2004/1/25 メッセージノート 

水の上で歩く方法 How to Walk on Water マタイ14:22-33


聖書は人生を旅にたとえたり、航海にたとえたりして分かりやすく教えてくれますが、私たちの人生は、波静かな湖水の上や渋滞なしの東名のようなときばかりではありません。自分の意思で苦難の道を選び取るようなときや、そんなつもりはなくても大波の中に放り込まれてしまうようなときもあるのです。でも大丈夫、イエス様は聖書を通してどんなときでもしっかり歩いてゆくことのできる秘訣を今日の聖書の箇所から教えてくださいます。 それでは今日の聖書の箇所全体を読んでみましょう。(マタイ14:22-33)

それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

A. 困難は世の常 Life is full of difficulties 

1)逆風に襲われ前に進めないようなときもある There are times when you’re up against the wind (22-24)

5000人以上の大きな集会が続いていました。弟子たちはどんな状態だったのでしょうか?肉体的にはとても疲れていて精神は高ぶっていたのではないでしょうか?それでもイエス様とともにこの時間をもっとすごしたいと思っていたようです。しかしイエス様は群衆を解散させるよりも前に、弟子たちに対岸に向かって漕ぎ出すように命じられました。それから人々を解散させたようです。一方イエス様は一人静かに祈るために別行動をとります。弟子たちは集まりから離れ少しほっとしていたかもしれませんがやがてそれどころではなくなります。一晩中、風と波に苦しみ続けなければならなかったのです。

いろいろな問題が重なって、何もかもが行き詰ってしまうようなときがあります。快調に走っていたのに急にブレーキがかかってしまうようなときもあります。やっと長いトンネルのようなスランプから脱したと思ったら、すぐに次のトンネルが待ち構えていたということも。このような時、私たちは怒り、恐れ、自己嫌悪、苛立ちといった感情に支配されてしまいます。「平安」とは程遠い、こんな状態の中で何ができるというのでしょうか?それは「主に助けを求めること」です。主から見放されてしまったのではないかと思えるほどのときでも、実はイエス様はあなたから決して離れてはいないのです。ご存知の方も多いと思いますが、ひとつの詩を紹介したいと思います

足跡

ある夜、一人の男が夢を見ました。夢の中で彼は、イエス・キリストと共に海辺を歩いていました。空には、彼の人生の一場面一場面が映し出されていました。そして彼はそれぞれの場面に二組の足跡が砂の上にあるのに気付きました。ひとつは彼のもので、もうひとつはイエス様のものでした。

 人生の最後の一場面が映し出された後、彼は後を振り向き、砂の上の足跡を見つめました。そのとき彼は、人生の中で足跡が一組しかないときが、何度かあることに気付きました。しかもそれは、彼が人生の中で一番苦しく、寂しく思っていたときでした。 彼は、意外に思いイエス様に尋ねてみました。「イエス様、私があなたに従うと決意したときから、あなたは私と共に最後まで歩んでくださると約束してくださいました。それなのに、私が人生の中で一番苦しんでいたときに、足跡はひとつしかありません。私があなたを一番必要としていたときに、あなたがおられなかったなんてどういうわけですか?」

 イエス様は答えられました。「私の大切な、大切な子よ。私はあなたを愛しています。決して離れることはありません。あなたが、試練と苦しみを受けていたとき、あなたが一人の足跡しか見えなかったとき、それは私がもはや歩くことさえできなかったあなたを背負って歩いていたときです。」

イエス様はあなたにも同じようにしてくださっているのです。

2)神様はあなたを見捨てない 
  God will never desert you

25節から27節までを読んでみましょう。

夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

イエス様もとんでもない方法で近づかれたものです。弟子たちがおびえて叫ぶのも無理はありません。水の上を歩いて近づくなんて、何か悪い霊に決まっている、と思ったわけです。イエス様は基本的には奇蹟や不思議で人の心を勝ち取ろうとはなさらない方でした。むしろ献身的・犠牲的な愛で仕えることを教えた方です。しかしここでは「本当に主に信頼する」とはどういうことなのか弟子たちの心に焼き付けるために、超自然的なアプローチをなさいました。ひどく落ち込んだときにこそ、絶体絶命のピンチにこそ、心の耳を澄まして、イエス様の「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」という声を聞いてください。

B. 主に目を向けるなら水の上でも歩ける
  
With your eyes fixed on God, you can walk on water

1)「来なさい」と主は言われる 
  
The Lord tells us to come (28-29)  

