2004/2/8 メッセージノート  
不可能を可能にする力   マタイ15:21-28

The Power that Makes the Impossible Possible
 

 今朝は聖書を通して、神様に対する信仰がどれほど大きな力を発揮するかということを考えて見ましょう。信仰それは神様に対する信頼です。「誰よりも私を愛してくださり、正しく導いてくださり、必要を常に満たしてくださる。」という信頼です。ある人にとって信仰を持つことは死後の天国に入れる入場券でしかなく、生きているうちは、自分の力で何とかしなければならないと考えますが、それでは信仰を働かせることにはなりません。イエス様はあなたの信仰を働かせなさいとおっしゃいます。この信仰によって私たちは大きな力を得て、困難も、危機も乗り越えてゆくことができるのです。

 以前に乗っていたヴァンは四輪駆動で山道を力強く登って行くことが出来たのですが、ある冬スキー場に上ってゆく長い坂道で、どんなにアクセルを踏んでもぜんぜん力が出なくなってしまいました。ひどく黒い煙が出て、軽自動車にも抜かれて行きました。燃料噴射装置が壊れていたのです。

 あなたの信仰は快調なエンジンのようにあなたの人生の力になっていますか?それとも上り坂では「なんて力がないんだろう」と思ってしまいますか?それではいまから、あなたの信仰エンジンのチューンナップをしてみましょう。はじめに全体を読んでみましょう

イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。(21-22)

しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。(23-24)

しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(25-27)

そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。(28)

ティルスとシドンの地方とは今のレバノンの地中海に面した町です。イエス様の宣教活動の範囲ではなく、律法学者やファリサイ派との論争の過熱を一時避けるためにユダヤの地から外に出られたようです。そのようなことはイエス様の宣教活動の中でたった一度のことでした。イエス様のティームは貴重なオフを誰にも煩わされないようそこにいたわけです。

A. 可能なことも不可能にしてしまう態度 Attitudes that make what is possible impossible

それは提供されているパワーユニットを載せずに人力で車を動かそうとするように、神様を受け入れないことに原因があります。またせっかく素晴らしいエンジンを持っているのにその力を発揮できないクリスチャンもいます。
 「不可能を可能にする信仰」なら本の題になりそうですが、実際には反対に、信仰を持っているといいながら出来るはずのことも出来なくなってはいないでしょうか?その原因はいろいろ考えられますが、信仰の場合もいくつかの要因が考えられます。

1)憎しみや偏見 Hatred and prejudice

カナン人にとってユダヤ人は侵略者で、口も聞きたくない人々でした。彼女が「ダビデの子」と呼んでいるようにイエス様がどんなに憐れみ深い方でも、その憐れみはユダヤ人にしか及ばないと考えるのか当時の常識でした。しかし彼女にとっては娘の癒しに力になれるのはイエス様しかいませんでした。

「キリスト教は欧米の宗教、ユダヤ人を迫害した宗教」だから信じたくないと私に言った人がいます。第二次世界大戦で肉親をなくした人です。これはまったくの誤解に基づいた考えなのに、それでイエス様を知ろうとはしないのです。そのような人は皆さんの周りにもいると思います。そのような怒りや誤解や偏見を解くということも宣教の働きの一部なのです。

2)過度の自尊心 Excessive self-esteem

自分は自分の力を自分で発揮できる。確かに順調なときには誰でもそんな気持ちになってしまうでしょう。そんなときにあなたは神様の助けが必要ですと言われても聞く耳は持たないでしょう。しかし問題はそんな人が困難に直面したときです。強すぎる自尊心の持ち主は「こんなに苦しんでいるのに何で神様にゆだねられないのだろうか?」と周りが思うほど指し伸ばされた手にすがることが出来ず、ますます深みに落ち込んでいってしまいます。神様ではなく自尊心を支えに生き続けると、それが役に立たなくなっても手放すことが出来無くなってしまいます。

