2003/12/14 Advent Message (2)

ただ輝いていればいいのか? (ヨハネ 1:1-18)
Is it ok if it simply 'shines'?

A 心に届く多くの光から本物を見分ける(1-5)

Discerning the true light among the various kinds of light that reach our hearts

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(1-5)

1)外が暗ければどんな光もまぶしい If the outside is dark, any light would seem bright

皆さんは人工衛星から撮影した地球の夜の映像を見たことがありますか?日本は明るくてその輪郭で国の形が分かるほどでした。イエス様が地上におられた頃は、この星の夜はもっとずっと暗かったはずです。そして町が暗ければ空の星はもっと数多く、もっと輝いていたに違いありません。でも著者ヨハネが言いたかったのは、実際の夜の暗さではなく、当時の社会の暗さ、人の心の暗さだったのです。そしてそれは今でも変わってはいません。24時間眠らない夜の街はひどく明るくなりましたが、社会や人の心の闇はますます暗くなっているように思えるのは私だけでしょうか?誰だって暗闇の中にいたくはありません。暗い心の闇を照らす光を捜し求めているのです。暗闇の中では道に迷ってしまいます。導く光が必要なのです。しかし、この世界には光がないわけではありません。むしろ沢山ありすぎて、なかなか本当の光にたどり着くことができないのです。とても魅力的に輝いて、これこそが私に必要な光だと思わせてしまう「偽りの光」がなんと多いことでしょう。

2)言の中の命を燃やして輝く光 The light that radiates the life within the Word

光には太陽のように自らを燃やして光るものと、月のように反射して光るものがあります。ろうそくの炎も自らを燃やして光ります。イエス様が何よりも誰よりも明るく輝いているのはその命を燃やして輝いているからです。この炎は強力です。近づくならどんなに冷たい心も溶かして、やがてその心も燃え始めます。

B 真の光源、神の言−イエスキリスト(9-18) Jesus Christ: the true source of light, Word of God (9-18)

1)新しい命で生きることができる Becoming able to live a new life

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。(9-12)

イエス様を信じ、受け入れ神の子となるとは、イエス様の愛の炎が燃え移り、新しい輝きをもって生き始めるということです。心の中に注ぎ込まれたイエスの愛が燃え、輝いて、クリスチャンは世の光となれるのです。

2)恵みと真理の源泉The source of grace and truth Becoming able to live a new life

この輝きのための燃料を私たちは自分で作り出すことはできませんが、イエス様とともに歩んでいるなら、イエス様は常に「神様の愛」という燃料を満たし続けてくださいます。13節から15節までを読んでみましょう。

この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」(13-15)

イエス様は「人はパンだけを食べて生きるのではない」(マタイ4:4)とおっしゃいました。その続きをご存知ですか?それは「パンだけではなく時にはご飯も食べなさい」ではなく「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(申命記8:3)です。これをいただくことが、「愛の人」として歩むことのできる唯一の方法です。

3)神様と人の唯一の仲保者The only mediator between God and people

それではどうしたら、私たちの命にとってもっとも大切な糧である神の言=イエス様を心のうちにお迎えすることができるのでしょうか?16節から18節までを読みましょう

わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。(16-18)

モーセはユダヤ人の精神的指導者として、彼の生きた時代から今に至るまで大きな影響力を持ち続けてきました。神様の意思を民に伝え、民を長く奴隷とされていたエジプトからし今のイスラエルのあるカナンの地に導いた人です。しかし彼の教えた「神の教えに忠実に生きる」という生き方はいつの間にか、旧約聖書の律法を解釈した「律法規定」を形通りに守るという「律法主義」に変わっていってしまいました。この律法主義という考え方は、当時のユダヤ教にとどまらず今でも世界中で見ることができます。規則を守るということ自体は決して悪い事ではありませんが、それを表面的に型どおりに受け取るなら、愛のない、結局神様の意思にそむくものになってしまいます。木や石で作られた偶像は人々に、ささげものや奉仕、犠牲を要求しますが、唯一の真の神様は「互いに愛し合うこと」を命じます。そのために愛を「イエス/キリスト」という目に見える形で、私たちに下さったのです。イエスキリストを自分の主と信じるなら、イエス様はその人の心の中に永遠に生きていてくださるのです。あなたが出て行ってくださいといわない限り。

メッセージのポイント

取り巻く状況が闇のようだと、私たちはちょっと輝いているものを見つけるとすぐに飛びついてしまいます。危険なもの有害なものであっても魅力的に見えるものです。暗い冬の夜に輝くクリスマスのイルミネーションは私たちに購買意欲を起こさせるだけでなく、誰かと一緒に居たい、家族のもとに帰りたい、そんな気持ちを心に起こしてくれます。私たちの心を本当に豊かにする光は、たった一つしかありません。この光を見逃すなら、それ以外のどんなに魅力的に見える光に誘われていっても心の渇きは決して癒えることはありません。クリスマスのイルミネーションを目にするたびに、それが「まことの光−イエスキリスト」を示していることを想い起しましょう。

When we are surrounded by darkness, we tend to jump onto anything that seems to be shining. Even if it is harmful or dangerous, is still seems to be quite attractive. Shining in a dark, winter evening, the Christmas illuminations not only prompts us to buy gifts but also awaken our desire to be with those whom we love. But there is only one true light that will enrich our hearts. If we lose sight of this light, our hearts would never be satisfied, even if we go after other seemingly attractive lights. So whenever you see those Christmas illuminations, remember where it points to: Jesus Christ, the true light.

話し合いのヒント

1) なぜ人は輝く光に魅力を感じるのでしょうか?

Why are people attracted to lights that shine?

2)イエス様が「神の言」とか「世の光」と言われるのはなぜでしょうか?

Why is Jesus called "the Word of God" or "The Light of the World"?