関係の中に生きる  ヨハネ15:1−17 

「関係者以外の立ち入りを禁ず」・・・自分がそこに入る時に感じる「関係」

「関係ない・・」という言葉の裏にある、関係に傷ついた心、関係を求める心

人は誰も、関係を持たずに生きることはできない。

神様の計画は、私たちが「関係の中に生きる人生を歩むこと」

この箇所から、神様‐イエス様‐私たちの位置づけを明らかにし、主との強い関係の中で生きることを求められている

【1節−11節】

一枚の絵 − 広大なぶどう園‐神様(農夫=管理者)が所有しているこの世界

         一本のぶどうの木‐本当の救い主として来られたイエス様

         多くの枝‐一人一人のクリスチャン、すべての教会

       陽光、雨、風、季節、農夫の世話

1. 主イエス様との関係

あなたがた(枝) と わたし(まことのぶどうの木) 

*イエス様=神様がこの世に植えられたまことのぶどうの木

(旧約では、「ぶどうの木」はイスラエル民族を指した言葉。「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有された民」であるべき本来の姿を失ってしまった。神様から遣わされた預言者たちを幾度となく迫害した。実を結ぶぶどうの木にはなれなかった。)

詩編80:8、イザヤ5:1−7、エレミヤ2:21

* 私たち=イエス・キリストに接木されたもの(2、3節)

信じることによってキリスト(ぶどうの木)に結ばれた‐努力でなく恵みによって。

接木されたばかりの頃は雑種のままだが、幹(キリスト)からの栄養分を吸い取ることで良質のぶどうの木に変えられていく。そして、さらに美味しい実がなっていく。

【オフィスのレンタルグリーン】根が落ち着き、その場所(環境)になじむ

  

* 実は自然に結ぶようにはならない。どうやって結ぶのか?(4、5、7節)

⇒繋がること、留まること⇒メノー(G)新約の中で118回、ヨハネ福音書中では40回出てくる

枝はそれ自身には生命の源を持たず、それがつながれている木の幹から命の供給源を得ている

−繋がっていたいという願い、意思。私たちからの自発的な関係の維持・発展を求めること

* 繋がっていながら実を結ばない・・・本当はつながっていない

イエス様からの命(栄養)も訓練(手入れ)も受けない生き方‐本心はどこに?

実を結ばないばかりか枯れてしまう‐枯れ枝になることを選ぶのは人の側

いつも良い関係を維持し、深めるために一生をかけて主の心を知ろうとする意欲、願い

結婚、友情、全てに共通する努力

失敗、弱さ、無力さはいつもついて回るが、求められているのは幹に頼る(つながる、留まる)完全さ 

* 繋がっていれば、実を豊かに結ぶ・・・生かされているぶどうの目的、約束


2. 人々との関係‐主の体の一部として(12節)

* 一人で生き、信じるのでなく、相互の関係の中で信じ愛することがイエス様の命令

* イエス様の生き方が私たちの手本(9,10,15節)

‐神様の手入れを受け入れ、指示を聞き、倣う ヨハネ5:30、7:16

* 目に見えないが造り主である神様、救い主イエス様を愛する生き方の具体化

* イエス様の愛に留まり、イエス様の愛で互いに愛し合う

‐弱い時も強い時も、自分の気分ではなくただ主の選びによって

時には、人の信仰によって助けられる経験もある(先週のメッセージ)

*私にはできないが、主にはおできになる

‐神様と人を信頼することを学ぶ人生

 


3. あなたの意思を主に伝えましょう

主と人々との関係に生きる決心

イエス様の命と力をリアルに体験する、生きた枝としての歩みを進めましょう。

8節「あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、私の父は栄光をお受けになる。」