2004/3/14 メッセージノート
あなたの命の値段 The Price of Your Life
マタイによる福音書16章21-28
A. あなたの命を買い戻すためにイエス様が支払った代価
The price that Jesus paid to 'buy back' your life
1) 弟子たちには受け入れ難かった受難の予告(21-22)
Jesus' prediction of his suffering--a hard thing for the disciples to accept
このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。 すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」(21-22)
イエス様はついに十字架の苦難についてはっきりと予告し始めました。十字架と復活は福音の中心です。しかし弟子たちはイエス様がどのような形で、ご自身がメシアであることを明らかにされるのか理解してはいませんでした。宗教犯、思想犯として処刑されるということは、このときの彼らにとってはまだ「敗北」に思えたのです。イエス様に期待した多くの人々と同じように、地上の王として権力を握ることを、イエス様に期待していたのです。そこでペトロはこのように反応したわけです。それはイエス様を敬愛する彼としては、ごく自然の反応でした。
2) ペテロの自然な反応に、イエス様は・・・(23)
Jesus' response to Peter's seemingly natural reaction
このペトロの言葉にイエス様は大変厳しい口調でペトロを叱ります。
イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(23)
イエス様は人間の持つ自然な感情を否定しておられるのではありません。ただ時として、人間の自然な感情が神様の計画を妨害してしまうことがあるということを警告しておられるのです。それにしても、小さな子供が、お父さんやお母さんが仕事に出かけるときに、ついさびしくてすがりついて「行かないで」と駄々をこねるように、イエス様を諌めたペトロに対してイエス様の言葉は厳しすぎると感じられた方もいるでしょう。しかしイエス様の計画に変更を加えたり、否定したりするということは、イエス様に敵対するサタンの側に立つということなのです。サタンに手を貸したくないなら、しっかりとイエス様の計画を知り、したがってゆく必要があるのです。
B. 私は何をするべきなのか(24-28) What should I do?
イエス様はペテロを叱った後、弟子たちに次のような言葉で、やがて十字架に架けられるイエス様に従って行くとはどういうことなのかを話されました。それは当時の弟子たちにだけ問われているのではなく、私たちにも問われていることなのです。ではまず24-25節を読みましょう
1) 人ではなく、神様に従う Following God instead of human beings
それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。(24-25)
人間はみな例外なく自由な存在です。しかし長い人間の歴史を通して、人が人の上に立ち支配する者と支配される者とが存在する社会でした。貧富の差、教育の差、民族の違い、性別などを理由に人を差別してはいけないという考え方は最近の100年にようやく常識になりつつあります。それは大変素晴らしいことですが、多くの人は、自由と自分勝手を取り違えて、自分の自由のために他者の自由を制限しています。本当の自由は、他者の幸せのために自分の自由を自主的に犠牲にする自由です。イエス様は神様としての立場からまったく自由に離れられ、自発的に私たちの罪の赦しのために十字架にかかりました。ここに真の愛と自由があります。イエス様に従ってゆくということは、この犠牲となることもいとわない愛を自由に発揮するということです。それは自分に、自分の欲望に固執するのと正反対の生き方です。
2) 今までの自分の価値観を疑ってみよう
Critically judging the values you've held until now
このような生き方を損な生き方と考える人もいます。人を愛することではこの世の富を蓄えることは出来ません。それよりも、自分を誰よりも大切に思い、懸命に自分のために働いた方が良いと考えるのです。26節を読みましょう
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。(26)
3) 自分の価値を知る Understanding your own value
人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。 はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」(27-28)
イエス様は私たち一人一人に語られます。あなたはいろいろな物を手に入れたけれど、どんなにたくさんのものを手に入れても「永遠の命」だけは買い取ることは出来ないよ、と。また苦労して手に入れたものだって、この世の命が終われば持ち続けることは出来ないよ、と。永遠の命=それは神との和解によって与えられる終わることのない平安です。この平安を得るためにはたった一つの方法しかありません。それは 1)で紹介した「人ではなく、神様に従う」ということなのです。
メッセージのポイント
イエス様はついに自分の地上での任務の核心について弟子たちに語り始めました。「とんでもないことです」といったペテロの心情を私たちはよく理解できます。しかしイエス様は「優しく、すぐれた、思いやりのある先生」という人としての役割を超えて、すべての人が本来の自分の価値を取り戻すために自らを犠牲にするために来てくださいました。私たちが自分らしく生きるために一番必要なことは、代価を払って何かを買ったり、自分に投資して知識や資格を得ることではありません。それらは役に立つかもしれませんが、逆に害になることもあるのです。あなたが本当に自分らしく歩みたいと願うなら、考えるべきことはただ一つ「イエス様についてゆく」こと以外にはありません。
In these passages, Jesus finally began to talk to the disciples about the heart of his mission in this world. Peter's emotional response, "Never, Lord!", is easy for us to understand. But Jesus, rather than simply being a 'nice, good, caring teacher', came to this world to sacrifice himself, so that every person would be able to regain their true value. What we need most in order to live as we were meant to live is not something that we can buy or gain through education, etc. These things may help us, but it could also harm us at times. There is no other way for you to live fully than to follow Jesus.
ミニチャーチのためのヒント
1) 「神のことを思わず、人のことを思っている」とはどういうことでしょうか?
What does it mean to "not have in mind the things of God, but the things of men?"
2) あなたにとって「自分を捨て、自分の十字架を背負う」とは?
What does it mean for you to "deny yourself and take up your cross"?