*2003年7月13日 メッセージノート*

あなたの信仰があなたを救う マタイ9:18-34

あなたは何から救われたいのですか?

今日の聖書のテキストはイエス様がなさった癒しや悪霊の追い出しについて書かれています。神様の力は偉大です。生涯負ってきた病や、障害、死でさえも解決することができるのです。しかしイエス様はただ単に肉体の癒しを与えるために来られたのではありません。イエス様はあなたがあなたらしく生きることを邪魔するすべてのものからあなたを救い出すためにこの世界に来てくださったのです。

イエス様はすべての死者をよみがえらせようとしたわけではありません。人の地上での命が限られたものであることは神様が定められたことです。福音書ではイエス様が死者を生き返らせた例は2つだけしかありません。それは特別な状況のなかでなされたことです。癒しや悪霊の追い出しも同じです。イエス様は誰にでも同じことをなさるのではなく、その人と取り巻く状況にふさわしい解決を与えてくださるのです。ですから祈ってもらいました、でもすぐに解決されませんでした、癒されませんでしたといって失望することはないのです。それはあなたの信仰や祈ってくれた人の信仰が足りないのではなく、イエス様の解決のタイミングや方法があなたの考えていたのと違っていたに過ぎないのです。

1)問題のない人は一人もいない

人間は誰でも困った問題を持っています。問題を問題と気付かない人や、直視しない人はいますが、問題のない人は一人もいません。問題が体の病なら私たちは薬を飲んだり、病院に行ったりと問題解決の行動に移ります。経済的な問題なら銀行に、法律問題なら弁護士にそして心の問題や自分の生き方についての悩みならカウンセラーのところへ。 問題はすぐに解決することもあれば、あきらめるしかないこともあり、たとえ解決したとしてもまた新しい問題が目の前にやってきます。問題が何度も襲ってくるのは根本的な解決をしていないからです。例えばアルコールやドラッグで空虚な心を満たそうとして依存症になった場合、いくら治療しても心が満たされない限りまたそれらに頼ってしまいます。風邪を引けばのどの薬や解熱剤を飲んで少しよくなっても、窓を閉め忘れて寝ればまた風邪を引くのです。

2)すべての問題の原因=罪

問題が次々やってきて生涯悩み続けるのは「対処療法」しかせずに原因を取り除こうとしないからです。私たちを取り巻く深刻な問題の原因が何かということを聖書ははっきりと教えてくれます。それは体や心また生活上の目に見える問題の下に隠れている「魂の病」です。イエス様はそれを「罪」と呼ばれます。聖書の言う罪とは単に犯罪:法律を破ることではありません。そうではなく人を傷つけ、自分も苦しめる問題を量産し続ける、私たちの心の状態を表す言葉です。

世界が幸福や平和を生み出す工場だったらいいな、と思いませんか?現実は違います。誰もが工場の所有者であることを主張し自分だけの幸せ、自分だけの繁栄を作ろうとするからです。アメリカで「原子力発電所は隣の州に」という言葉を聞きました。日本なら「私たちのごみ焼却場を隣の県に作ろう」という考えが一般的です。自分でない誰かが危険な目にあったり苦労したり悲しんだりすることの上に「自分の幸せ」が成り立つという考え方です。それを国同士で、州同士で、家族の中でもやっているのです。私は21歳のときにイエス様を信じる決心をしましたが、それまでの自分は家族でさえ自分のために利用するようなスタンスで接していたと思います。家族でさえそうなのですから家族以外の人に対してはもっと自己中心的な接し方をしてきました。この私たちのもっている自己中心性、利己心に従って、本当に見上げてついてゆくべき方を忘れている状態が「罪」です。