3)劣等感 Sense of inferiority

強すぎる自尊心とは逆に「劣等感」もまた神様の力が働くことをさえぎってしまいます。「謙遜」であることと「劣等感」を持っていることとは、似ているようでまったく違います。「謙遜」と「劣等感」は「愛されている」という自覚のあるなしで区別することが出来ます。この女性はユダヤ人からは劣っているという目で見られていることは知っていましたが、自分には価値がないものだとは思っていなかったのです。それはイエス様の愛が自分にも向けられているということを知っていたからです。

B. 信仰の力を発揮できる人 People who can show the power of faith

1)憐れみの心を持つ人 Those who have merciful heart

この女性はユダヤ人に対する恨みや偏見の代わりに、悪霊に憑かれた娘に対する憐れみの気持ちを持っていました。そしてそれはイエス様が常に持っていたものです。憐れみの心は打算でも見返りを求めるものでもない愛の表れです。この子を何とかしてあげたい、という憐れみの気持ちがイエス様の憐れみと共鳴するようにして、大きな力が発揮されるのです

2)謙遜な人 Those who are modest

26節のイエス様の言葉に違和感を持つ人は多いようです。あなたがそのように言われたらどんな気持ちになりますか? イエス様は異邦人を差別的に見られたことはありませんでした。ただ神様に命じられた職務はユダヤ人のための働きだったのです。実際の本格的な異邦人伝道は使徒たちの時代になされましたが、イエス様の言葉や行いは、救いがすべての人に及ぶことを物語っていました。彼女は、イエス様が愛の方であることを直感していましたから、イエス様の試みるような言葉にも、反感でも、劣等感でもなく、謙遜な心でイエス様に求めることが出来たのです。


3)簡単にはあきらめない人 Those who do not give up easily (25-27,創世記32:23-31,18:16-33)

創世記の箇所は、アブラハムの孫ヤコブの祝福を求める真剣さ、悪く言えばしつこさを良くあらわしています。それはおじいさんのアブラハム譲りのものでもありましたソドムの町の数少ない正しい者のために、町を滅ぼさないよう神様にしつこく食い下がっています。神様はそれに対して誠実に答えてくださいました。カナンの女性もしっかりイエス様に食い下がっています。たいていの場合神様より人間のほうがせっかちです。深いお考えで答えを遅らせていることもあるのです。神様の沈黙を「NO」と早合点してあきらめてしまえば、神様が力を発揮するチャンスを自ら閉ざしてしまうことになってしまいます


4)恵みの大きさを信じる人 Those who believe in the greatness of grace

私たちは有限な存在です。優しさ、良心、ないわけではありませんが小さくまたもろいものです。結果として人を悲しませてしまったり、人から裏切られてしまったりということを経験しています。イエス様は一人の人格として私たちに接してくださいますから、私たちはいつの間にかイエス様に対しても大きな期待はしないほうがいい、裏切られたときにダメージが多いから。と思ってしまいます。でもイエス様はそんなに小さな存在ではありません。神様の恵みを実際に数量化することは出来ませんが、イエス様がユダヤ人のために注ぐミニストリーの何千分の一のパンくずほどの憐れみであっても彼女とその娘にとっては十分すぎるほどであることを知っていました。


メッセージのポイント

「信仰は生きる力である」ということを否定するクリスチャンはいません。しかし実際に信仰がその人の生きる力となっているかというと残念ながら自信のない人が多いのです。イエス様から「あなたの信仰は立派です」とほめられた異邦人女性に私たちが見習えることは、主の恵み、憐れみによって憎しみや偏見、過度の自尊心や劣等感から自由になること。そしてイエス様の憐れみ、謙遜、忍耐、そして父なる神様に対する信頼を身につけてゆくことです。

 
No Christian would deny that 'faith is a living power'. Unfortunately, however, many people are less confident about whether their faith actually gives them the strength to live. We can learn from the women who was described by Jesus as having a 'great faith' by becoming free from hatred, prejudice, excessive self-esteem, or an inferiority complex through the Lord's grace and mercy and, in turn, imitating Jesus in his mercifulness, modesty, patience, and trust in God the Father.

ミニチャーチのためのヒント

1) なぜイエス様は初め否定的に答えられたのでしょうか?

Why did Jesus react negatively in the beginning?

2) カナンの女性から学んだあなたにとって一番大事なことは何ですか?

What is the most important lesson that you have learned from the Canaanite woman?