羊を、心を込めて養うことなのです。

メッセージのポイント

復活された主に会った弟子たちでも、すぐには恐れや疑いから脱け出せず、前向きになれなかったようです。イエス様はそんな彼らに3回も姿を現され、じっくりと教えられました。現代の弟子である私たちは、イエス様がおっしゃった「見ないで信じた者」です。自分の感情に頼っているなら、疑いや失望に振り回されてしまうのは当然です。私たちの信仰が十字架と復活という事実に基づいていること、聖霊に満たされることなしには保てないこと、数え切れない恵みによって今までの歩みを支えられてきたことを心に刻み付けて歩みましょう。主を見上げて歩むならば、リアルタイムに降りかかってくる一つ一つの問題に振り回される必要はないのです。

話し合いのためのヒント

1) 主を愛するものの生き方とは具体的にどのようなものでしょうか?

2) 主があなたに委ねた羊たちはどこにいますか?