3)罪を解決できる唯一の方 ローマ3:21-26、1コリント1:18-25

聖書はそれがイエス様だということをいろいろな箇所で教えてくれますが、今日はローマの信徒への手紙の3章から見てゆきたいと思います。21節から26節までです。

ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。

贖いという言葉は聞き慣れない言葉だとおもいます。今あまり使われないのは当然で、奴隷をお金を払って解放してあげるという意味です。ここでは罪の奴隷となっている私たちを代価を払って解放し自由にしてくれる、魂の病に犯されている私たちを治療費を全部持って完全に治してくれるという意味です。そして代価はお金ではありませんでした。私たちの罪はイエスキリストの十字架の上での死以外に。罪のないただ一人の人の死以外には精算することができないほど深刻なものだということです。私たちはこの「十字架の購いによる救い」を理性で理解することはできません。それは今に始まったことではありません。当時の人にとっても納得できないことでした。しかし神様がこの方法を取られたのです。赦されなければならない私たちがその手続きを決めるのでしょうか?それとも赦す神様が決めることでしょうか?

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さを意味のないものにする。」知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

あなたができること

1)問題があることを認める ガラテヤ5:16-26

今日のテキストに載っている癒された人々は、もちろん自分の問題を深く自覚していました。誰かに助けを求めるしかないと知っていたのです。それが体の問題なら医師に助けを求めます。彼らの問題は当時の医学水準では解決できないことだったので、イエス様に助けを求めたのです。   

心の問題になると少し厄介です。助けが必要かどうか自分では判断できないことが多いからです。精神科医にかかることは恥ずかしいことだという偏見もあります。

でも一番認めることが困難なのは「魂の病」です。すべての人は例外なくこの魂の病にはじめからかかった状態で生まれてきます。すべての人がそうなのでこれが当たり前、と大抵の人は思っているのです。症状はいろいろな形で現れます。ガラテヤの信徒への手紙の5章に症状のリストが載っています。

わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。

この国で日常的にニューズになるような事件です。多くの人は問題の原因が家庭環境にあるのだ、教育にあるのだ、などといろいろ考えますが、問題の原点は「魂の病」=「罪」にあるのです。凶悪な少年犯罪が多発していますが、「魂の病」=「罪」の問題であることを知らなければ、どんな対策を講じても少年法を改正して彼らを処刑することができるようになったとしても事件はなくなりません。

あなたがこのような事件を悲しみ、憤りを覚え、起こらないでほしいと思うなら、法律を変えたり、非難したりするよりもまず、自分も「魂の病」=「罪」に犯されていることを知ることが第一歩です。そして気づいたあなたがこの永遠の病から解放されることによって、それはあなたの周りに伝わってゆきます。もしあの少年の親が「魂の病」=「罪」を自覚し癒されていたなら、彼もまたもっと前に自分の「魂の病」=「罪」を自覚し癒されていたかもしれません。そうであれば彼はこんなことを起こさずにすんだのです。

20年以上も前の出来事です。 仙台の刑務所で教戒師をしていた牧師にあるときひとりの服役していた囚人がやってきてクリスチャンになるにはどうしたらよいか尋ねたそうです。この囚人は決して模範囚ではなくむしろ所内でもいつも問題を起こすような人だったので牧師は驚いて彼の心の中に何が起こったのか聞いてみました。彼は元やくざで、警察官を殺して服役していました。もうすぐ20年の刑期を後数年で終えようとしていたころ、もう結婚した娘が面会に来ました。彼女は卵巣の腫瘍が末期で助からないこと父親の出所には間に合わないことを告げにきたのです。彼女は「私はクリスチャンになりました。ですから私の死は恐ろしくありません。けれど心残りはお父さんがそのままイエス様を知らずに刑期を終えまた悪の道に歩むかもしれないということです。それではきっと天国で会うことはできないでしょう。それが心残りです。どうかイエス様を信じて生まれ変わってください」と言って帰ってゆきました。彼は彼女がクリスチャンになったと聞いて、自分が殺してしまった警官の妻もまたクリスチャンであったこと、彼女が裁判のときに彼の刑を軽くするように嘆願したので、本当なら死刑でもおかしくないところを20年と言い渡されていたことを思い出しました。裁判の時には驚きもし、感謝もしたのですが、すっかり忘れていたことでした。彼は牧師にそう告白してこんなに罪深い自分にもクリスチャンになる方法があるのかと聞いたのです。

