2004/8/8 メッセージ

クリスチャンスタイル マタイによる福音書22:1-14

イエスは、また、たとえを用いて語られた。 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。(1-7)

そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。(8-10)

王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(11-14)

A) この話が教えてくれること(1-10)

1)すべての人が神の国に招かれている

「あなたに幸せになって欲しい」 それは神様のすべての人に対する願いです。聖書は、すべての人の幸せは、イエスキリストとどのような間柄になるか、にかかっていることを私たちに教えてくれます。

イエス様は私たちともっと親しくなるために、「私のもとに来なさい」と招いていてくださるのです。この招きは10節にあるように、今まであなたがどんな人生を歩んできたのかによって決められるのではありません。ただ神様はあなたを愛しているのでチャンスを与えて下さっているのです。

2)神様の招きを拒否する人

ところがこのたとえ話では始めに招待された人々はなんだかんだといって、招待を断るばかりか、この招待状を持ってきた王の家来を乱暴して殺してしまいました。イエス様がここで直接非難しているのは預言者たち、特にバプテスマのヨハネを死に追いやってしまった当時のイスラエルの権力者、宗教指導者たちです。先週のメッセージのぶどう園の農夫と同じですね。それを今回は神の国への招きという視点から、語られています。ただこのメッセージは今の時代に生きる私たちにとっても現実の問題です。なぜなら世の終わるまでこの招きは続いているからです。私が妻を通してイエス様を知ったということは、もう大分多くの人が知っていると思いますが、つまり妻は先にこの招待に応じてイエス様の婚宴にいたのです。そしてこんなに素晴らしいところには入れないのはかわいそうということで、そこから抜け出して「なんかいいことないかなー」とブラブラしていた私を誘ってくれたわけです。わたしはただでは入れるところにろくなものはないと嫌がりました。もちろん暴力を振るったりはしませんでしたが。何度か誘っても断られて、また婚宴に戻ってゆく妻を見て私はついてきてしまったということです。そして本当に、ここに涸れることのない真理の泉、愛の泉、命の泉があることを知って、留まり続けているのです。一旦招待を受け入れこの素晴らしさを味わった者は、今度は王の家来として招く者となりこの世界に出て行くのです。現在でも、世界中のいたるところで、この働きのために苦しみを受け、時には命を落とす者もいるのです。わたしたちもまた教会として個人として、いろいろな方法で人々を招き続けます。一人でも多くの人にこの喜びを伝えるためです。

3)招かれても選ばれない人

さて今日のたとえには先週のたとえにはない新しい要素が加えられています。それは招かれ、招きに応じて入ったにもかかわらず王様に追い出されてしまった人がいたということです。そしてその追い出された理由は礼服を着ていなかったからです。王の前に出るときの礼服は自分で用意するものではなく王から与えられるものでした。ですから彼は用意がなかったのではなく、着ることを拒否したのです。それがたった一人とされていることから、イエス様は直接には、「裏切ったユダ」を指してたとえたのではないかという説もありますが、決定的ではありません。

 神様が与えてくださり、イエス様に従ってゆくなら必ず身につけているべき礼服とは、私達にとってどのようなものなのでしょうか?

B) 私たちにふさわしい衣装とライフスタイル(11-14、エペソ6:10-20)

エペソの信徒への手紙6章20節からまず13節までを読んでみましょう。

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。(エペソ6:10-13)

ここに、クリスチャンが身につけるべきことが紹介されています。パウロが書いたこの手紙のあて先であるエフェソは地中海に望む今のトルコの一部ですが、当時はギリシャの文化圏、政治的にはローマの支配下にあって大変栄えていた商業都市でした。ローマの圧倒的な力の下で平和も保たれていた時代です。それでもパウロは戦争中のような心構えを勧めているようです。そしてその戦いは、悪魔との戦いだというのです。これは今のこの国の状況と似たところがあります。不況とはいえ、世界の中で物質的には最も恵まれている国のひとつであることは疑いありません。戦争の危険も最も少ない国のひとつといえるでしょう。しかしこの国に住む人々の心の状況はどうでしょう。暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊に操られ悲惨な状況ではありませんか?

あなたがもっと強くなることを神様は期待しています。その強さは神様が提供してくれるものですから、今の弱さを思って、強くはなれないというのは間違いです。強くなる方法は、主により頼むこと=主を信頼して進むことです。あなたは神様の偉大な力によって強くなるのです。この強さとは、悪に立ち向かう強さ、愛し続ける強さであり、人々のそして自分の心の闇に対抗することができるのはこの力しかありません。

1) 身につけているべきもの

さらにこの力を効果的に用いるために、神様が与えてくださるものが、ここに「神の武具」として紹介されています。14−17節を読みましょう

立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。(エペソ6:14-17)

ここに出てくる一つ一つは戦いには欠かすことの出来ない基本的な装備です。真理とは福音の真理つまりイエスキリストを主とかたく信じることです。神様の示される正義を求め、争いではなく平和をもたらす者として歩み、火の矢が飛んでくるようなときにもイエス様を信頼して歩き続けるのです。救われている確信をいつも新たにしながら。

ここまでは皆身を守る防具でしたが、たった一つの武器として「神の言葉」が紹介されています。信頼や確信では、身を守ることは出来ても強力な闇の力を倒す、世界を変えて行くことは出来ません。その力があるのは、私達の知性、感情、信仰の状態に関係なく力を発揮できる「神の言葉」なのです。

イエス様も悪魔から3回誘惑を受けられたとき、3回とも聖書の言葉で悪魔を沈黙させ去らせました。(マタイ4:1-11)

2) ライフスタイル

18−20節を読んでみましょう

どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。(エペソ6:18-20)

どんなに防具が立派でも私たちの霊に基礎体力がなければ、戦いを続けることは出来ません。私たちの霊の基礎体力は、祈りによって維持されるのです。祈りこそクリスチャンのライフスタイルの基本です。力となるのは自分の祈りだけではありません。これが祈りの素晴らしさですが、あなたが祈る気力を失っているときでさえ、誰かの祈りがあなたの力となるのです。あのパウロでさえ自分の働きが多くの人々の祈りによって支えられなければ不可能であることを知っていました。あなたも自分のためにはもちろんのこと、教会の働きのため、牧師のためにも祈ってください。

メッセージのポイント

私達は誰でも例外なく、人間として最もふさわしい生き方=神の民としての生き方をするように神様に招かれています。クリスチャンになるということは、この招待を受けてイエス様に従う者となり、イエス様とともに歩む人生を始めるということです。招いてくださる方を尊敬し、信頼するから招きに応じ尊敬の念を持ちそれを表現するのが、招待されたものの正しい振る舞いです。しかし私達はクリスチャンとなった後でも、いつの間にか無意識のうちに心の中でクーデターを起こし、自分を主としてしまう危険も持っているのです。そうならないための内面的な装い、ライフスタイルを身に着けましょう。

話し合いのヒント

1) なぜ始めに招かれた人々は招待を無視したのでしょうか?

2) イエス様の婚宴にふさわしい礼服とは何を意味しているのでしょうか?