2003/11/23

近すぎると分からない真理 (マタイ 13:53-58)



「あなたが信じている神様はどんな方なのですか?キリスト教というけれどイエスキリストは神様なのですか?歴史上の一人物ではないのですか?」と聞かれたらあなたはどう答えますか?

聖書の答えは、キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ2:6-11)というものです。イエス様は罪を犯すこと以外、わたしたちと全く同じように苦しみや悲しみを知っており、泣く者とともに泣き、喜ぶ者と共に喜ばれた方です。イエス様が人として生きられた事は子供の時代から彼の成長を見てきた人々にとって、彼を主と信じることは難しくしていたようです。

イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。(53-54)

この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」(55-56)

このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。(57-58)

A. 今の時代の預言者とは誰か? 

1)神様の言葉を預かり人々に伝える 

イエス様はここでご自身を預言者としていることに注目しましょう。故郷で敬われないのはイエス様だけではなく、神様の言葉を人々に伝えようとする預言者の定めだとおっしゃるのです。預言者というと私たちは旧約聖書に出てくる人々を想像しますが、イエス様自身もその働きを継承する者でもあるのです。聖書で言う預言者とは未来を言い当てる人のことではありません。もちろんもっと深い意味で人間の将来を示すわけですが、単に何年後の何が起こるということを伝えるのではなく、神様の意思を人々に伝えることが預言の本質です。クリスチャンは広い意味でこの世界に神様の意思を伝える預言者なのです。なぜなら私たちは聖書を通して神様の意思を知る事ができるからです。神様は誰か特別な人を預言者として立て、あなたに何かを命じることもあるかもしれません。しかしそのような特別な体験が必ず必要なわけではありません。聖書を読む事を通して、メッセージを聞いて、祈りの中で、確信を得たと感じるのです。それが人から言われた事であれ、自分で得たものであれ思い違いという事はあります。ですから預言はよく吟味されなければならないと警告されているのです。

2)今も変わらない預言者の務め

神様の意思を伝えるものとしてあなたもまた預言者の一人だということを覚えてください。今でも「特別な神の預言者」と言われる人がいて、「これは神のあなたに対する特別な預言です」とあなたに何か重大な事を言うかもしれません。しかし彼が(彼女が)本当に神からの預言者か、偽預言者なのかはあなたが判断しなければなりません。預言は繰り返しますが、未来を言い当てるゲームではありません。神様の意思から離れて歩んでいる人々に向かって立ち返る事を勧める言葉であり、神様とともに歩んでいる者に対する励ましや慰めの言葉なのです。あなたの周りの人々に神様の恵みを伝える役割を与えられているということは、あなたに果たすべき預言者としての務めがあるということです。

B.預言者の宿命 

1)敬われない場所 

さて預言者は故郷と家族の中では敬われないとイエス様は言われます。預言者としてのあなたはどうですか? 思い当たる事がありますか?確かに見ず知らずの人々に伝道する事より、家族に伝える事の方が困難を感じます。あなたがあまりにも近すぎる存在なので、あなたが「神の人」とは思えないわけです。

2)敬われない理由 

あなたと日々の生活を共にしている人々はなぜあなたを敬うことができないのでしょうか?私たちの生活態度が問題だとすると絶望的な気持ちになりますが、イエス様でも同じだったのですから、それだけが困難の原因ではありません。何で彼らのよく知っているあなたが神様の預言者だというのか、と言う疑問が彼らの耳を塞いでしまうのです。

イエス様の小さな時からを知っている人々にとって、まさかこの村で育ったあの少年が、救い主はおろか預言者とさえも思えなかったのです。私たちの場合にも周りの人にとってわたしたちの心の中に、イエス様がして下さった大きな変化については来られないのです。

3)あなたもイエス様のように

イエス様は信じようとしない者を、奇蹟やしるしを見せる事によって無理やり信じさせようとはなさいません。私たちの宣教もまた強引なものであってはなりません。特にクリスチャンになる前のあなたを知っている人にとっては、それまでの先入観から、あなたの伝える福音を素直に聞こうとはしないかもしれません。焦ることはありません。福音は言葉だけで伝わるものではありません。あなたはただ主に素直に従ってゆけばよいのです。また神様はあなたから素直に聞けない人のために誰か別のクリスチャンを用いられるかもしれません。そしてあなたは、あなたになら心を開く人のために用いられます。

メッセージのポイント

イエス様は信じようとしない者を、奇蹟やしるしを見せる事によって無理やり信じさせようとはなさいません。私たちの宣教もまた強引なものであってはなりません。特にクリスチャンになる前のあなたを知っている人にとっては、それまでの先入観から、あなたの伝える福音を素直に聞こうとはしないかもしれません。焦ることはありません。福音は言葉だけで伝わるものではありません。あなたはただ主に素直に従ってゆけばよいのです。また神様はあなたから素直に聞けない人のために誰か別のクリスチャンを用いられるかもしれません。そしてあなたは、あなたになら心を開く人のために用いられます。

1) なぜイエス様は故郷のナザレでは敬われなかったのでしょうか

2) どのように家族にイエス様を伝えたらよいのでしょうか?