2)本当に解決できる方に頼る

12年間わずらっていた女性はイエス様の衣の房に触れれば癒されると確信して人ごみを掻き分けイエス様に近づき、癒されました。イエス様は「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。また二人の盲人はイエス様が必ず憐れんで癒してくださる、イエス様になら癒せると信じて願い、イエス様は「あなた方の信じているとおりになるように」と言って癒されました。娘のためにやってきた指導者(ユダヤ教の教会堂の責任者でその役割は礼拝のプログラムを立てたり教師や聖書朗読者を選んだりする人)もまたイエス様なら死んだ娘を生き返らせることができると信じ依頼してきたのです。そしてその信頼は裏切られませんでした。仙台の刑務所にいた殺人犯もまたイエスを頼る決心をして残りの人生を以前とは正反対の歩みをして天国に帰ってゆきました。

あなたは自分の問題の解決のために何かに、また誰かに頼り、裏切られてがっかりした経験を持っているかもしれません。もしあなたがまだイエス様に信頼して歩んでいないのなら、あなたの「魂の病」が癒される、つまりあなたの罪が赦されるチャンスが今差し出されているのです。

あなたはただイエスキリストが自分の罪のために死んでくださったこと、その行為によって罪のない者とされたこと、私の人生の主は自分ではなくイエス様だと信じて歩みだすのです。

3)信頼し従う

イエス様は悪霊に取りつかれた人を人々の前で解放してやり、利けなかった口が利けるようになりました。人々は驚きましたが、それを見てもいろいろと理屈をつけてイエス様を信頼しようとしない人々がいました。あなたがどんなにすばらしく変えられても、あなたが信仰を持つということを快く思わない人は必ずいます。それが親しい友人であったり、家族の一員であったりするとがっかりしてしまいますが、それはイエス様の招きを断る理由にはなりません。きっと理解してもらえるときが来ると期待してイエス様と一緒に歩みだすことが大切です。決心をして洗礼を受けることはすばらしいことですが、クリスチャンとしての人生の誕生日に過ぎません。そこで満足して赤ちゃんのままのクリスチャンはたくさんいます。でも神様はすべての親がそうであるように神の子供たちである私たちの霊的成長を願っておられるのです。私たちが霊的に成長してこそ、夫を殺されながら犯人の助命を嘆願した夫人や、クリスチャンになった犯人の娘のように誰かを問題から根本的に救う神様のお手伝いをすることができるようになれるのです。あなたの成長は日々イエス様とともに歩むことによって実現します。具体的に言うなら、私たちが教会やミニチャーチに集い、そこで神様の言葉を聴き、祈り、みんなと話したりすること、また一人のときにも聖書を読み、祈り、神様との静かなときを持つことなどによって成長するのです。

メッセージのポイント

イエス様は病気の苦しみを負った人を憐れみ癒されます。病んでいるのは私たちの心や体だけではありません。もっとも深刻なのは「魂の病」です。魂が本来あるべき神様との健康な関係から切り離されている状態が「魂の病」です。そしてすべての人が例外なくこの病を負って生まれてきます。この魂の病をイエス様は「罪」と呼んでいます。それは、あなたの魂の状態ですが、ほっておけば実際に人間関係を破壊し、一般に罪と呼ばれる行為として現れてしまいます。この病は深刻ですが、正しい治療によって必ず治ります。この病を癒すことのできる唯一の方「イエス・キリスト」を信じ、彼に従うことによって魂の健康を取り戻すことができます。

話し合いのヒント

1)あなたには解決しなければならない問題がありますか?

2)救ってくださるのはイエス様ですが、あなたができることは何でしょう?