*2003年5月11日メッセージノート
黄金法則 (ゴールデンルール) マタイ7:1-14
SARSが特に中国で猛威を振るっています。かかってしまった人の癒しと、これ以上の蔓延が広がらないように祈りましょう。先週のニュースでは、北京で「ヤクルト」がよく売れているとのことです。ヤクルトは日本の健康飲料ですが、「日本で発症しないのは、みんながヤクルトを飲んでいるからだ」という噂がたったからだそうです。多分そんなに多くの人が飲んでいるわけではないと思いますから、私はむしろ韓国に広がらないのは「キムチ」のおかげだと見ていますので、中国の人には「キムチ」を試すことを勧めたいと思います。どちらにしても思いつきに過ぎませんが、実際にやってみて広く効果が認められるということになると、それは「法則」と呼ばれるようになります。これは科学で使われるような学問的な意味での「法則」ではなく日常生活の中でなるほどと感じられる事柄のことです。みなさんは「マーフィーの法則」をご存知ですか。「車を洗うと雨が降る」「午後に予定があると決まって牧師の話は長い」とか、最近私が発見したのは「本屋で立ち読みをしていると一番面白いところに限ってスリップが入っていてすぐには読めない」皮肉なことがおこりやすいというもので、大抵の「何とかの法則」というのと同じように面白いけれど役に立つものではありません。
今朝は聖書の中で「ゴールデンルール」と呼ばれているイエス様の言葉についてお話します。これはほかのどの「法則」よりも役に立ち、逆に使わなければ大きな損失となるのでよく聞いてあなたの人生の法則にしてほしいのです。
◆人を裁くな (7:1-6)
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
1)あなたに裁判官の資格はない(ローマ14)
裁いてはいけない理由は二つあります。ひとつは人を裁く権利はその人の主である神様しかもっていないからです。あなたを裁くのも同じ主であり、誰よりも正しくあなたを裁かれます。もしあなたがその権利もないのに人を裁くなら、あなたは神様の保護の外に出て、人間同士の果てしない裁き合いを選ぶということになるのです。
2)あなたも完全ではない(ローマ12:14-21)
第二の理由はもっと実際的なことです。本当の裁判の重要な判決でも何年も後になって間違っていたことがはっきりすることがあります。あなたが人の言葉や行いを見てする判断も一面的であることが多いのです。ひと時の判断で人を裁いてしまうと後悔が残ります。
3)共に神を見上げる人間関係を大切にする(ローマ15)
あなたの直面している人間関係が友好的なものであれ敵対的なものであれ、お互いに不完全であり、間違うことがあるということを認め、相手が自分の受け入れられないことを言ったりしたりしたときには、両方の主であるイエス様に正しい裁きを願ったらよいのです。相手がクリスチャンであればどんなに大きな行き違いがあってお互いに顔も見たくないと思っていたとしても、相手が同意すれば、共に主を見上げることだってできるのです
◆神に求め、人に与えなさい (7:7-12)
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
今までお話したことはイエス様のゴールデンルールの内容の一部です。その中心は人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさいというところです。イエス様はこのルール有効である理由として「神様はどういうお方なのか」ということから話し始められました。
1)答えを与えてくださる神様
その理由とは神様があなたに本当に必要なものを本当に必要なときに与えてくださるということです。だから私たちは自分のことは心配せずに与えることができるのです。先週お話した6章にも同じ内容のことが書かれていたのを憶えていますか?「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはみな加えて与えられる」(33)とありました。だから一方的に与え続けることに不安を持つ必要はないのです。
2)黄金法則(ルカ6:37-38)
ルカ6:37-38を開いてみるとゴールデンルールがもたらす結果が記されています。開いてみましょう。12節の終わりに、このゴールデンルールは律法と預言者そのものですとありますが、それは「旧約聖書」そのものだという意味です。旧約聖書の本質が、このゴールデンルールなのです。問題はそれをどう身に付けることができるかということです。
◆狭い門から入りなさい (7:13-14)
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
それでは、旧約聖書を与えられながら神様に従い通すことのできなかったユダヤの民のどこに問題があったのでしょうか?それは旧約を自分の力で守ると考えたところです。黄金法則の問題点はイエス様を信じない人には使えないという点です。いくら与えなさいといわれても、確かなリソースがなければ続けることはできません。
1)安易な道は滅びに向かっている
この国ではクリスチャン人口は1パーセントくらいですが、キリスト教国といわれるアメリカやイギリスでは、クリスチャンになることは狭い道ではないように思えます。でも自分を捨て自分の十字架を負って日々イエス様に従って歩いている人(ルカ9:23)は今も昔もどこの国でもそう多くはありません。でもイエス様はあなたにそのように歩んでもらいたいと願っておられます。
2)少数派であることを恐れない
多数派の中に身をおくことは気楽なことです。私たちは時々クリスチャンの良心に従おうとすると、馬鹿にされたり時には迫害されたりすることもあります。そのためにイエス様はいつも一緒にいてくださり、必要な仲間・知恵・勇気を与えてくださるのです。
3)見出すことのできた恵みに感謝しよう
この狭い道に入って来る者が少ないのは、広くて面白そうな滅びの道の入り口ばかりが目立っていて、その入り口を自分の力や判断では見出すことができないからです。主を信じて従おうという決心は、神様が私たちの心に一方的に与えてくださる恵みなのです。
メッセージのポイント
誰でも自分の判断が正しいと思いがちですが、その判断はいつでも正しいとは限りません。相手の善悪や価値を決め付けてはいけない理由は、私たちがそれをする能力も資格もないからです。もちろん社会の中では正義や善が追求されなければなりません。そこで大切なことは自分を絶対とするのではなく、また相手を絶対とするのでもなく、お互いが不完全なものとして、共に神様を見上げ赦し合う存在だと認めることです。「自分の必要は神様に求めて、相手には与えることを求める」というゴールデンルールに従う生き方を神様はあなたに求めておられます。この生き方は始めてみると素晴らしさが実感できるのですが、入り口は大変狭く見えるのです。自分の価値観や生活の優先順位を見直すよりも、従来どおりの、自分の欲望に従って行くほうがずっと安易に感じられるからです。
話し合いのためのヒント
1)あなたが裁判官でないのだとしたら誰が正しい裁きをするのでしょうか?
2)あなたは周りの人たちにとってどんな存在でありたいと思いますか?