*2003年6月15日 メッセージノート*

「悪霊」を知っていますか? (マタイ 8: 28-34) (マルコ 5:1-20,ルカ 8:26-39)

みなさんは悪霊と聞いてどんな事を考えますか?あなたのクリスチャンでない友人は悪霊についてどんなアイディアを持っていると思いますか?私は牧師になったばかりのころに最初の悪霊追い出しの経験をしたことがありました。もちろん毎月のようにそのようなことをしているわけではありません。大学時代の友人に会ったときに牧師ってどんな仕事をするの?と聞かれたので、ちょっとからかってやろうと思って「悪霊の追い出しとか・・・・」と行ったら後ずさりして、おびえたように「あのエクソシストみたいなこと?」と聞き返してきました。詳しく話してつまずくといけないので、適当に話を変えたのですが、それ以来彼にとっては私には何か口にしてはいけない秘密の部分があるように思っているみたいです。「悪霊」についての間違った知識は友達を失いますが正しく理解しているなら、なぜイエス様を信じるべきなのかを伝えるよいきっかけとなります。

A 悪霊についてのよくある誤解(18-19)

1) 存在自体を認めない

聖書を象徴的にしか読まない人、合理的解釈しか許さない人はサタンも悪霊も神話的な存在で、そのようなものははじめから存在しないとする考え方です。このような人々は神様をも信じないことが多いです。でも今日の箇所に出てくる悪霊に苦しめられている人々のように、現代社会においても、悪霊の影響としか考えられないような動機が不明であったり、非常に残虐だったりする犯罪が起こっていることを説明できるのは、聖書が教えている「人格的な悪の存在」です。ほとんどの人が平和や安全を求めますが悪の起源とそれに対抗できるのはイエス様だけだと認める以外には決して実現しないのです。

2) 人格的存在とは認めない

映画スターウオーズに出てくる「フォース」のようなもので使い手がいて操る力と考える人もいます。ヒーローが使えば「よいフォース」になり、悪い人が使えば「悪のフォース」と考える人たちもいますが、聖書はそれらが人格的な存在であることを教えています。彼らを用いて人にのろいをかけたりする呪術的なアプローチは世界中のどこにでも見られることですが、それは決してよい結果をもたらすものではありません。彼らはそのかしらであるサタンに忠実であり人を神様から引き離し破滅させるといった明確な意思を持つ人格である彼らを手なずけることはできません。逆に利用されてしまうでしょう。

3)過小評価と過大評価

クリスチャンであっても、今の私たちには何の影響力もないと考える人もいます。観念として存在を認めていても、彼らが自分の敵であることを真剣に考えないのです。「霊の戦い」という言葉がありますが、それは天の軍勢と悪霊の軍団が私たちからかけ離れた異次元で戦っているのではなく、この世界のいたるところで起こっていることです。サタン・悪霊の働きによって混乱が起きています。この事態に対してクリスチャンは多角的に戦うことを期待されています。直接的な悪霊の追い出しも必要ですが。彼らの攻撃はもっとずるがしこいものです。教会を立てあげること、人にイエス様を伝えること、癒すこと、病院のような施設を作ること、飢餓状態にある国や地域に効果的な援助をする組織を作り運営すること、これらはすべて広い意味での霊の戦いであることを忘れてはなりません。

その一方で反対に何かあるとすぐに悪霊のせいにしてしまう人もいます。「ドアがあかなくてドアノブに向かってサタンよ出てゆけ」と命じた人がいるそうですが、これでは人々の友になりイエス様を紹介することはできません。その力におびえ、霊的なことばかりに集中して、この世での自分の働きを忘れてしまうことのない様にしたいものです。私は皆さんに何でも牧師任せにしないで自分で伝えること、慰めること、癒すことを勧め、励ましてきましたが、たった一つの例外が、この「直接的な悪霊の追い出し」です。もしそのような問題に直面したときはどうか私に任せてください。このことは深い知識、豊かな体験、特別な賜物が必要だからです。そのために時間や労力を割くよりももっと皆さんがするべき広い意味での霊の戦いに力を注いでほしいのです



B 悪霊に取りつかれた状態 (28,1サムエル6:14-15)

1) 自制心を失う

サムエル記に出てくるサウル王はイスラエル史上最初の王で知恵のある人でしたが、自分のダビデに対する嫉妬心をサタンにつけ込まれサタンに送られた悪霊によって、自制心を失いダビデに襲いかかりました。感情のコントロールが効かなくなり、それが人を傷付けるまで行ってしまうとしたら、そこには悪霊の関与を認めなければならないでしょう。人を傷つけるという事件の中でも、お金のため、恨みのため、人に雇われてといった分かりやすい動機ではなく、動機不明の事件がこの国でも時々起こりますが、そのような事件にサタンや悪霊が深いところで関与しているのです。

2) 人間関係を失う

彼らは墓場に住んでいました、当時の墓は横穴式だったのでそこに住み着くことができたのです。です。今と同じで誰も用がなければあまり近づきたくないところでした。今も様々な理由で社会の片隅に追いやられ、以前持っていた人間関係を失い孤独の中にいる人がたくさんいます。多くの人は厄介な人はそこにずっとそこにいてくれればいいと考えているのです。自分の生活とは直接関係ないし。出てこられては困るというわけです。でもイエス様の目から見るなら、私たちと同様、悪霊から解放して神の家族に迎え入れたい人だったのです。

