2003/11/16
天国の値段 (マタイ13:44-52)
ユアチャーチにはいろいろな国籍を持った人々が集っています。日本では日本国籍を持つものは他の国籍を持っていてはいけないという決まりがありますが、自国の国籍以外にも国籍を持つ事を許す国もあります。国籍をとることが費用の面であるいは時間的に難しい国もあれば比較的容易な国もあります。今日は天国の国籍を取る事についてお話します。
聖書には「天の国」という言い方と「神の国」という言い方と二通りの言葉が使われていますが同じ意味の言葉です。多くの人が神様を信じる人が死んでから行く場所だと考えていますが、そうではありません。それは「神様の支配」という意味です。そして神の国はまだ完成はしていませんが、既に来ているのです。私たちは死んで天の国に入るのではなく、神様の支配の下に歩もう、クリスチャンになろうと決心した時、神の国の民となるのです。そしてその権利は肉の体が滅びても永遠に続くというのが聖書の約束です。
それではこの国籍がどれほど素晴しいか、どうしたら手に入れられるかを、私ではなくイエス様に説明してもらいましょう。44から46節までお読みします。
A. ラッキーか努力の結果か?
1) 捜し求めてついに発見した人 (45-46)
最近イギリスで金属探知機を使って宝探しに夢中になる人が増えているというテレビ番組を見ました。長い柄の先に丸いディスク型のセンサーがついていて、土の下に隠れた金属に近づくとアラームがなって知らせてくれます。そこを掘ると宝が出てくる仕組みです。ローマ帝国の時代の金の壺とか、金貨銀貨を見つけて一日にして大金持ちになった少年やおばあさんが紹介されていました。
イエス様に出会い従う決心をしたということは、最高の宝物を発見したということです。イエス様を信じるようになるきっかけは人によって異なります。真理はどこにあるのだろう、本当に信頼できる教えはなんだろう、自分が産まれ生きている意味はどこにあるのだろう。高価な真珠を捜し求めていた証人のような人もいます。探し続けて、ようやく真理に出会った人です。教会用語では、まだクリスチャンになる決心はしていないけれど、熱心に教会につながろうとしている人を「求道者」道を捜し求める人と言います。神様はそのような人々を祝福されやがて道を開いてくださいます。あなたがクリスチャンなら誠意を持ってそのような人々と接する事ができます。その目的は真理を証しすることです。神様は私たちに熱心さを求めますが、自分の収入・成績のために熱心なセールスマンの熱心さとは違います。これは教会メンバーの勧誘ではありません。私たちは何人主に導いたかを評価されるのではなく、神様は私たちの心を見られるのでその結果で裁かれるわけではありません。
2) 捜していたわけではないのに、主にであった人 (44)
そんなふうに苦労をしてやっとイエス様にたどり着いた人とは違い、イエス様のほうから一方的に近づいてくださり、クリスチャンになる人もいます。ペテロのような人です。イエス様を伝えたくても全く興味を示さない人はたくさんいますが、神様はそのような人にもとどいて下さいます。きっと皆さんの周りにもそのような人がたくさんいると思います。彼らは、教会に誘われる事も、イエス様の話を聞く事も今は興味がないのです。それでも彼らにあなたができる事はたくさんあります。それからもう一つ忘れてはいけない事は、イエス様が彼らの心を開かれるように継続的に祈り続ける事です。
B. 天の国の推定価値 (44-46)
1) 他の全てを失っても惜しくないほどの価値がある
わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。(ルカ9:23-25)
偶然畑の中に宝を見つけた人も、捜し求めて真珠を発見した人も、それを手に入れるには全財産を手放さなければなりませんでした。しかし彼らはその宝や真珠を得るためには他のものを失う事を惜しいとは思わなかったのです。
2) 手に入れるために支払うべき代価
イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」(ルカ21:1-4)
天の国は大金持ちでなくても、溢れる才能がなくても手に入れることができます。しかし多く持っている者も、あまり持っていない者も今持っているもののすべての所有権を放棄して神様にお返ししなければなりません。クリスチャンになるとは、全てのことを神様に委ねて生きるということです。それは「自分に属する全てのものを神様が良いと思われるなら取り去られてもよい」と思えるほどに、神様を信頼するということです。自分で沢山のものを持っていればいるほど、手放したくないと思ってしまう私たちですが、それらの管理を思い切って神様に任せてしまうなら、これほど身軽で晴れ晴れとした生き方はありません。
C.地上の教会の現実を知る
1) 完全ではない (47-48)
先週の毒麦の譬えを覚えていますか?麦畑に毒麦が紛れ込んでいても収穫の日まで抜かずにおくように、悪の存在は許されているというものでした。ここでも同じことを教えています。食べられない魚も網に入っているように世界には悪が存在し、教会もまた問題があり、完全ではないのです。
2) 最後に主が裁く (49-50)
普段、この世界での悪の活動に心を痛める人にとって、この事は待ちきれないような気がするかもしれません。しかし神様はもっと悪いものが立ち返る事を期待しておられるようです。悪い者がどのように滅ぼされるのかについては、ここに描かれているような絵画的な説明に満足するしかありません。どのようにかは分からないにしても神様がして下さるとおっしゃっていることを信頼しましょう。
3) 新しくて古い教えを持つ教会 (51-52)
この譬えは、天の国についての7つの譬えのまとめとしてイエス様が語られたものです。弟子たちはこの7つの譬えとイエス様の解説を通して、神の国について豊かな知識を持つ学者と言われました。私たちも弟子たちと同じように聖書を通して同じ知識をいただいています。そこで私たちもまた、天の国のことを学んだ学者です。私たちの心の倉に入っている宝物「神の国の真理」はイエス様がメシアとしてきてくださって初めて明確に示されたという意味で「新しい」ものです。でもそれは先週35節で触れたように天地創造のときからあった「古い」ものでもあるのです。この新しいよさと古い良さを持った宝物を、蔵の中に入れっぱなしにしておかずにあなたの周りの人々のために気前よく使ってください」
メッセージのポイント
クリスチャンになるとは、全てのことを神様に委ねて生きるということです。それは「自分に属する全てのものを神様が良いと思われるなら取り去られてもよい」と思えるほどに、神様を信頼するということです。自分で沢山のものを持っていればいるほど、手放したくないと思ってしまう私たちですが、それらの管理を思い切って神様に任せてしまうなら、これほど身軽で晴れ晴れとした生き方はありません。
話合いのためのヒント
1)全てのものを売り払って神の国を手に入れるとありますが、実際にはどのようなことを求められているのでしょう?
2)教会の中でも神様を悲しませるようなことが起こるのはなぜでしょう?