2003年5月25日メッセージノート

人生を確かな土台の上に築こう Mat.7:15-29

先週はお休みをいただいて息子の大学の卒業式に出席してきました。彼を22年間育ててゆく中で何度か彼が私よりも早く天に召されるという事態を想像したことがあります。それは私に悲しみと恐れの感情を引き起こすものでした。しかし同時に、そのようなことが起こったとしても私の神様に対する信頼は消えることはありえないという確信もあたえられました。何故なら私はイエスキリストという土台に人生という建物を築いているからです。誰も人生の長さを変えることはできません。得たものは決して失われないという保障もどこにもないのです。建物がどんなに素晴らしくても土台が悪ければ、地震などの災害で大きなダメージを受けてしまうように、あなたの人生においても、どんな基礎の上に人生を築いているか、ということのほうが、そのときそのときの満足や成功よりも大切です。なぜなら目に見える人生の成果は一夜にして失われることもあるからです。人生の土台とは分かりやすく言えば、あなたの人生の目的、生活のプライオリティーのことです。多くの人にとってそれは財産であり、仕事であり、趣味であり、恋人であり、家族です。しかしそれらのものはみな一夜のうちに流されてなくなってしまうこともあるのです。今朝は、あなたの人生をどのような土台の上に築くべきか?どのようにしてその土台に建物(人生)をしっかり固定することができるかについてお話します。

A 偽預言者に惑わされない人生(15-20)

はじめの5節を読みましょう

「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」


1) 偽預言者とは誰のこと?

あなたの人生を不安定なものにする要因はあなたの外側と内側の両方に存在しています。外側からは偽預言者が「神様のことばを伝えます。あなたはこのことばに従いなさい」とあなたを誘います。本当の預言者は神様の意志を人々に伝えますが、偽預言者は自分の意志を神様の意志と偽って伝え、神様の意志からあなたを引き離します。本当の預言者も偽預言者も旧約聖書の時代から今に至るまで存在しています。例えば現代の偽預言者たちは、キリスト教会と言いながらイエス様を信じる信仰からかけ離れたカルト集団を作り人々を誘い込みます。普通の教会だったはずなのに突然カルト的な傾向を見せ始める、といったことさえ起こることもあるのです。

2) 結ぶ実で判断できる?

偽預言者は一見魅力的で口当たりのいいメッセージを伝えますから、ある人々はだまされ引き寄せられてしまいます。しかし彼らが生み出す実=活動の成果によって、私たちは偽預言者を見分けることができるのです。



B 天の王国に入れるのは? (21-23)

もうひとつの要因はあなたの心の持ち方によるものです。21節から23節までを読んでみましょう

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』

1) 主の名によって自分の意志を行なう者

2) 天の父の意志を行なう者

この部分を読んで、皆さんはどきっとしませんでしたか? 主を呼び求めること、主の名によって何かをすることが、イエス様とあなたを永遠に結ぶ絆ではないというのです。これらのことをすること自体はクリスチャンであれば誰でもしていることです。ポイントは、いくらイエス様を主と呼んでも、神様の意志を行なっていないなら、その人は神の国の市民とはいえないということです。わたしたちは自分の信仰の在り方を点検してみる必要がありそうです。信仰とは自分の利益、幸せのために神様を利用することではありません。しかしそれを信仰と思い込んでいる人は多いのです。このような人は、物事が思い通りに行かないと神様に文句を言います。神様を信頼していると言いながら実は利用しているだけなのです。自分の利益を人生の目的とするなら、あなたの毎日は不満と不安の日々となります。神様はあなたにそんな人生を送らせたいと思ってはおられません。神様はあなたに平安と感謝の心に満たされた日々を与えようとしておられるのです。

C イエス様の言葉を聞いて行なう

そのためにイエス様が私たちに提案しておられるのは「天の父の意志を行なう者となる」ということです。イエス様はここで「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者」と言い替えておられます。24ー28を読んでみましょう。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」


1) 間違った土台を選ばない

私たちが人生という家を建てるのは、何があっても揺らぐことのない岩の上でなければ平安はありません。しかしこの世界に揺らぐことのないものなどひとつもないからです。しかしそれは最初のプロセスにすぎません。


2) 土台と自分自身をしっかり固定する

大切なことはあなたが土台である神様にしっかりとつながっていること。 目に見えるキリストの体である教会の活きた枝として、神様の意志を聞いているだけでなく行なう人になるということなのです。教会はうごかない岩−神様にあなたの人生という家をしっかり固定するコンクリートの基礎なのです。


3) 権威者と律法学者の違い

最後の29節を読んでみましょう。

イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

イエス様の教えは当時の宗教的指導者である律法学者のものとは決定的に違っていました。律法学者たちの教えは、あれをしてはいけない、これを食べてはいけない、このようなときにはこのような作法でしなければいけないといった人々の生活を縛る細かい規則のようなものでしたが、イエス様の教えはどうしたら本当に人間らしく生きられるのかという私たちの根本的な問題に解決をもたらすものだったからです。どうかあなたもいろいろな権威に振り回されずに本当の権威を持ったイエス様の上に人生という建物を建てあげてください

メッセージのポイント

あなたを人生の迷路に誘う危険は、1) 一見、あなたを正しい道に導いてくれるように見える偽預言者によって、2) 神様の意志を行なっていると、思い込みながら、実は自分の意志を行なってしまうあなた自身によってもたらされます。道をそれることなく後悔のない人生を歩むために、イエス様は「私の言葉を聞いて行なう者となりなさい」と言われます。それは「イエス様が土台であるということを知っているだけでなく、イエス様にしっかりつながっていて、彼の言葉がその人の日常生活の中に活かされている」ということです。

話し合いのためのヒント

1)あなたの人生を迷わせる危険はどこから来ますか?

2)イエス様の言葉を聞いて行なう者になるために必要なことは?