3) 被害者であり加害者

ルカやマルコによるこの出来事の紹介では彼らは当時の人々によって何度も拘束され鎖につながれましたが、そのたびにそれを嫌い墓場や荒野逃げ出しそこで昼夜を問わずに叫んだり、自分を傷つけたりする行為をしていたということです。現代にも医療に見放されこのような状態に置かれている人が大勢います。彼らは実際には被害者なのですが、人を傷つける加害者として恐れられているのです。イエス様はこの人たちを解放してやりました。

さっきお話したようにあなたもこの広い意味での霊の戦いに加わっているのです。そのために皆さんにぜひ知っていてほしい3つのことをお話します。

C 私たちが知っておくべきこと

1) 悪霊の追い出し - 神の国が近づいたしるし(29、12:28)

まず29節のとりつかれた人の口を通して語られた「まだその時でないのに」という悪霊の言葉に注目してください。サタンの支配が終わり神の国が完成する「終末の時」「イエス様の時」という意味です。 イエス様ご自身もヨハネ2章にある結婚式で水をワインに変えられた時に「まだ私の時は来ていません」といわれました。それでもイエス様はしるしを表されました。イエス様が来られることによって「神の国の反撃」が始まったのです。まだ完成はしていません。それは人々の魂をサタンの力から解放する戦いです。あなたが今どんな状態であっても、非常に長い夜のような状態であってもイエス様に従ってゆく限り必ず勝利の朝を迎えることができるのです

2) 悪霊 - 存在し、力もあるが神様の権威の下にある(29)

また「神の子かまわないでくれ、われわれを苦しめるのか」という叫びから、悪霊がイエス様を神の子と明確に意識しそして恐れていることが分かります。彼ら自身がどんなに人を恐怖で震え上がらせようと、その力は無限のものではなく神様の許しなしには現せないものなのです。ではなぜ神様はサタンが働くことをまだゆるしておられるのか?それは私たちが試練を通して、自分の意志で主に従い成長することをねがっておられるからです。

3) イエス様 - 会ってみたいが、出て行ってほしい存在?(34)

最後に34節から今日一番大切なことをお話しして終わりたいと思います。人々は悪霊の仕業には無力でした。また取り付かれてしまった人への憐れみもありませんでした。ところがイエス様が来て、彼らを解放したので衝撃を受けたのです。自分も病や悪霊からまた悩みから解放されたいと願う人は彼に期待しました。町中の人がイエス様に会ってみたいと出かけましたが会ってみると、今度は出て行ってもらいたいと願うようになりました。なぜなのでしょうか?私たちはお金や財産名誉地位などがもっとも大切なものではなく神様との正しい関係がすべてのよいものをもたらすことを知っていますが。神様を知らなければそれらにしがみつくしかありません。使徒言行録の16章に悪霊の力に助けられ占いをしていた奴隷から占いの霊を追い出したために、パウロがその奴隷の主人から営業妨害で訴えられ投獄されてしまったことが書かれています。この世界には無意識のうちに悪霊の力を借り利益を得ている人々がいて、イエス様の解放の働きを喜ばれないのです。戦争のことを考えてみましょう。大きなものでなくても局地的な戦いは地球のいたるところで続いています。そして誰もがこれは正義の戦いだと自分を正当化します。でもどんな大義があってもそのおくには自分さえよければ、自分の国さえ栄えればという真の動機が見え隠れしています。資源を確保したい、武器を作ったり売ったりして儲けたい。例えば今の中東の問題は石油の利権が問題を複雑にしています。医療の世界では、薬をたくさん売らなければならない会社の圧力で、患者は必要以上の薬をのまされます。自己中心的な目先の利益を追求することを神様は望まれません。この目先の利益を追求したいと思う心が、イエス様に解放されることを拒むのです。

これこそ人類に本当の利益を与えたくないと考えるサタンのそして悪霊の策略に惑わされている結果で、今の社会も同じような状態だと思いませんか?私たちはこれに対して、イエス様に従うものとして、愛し、慰め、励まし、助け、同情し憐れみ癒すといったことを通して、人々を解放する霊の戦い、神の国の戦いに参加しているのです。

メッセ−ジのポイント

悪霊とはサタン(悪魔)の支配下にあって働く霊的な、また人格的な存在です。悪霊についての見方はクリスチャンの中でも様々ですが、多くのクリスチャンが「無視する」か「恐れると」という、サタンとその支配下にある悪霊たちにとって都合のいい態度をとっているのは残念なことです。私たちが神様から与えられた使命は、このような力から人々を解放することですから「敵」をよく知らなければなりません。この敵を知るために一番大切なことは、神様がこの敵をどう見ているかをよく知ることです。

話し合いのヒント

1) メッセージを聞く前と聞いた後では悪霊についての認識はどう変わりましたか?

2) イエス様はなぜ悪霊を追放され、私たちもそれを勧められるのでしょうか?