2004/3/28 メッセージノート
小さくても大きく成長する信仰 (Mat. 17:14-23)
A Small but Growing Faith
一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」(14-16)
イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」 そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。(17-18)
弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」(†底本に節が欠落 異本訳)しかし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行かない。(19-21)
一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。(22-23)
A.力ある信仰とは Faith that has power
1)困難な中で発揮できる力 Power that can be exercised in the middle of hardship
ある宗教の信者の方と話した時「キリスト教は愛の宗教と言われていますが、私たちのは力の宗教です」と言われたことがありました。どうやら彼らにはキリスト教には優しさはあっても力はない、と思われているようです。しかし愛は力の反意語・無力の同義語ではありません。愛はすべてに勝る力です。
ただ私たちが信仰の力を十分現せているかというと、残念ながらそうではないようです。弟子たちもまた困難に直面して力を発揮できませんでした。結局イエス様が悪霊を追い出されました。私たちは状況が困難になればなるほど信仰がしぼんでしまうような傾向を持っていますが、イエス様の信仰はそうではありませんでした。
イエス様は自分たちにはできなかった弟子たちに対して、あなたにはできませんあきらめなさいとはおっしゃいませんでした。出来るという信仰を持ちなさいと叱り、励まされたのです。
2)与えられている権威に相応しい力 Power that matches that authority that is given
(10:8, 17:14-23)
10章を見ると弟子たちが悪霊を追い出す権威を与えられていたことが分かります。権威が与えられているということはその力を発揮することを期待されているということです。私たちの信仰は神様が与えてくださった大きな権威に相応しい大きな力なのです。
3)目立たなくても生き生きと働く力 Power that may not be conspicuous but is full of life
みなさんはからし種を見たことがありますか?聖書にでてくるのは、わたしたちが知っている赤唐辛子の種とは違います。それはさまざまな植物の種の中でも非常に小さい部類に入るものです。
イエス様は始めから「大きな信仰を持ちなさい。」とはおっしゃいませんでした。信仰を働かせるのは、何か大きな出来事を目の前にする時だけではありません。日常生活の小さな一つ一つの言動も、クリスチャンにとっては信仰を働かせてなされるものなのです。
どんなことにせよ、主に信頼して行っているなら、そのことがどんな展開になったとしてもクリスチャンは正しく対処することが出来ます。困難や失敗に直面しても、絶望、怒り、あきらめに心が支配されることがありません。逆に物事がうまく運んでも決して高慢にならず謙虚でいられます。そのようなことが本の小さな信仰さえ持っていれば可能なのです。
4)小さくても日々成長してゆく力 Power that is small but is also growing daily
しかしこのからし種は成長すると人の背丈よりも大きくなるものです。
私たちの信仰は始めは頼りないようでも、働かせてゆくにつれて、大きく強くなり、やがて「山を動かせるようになります」
山を動かすとは、困難な問題を解決するという意味で当時のユダヤで使われた慣用句です。
B.信仰を妨げる要因を除くには How to remove the obstacles standing against faith
それでは、こんなに強力な信仰をいただいているというのに私達はなぜ自分たちが無力だと感じてしまうのでしょうか?その原因と対策を考えてみましょう。
1)目に見える状況への恐れを克服する Overcoming the fear of visible circumstances
恐れは私達を萎縮させ、足を一歩も前に出られないようにさえ働きますが、恐れという感情自体は私たちの身を危険から守る大切なものです。 これがなければ命はいくつあっても足りないでしょう。克服したいのは、恐れる必要がないものに対して恐れて本来の力を発揮できなくなることです。イエス様の命令に従って海の上を歩き出したペトロの話を憶えていますか?ペトロはイエス様を信頼して歩き出したまでは良かったのですが、波や風に怖気づいて溺れかけてしまいましたね。主がともにおられることを忘れてしまう時、私達は正しい判断ができなきなってしまうのです
2)主の憐れみを知り、自信を取り戻す Regaining confidence
私達はペトロの失敗を繰り返します。自己嫌悪に陥り、自信を喪失してしまいます。そのとき一番喜んでいるのはサタンです。
あなたが主にある勇気・知恵・力だと思っていたのはみんな思いすごしだよ。あなたはちっとも神様に相応しい存在じゃない。あきらめて堕落してしまったほうが楽じゃない?と誘惑するのです。
イエス様は私達を深く憐れんでくださる方です。わたしたちが慕い続ける限り赦してやり直しをさせて下さる方なのです
3)神様に対する確かな信頼を身につける Having firm trust in God
結局、あなたはどれほど主を信じているのか、ということが信仰の力を発揮する鍵です。世の中には心配したらきりがないことがたくさんあります。自分の力ではどうすることも出来ないような難問に直面するときもあります。信仰とは神様に対する信頼です。この信頼を強化する方法は信仰の基礎体力をつけることとOJT(実地訓練)で鍛えることです。
信仰の基礎体力は礼拝すること・祈ること・聖書を読むこと・同じ主を信じる人々との交わりを持つことによって強化することができます。そしてそれ以外の時と所で私達はいつでもOJTに取り組んでいるのです。
メッセージのポイント
目の前に広がる現実は時として私たち圧倒し絶望させますが、イエス様は「あなたは無力な人間なのだから仕方がない。あきらめなさい」とはおっしゃらずに「からし種ほどの信仰を持ちなさい。そうすればどんな困難もあなたを打ち倒すことは出来ません」と励ましてくださいます。信仰は教会員であるための資格ではなく生きて力なのです。あなたの信仰が実際の生活の中で無力だと感じているとしたら、与えられている力を発揮するために少し物事の見方考え方を、主の導きに従って修正する必要があります。
Although the realities we face sometimes overcome us and cause us to despair, Jesus does not say, "Well, you're a powerless human being. Just give up." Instead, he encourages us by saying, "Just have a faith as small as a mustard seed and no hardship will destroy you." Faith is not a qualification you have in order to be a member of a church but rather a living power. If you sense that your faith is powerless in your daily life, you need to correct your perspective on things by following the Lord's guidance in order to exercise the power that is given to you.
話し合いのためのヒント
1)なぜ弟子たちには癒すことが出来なかったのでしょうか?
Why couldn't the disciples heal the boy?
2)あなたの信仰には困難を乗り越える力がありますか?
Does your faith have the power to overcome hardships?