11/9/2003 メッセージノート

悪はいつまで栄えているのか?(マタイ13:24-43)

イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」(13:24-30)

それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。 イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、 燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。 そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」(13:36-43)

先週からイエス様のなさった「たとえ」についてお話していますが、先週のたとえを覚えていますか? 
それは人の心の状態について教えられたものでしたが、今日のたとえは目を外側に向けて、この世界の状態について教えられているものです。それは2000年前も今も基本的には変わっていません。


A. 「悪」はいつ取り除かれるのか(24-30、36-43)

1) 悪は世の終わりまでなくなることはない

今日は投票日ですが、争点の一つに自衛隊のイラク派遣があります。フセインの政府は崩壊しましたが、今でも多くの米英軍兵士が命を落としているのは局地的に戦闘が続いているからです。神の国のこの世に対する戦いにも同じことが言えます。

イエス様の十字架と復活による勝利宣言はなされましたが、いまだに悪は栄えているかのように感じられます。悪が存在する限り戦いはまだ続くのです。

2) 裁きは世の終わりになされる

多くの人はなぜ神様はその全能によって私たちを苦しめる悪を取り除いてくださらないのだろうか?という疑問を持ちます。一つの理由は、神様がその似姿として人を造られた、ということがあります。道をそれた人間を機械的に矯正されるのではなく、自分の意志で立ち返ることを望まれるのです。そこで神様は忍耐して待っていてくださるのです。イエス様を知る前の自分はどのようなものであったか?恥ずかしく恐ろしく感じるのは私だけでしょうか?世の終わりがどのようにやってくるのか、私たちには想像することしか出来ません。それがいつになるかも神様は人には知らせないことにしていらっしゃるのでしょう。それは私たちにとっても幸せなことです。

B. たとえ聞いたときの3通りの反応(34-35)

イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、/天地創造の時から隠されていたことを告げる。」(13:34-35)

1) 直感的に悟る

たとえを読んだ時に限らず、聖書の言葉が時として特別な意味を持って目に飛び込んでくるようなことがあります。しかしそんなことはそれほど多くはありません。そしてそれはその人の能力によるものではなく、神様の特別な恵みによるもので、また普段はそうでなくても、時として特別な理解を与えられることがあります。
10年前、私はこの国から逃げ出す事を考えました。この国でのミニストリーに行き詰まりを感じてアメリカに移ろうと思ったのです。もしかしたら神様もそのように導いておられるかもしれないと思ったのです。新しい働きの場を求めて多くの人々と話しましたが、道は開かれませんでした。かといって日本に戻る事を喜べるような心の状態でもありませんでしたが。もうそれ以上の可能性もなく、日本に帰る事になりました。途中で寄ったハワイはただバケイションのためだったのですが、神様はここで特別の計画を私たちのために用意されていたのです。日曜の朝、ホテルのフロントの人に紹介された教会で神様は牧師のメッセージの中で、「日本に帰り、新しい教会を始める事」を神様が命じておられることを教えられたのです。牧師は、イエス様がご自身と、彼に従うものを羊飼いに喩えて話しておられる、ヨハネ10章について説教をしていたのですが、それが私にとっては、この教会の前身となる小さな家の教会を始める事を意味していると確信したのです。「彼はここにいる誰かが日本で伝道を始める」と預言したわけではありません。何でそう受け取ったかと言われても説明する事はできません。でも私にとってはイエス様からの明確な招きだったのです。10年前の夏の事です。そして教会は9月に始まりました。そしてその事が正しかった事は今ここにいる皆さんが、共にイエス様の愛によって成長している事が証明しています


2) もっと知りたくて真意をイエス様に聞く

「もっと知りたくて真意をイエス様に聞く」これが私たちクリスチャンのごく普通の態度でしょう。
イエス様の時代の弟子であったならきっとあなたも彼らと同じように「イエス様そのたとえはどのような意味なのですか?」と聞いていたでしょう。この時代ではイエス様に聞く事はできないのでしょうか?いいえキリストの体である教会でイエス様は人を通して真理を語ってくださいます。また聖書を読む時、主は心の中に語りかけてくださるのです。

3) 気に留めない

誰かを礼拝に誘ったり、イエス様がどんなに素晴しい方かを話しても全く興味を示さない人もいます。それが大切なひとであればあるほど、私たちはがっかりします。が、そのような人もまた神様の計画のうちにいるのですから、あきらめずに主の愛の助けによってその人に仕え続けましょう


C. 神の国がどのように広がってゆくことを教えるたとえ(31-33)

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」 また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」(13:31-33)

1) からし種のように始まりは非常に小さい

イエス様は神様に託された地上での働きをたった一人で始められました。しかし最後まで一人でなさるつもりはありませんでした。まず12人の弟子を選び用いられました。十字架の出来事のあとはその働きを教会に委ねられました。キリストの教会は世界に一つしかありません。目に見える形では、それぞれの地域に様々な形で点在しています。ユアチャーチは小さい教会ですが同時に目に見えない大きな唯一の教会の一部でもあるのです。「教会の働きが進んでいない、目に見えるような成果がない」といってわたしたち(特に牧師)はあせりますが、教会のそれぞれの部分の働きは異なるのですから、その成長の尺度も違っていることを認めねばなりません。そして私たちの目に見えない大きな一つの教会は、この世界に確実に大きく増え広がっていることを喜ぶべきなのです。

2) パン種自体が膨らむのではなくパン種が混ぜられた生地全体が膨らむ

世の中にはいつでも悲観的な見方をする人がいます。今日最初に取り上げた毒麦のたとえで言えば、毒麦の成長に心を痛めて、良い麦の成長を喜べない人です。神の国は前進しています。イエス様は勝利されたのです。どんなに毒麦があなたの近くにはびこっていても誰も抜いてくれそうになくても、私たちはただイエス様を信頼して、歩んでゆく事をイエス様は望んでおられます。

メッセージのポイント

世界には「悪」が存在し、それによって苦しんでいる人がいるのに、神様はなぜすぐに悪を取り去らないのだろうか?誰もがこんな疑問を持っていますが、イエス様からの答えはこうです。この世界には神の意思に従って歩んでいる者もいれば、悪魔に操られて生きている者もいるが、私たちが判断し裁いてしまうなら間違うことがある。十字架とよみがえりはイエス様の勝利を確定したけれど、今はまだ最終的な勝利の完成の前なので、神様は世の終わりまで彼等の活動を許している。しかし最終的には悪を完全に滅ぼし勝利される。それは私たちの悪に対する戦いが終わってはおらず、注意深く歩まなければならないことを意味しています。

話し合いのためのヒント

1)なぜ神様は悪の存在を未だに許しておられるのでしょうか?

2)イエス様は神に国をからし種、またパン種にたとえてどのようなことを教えてくださったのでしょう?