イエス様はペテロを一番の弟子と認めていましたが、それは彼が優れた人だったからではありません。霊的な面から言えばヨハネに、文才から言えばマタイやマルコに、伝道の面ではアンデレに、経済感覚ではユダに、意志の強さではトマスに劣っていたのです。現代のリーダーシップ理論でもたいしたリーダーではないと判断されてしまうかも知れません。彼の素晴らしいところは、誰よりもイエス様を好きだったことです。もちろんクリスチャンはみんなイエス様が大好きなのですが、彼の場合は、それを誰よりも素直に行動に移す人でした。だから失敗も多くしました。でもイエス様は失敗を恐れて立ち止まっているよりも、思い切って踏み出すことを喜んでくださるようです。28,9節を読みましょう。

すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。

ペテロはうれしくなるとこんな、周りにはひんしゅくを買うようなことをつい言ってしまいます。しかしイエス様が「君は本当に水の上を歩けると思っているの?」なんて叱らずに「来なさい」と呼ばれたのでペテロは本当に踏み出してしまいました。ペテロはここが普通の人と違うのです。普通の人ならイエス様に呼ばれたって、常識を働かせて、できないことはできない、と考え踏み出しません。しかしイエス様は、この事を通して私たちがもう少しペテロのように信頼して踏み出すことを求めておられるのではないでしょうか?

2)クリスチャンが主から目を離すとき (30-31) When your eyes are not on the Lord…

せっかく踏み出してイエス様に向かって歩き出したものの、ペトロは人が誰でも持っている性質によって溺れかけます。31,32節です。

しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

しっかりイエス様に目を向けて歩いていたときはよかったのですが、少し慣れてくると周りの様子が気になりだします。そして、その「目に見える現実」に恐れて、イエス様に対する信頼が消え、代わりに疑いが心を支配してしまったのです。

あなたの人生に逆風が吹くとき、それはイエス様がどれほど信頼できる方であるかを再発見できる恵みのときでもあります。平穏な日々が続くと私たちは、それを当然のことと感じ始め、神様から目をそらせ、地上の関心事に心を奪われてしまいます。しかしどんなに順調なときでも私たちは決して主の導き、恵み、知恵、力なしで進んでいるわけではないのです。主から目をそらせたとたんに私たちも航路は狂い始め、やがてペテロのように悲鳴をあげることになります。「イエス様ごめんなさい。あなたが私の人生の舵を取るべきかたでした。」と舵をゆだねるときに、イエス様にあなたの人生の導きをお願いするときに、あなたは失った平安を再び得ることができるのです。

3)あなたの心に主が住んでおられるなら (32-33) If the Lord is within you…

最後の二節を読みましょう

そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

イエス様なしの弟子たちの船は、船長なしの航海をしていました。そして風と波に苦しめられていました。あなたも信頼できる船長がいなければ、人生の嵐を乗り切ることはできません。あなたの船にはイエス様がおられますか?イエス様がなおられるのに自分で舵を握って、かえって進路を間違ってはいませんか?

メッセージのポイント

あなたの人生に逆風が吹くとき、それはイエス様がどれほど信頼できる方であるかを再発見できる恵みのときでもあります。平穏な日々が続くと私たちは、それを当然のことと感じ始め、神様から目をそらせ、地上の関心事に心を奪われてしまいます。しかしどんなに順調なときでも私たちは決して主の導き、恵み、知恵、力なしで進んでいるわけではないのです。主から目をそらせたとたんに私たちも航路は狂い始め、やがてペテロのように悲鳴をあげることになります。「イエス様ごめんなさい。あなたが私の人生の舵を取るべきかたでした。」と舵をゆだねるときに、イエス様にあなたの人生の導きをお願いするときに、あなたは失った平安を再び得ることができるのです。

The trials and difficulties we face every day can be an opportunity to reflect on God’s great faithfulness. Without these opportunities, we often lose focus and take our eyes off the Lord, putting our trust in earthly things. Even when things appear to be going well, we still need the Lord in everything we do, for without his grace, wisdom and power, we can do nothing. When we stray from God, we can cry out for help, He will answer and grant His peace as he gently guides us in His ways.

ミニチャーチのためのヒント

1) なぜペテロは溺れかけてしまったのですか? Why did Peter start to sink?

2) あなたにもペテロのような経験がありますか?それを互いにシェアしましょう Can you relate to Peter? How?