2004/12/19 クリスマスメッセージ(3)ルカによる福音書2:1-21
2000年前、あなたのために生れた方
A 歴史上最も重要な夜
聖書は私たちに、歴史上最も重要な日と、最も重要な朝と、最も重要な夜について教えるために書かれた書物です。 最も重要な日は、イエス様が私たちの罪の身代わりとなり十字架にかかって死なれた日です。最も重要な朝は、十字架の死の三日後に起こった復活の朝です。そして今朝お話しする歴史上最も重要な夜とは、イエス様がお生まれになったクリスマスのことです。皆さんがクリスチャンになってからは毎年クリスマスが来るたびに読んでいるところだと思いますが、丁寧に少しずつ読んでゆきましょう。きっとまた新しい洞察を得ることが出来ると思います。
1) 様々な人を通して実現する神様の計画(1-5)
それではまず1節から5節までです
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。(1-3)
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなづけのマリアと一緒に登録するためである。(4-5)
当時のユダヤはローマ帝国の支配下にありました。この皇帝は前31年から後14年まで皇位についていました。実際の大規模な人口調査という歴史的な出来事のあったときにお生まれになったということからイエス様の誕生が歴史的事実であることが分かります。イエス様は神話の神様ではなく歴史の中に入ってきてくださった方なのです。もっとも残念ながら実際には12月25日ではなかったようです。西暦はクリスマスを起点とする暦として中世(525年)に採用されたのですが、計算間違いをしていたようで、紀元前7年頃と考えるのが、有力です。日にちについても確証がないまま、この日に祝うようになりました。でもお生まれになった日が分からないからといって、その誕生を祝ってはいけないことはありません。2010年ほど前にイエス様が私たちのために来てくださったことは確かなのですから。ベツレヘムはエルサレム近郊のダビデ王が生まれた町ですが、イエス様の誕生の頃には、ミカによる預言にもかかわらず、何の重要性もない町とされていました。(ミカ5:1、ヨハ 7:41-42)
エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。(ミカ5:1)
「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。 メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」(ヨハネ7:41-42)
ミカの預言は成就しました。ヨセフとマリアはイエス様が預言の通りベツレヘムに行って生まれなければならないからと、出かけたのではありません。身重の体にもかかわらず、人口調査のために行かなければならなかったのです。
神様が重要な事をなさる時、すべての事を御自分で奇跡的になさるわけではありません。いろいろな人の決断や行動を通して事をなされるのです。マリアとヨセフが衝撃的な出来事にもかかわらず、神様を信頼して、結婚し、イエス様を生み育てる決心をしたこと、時のローマ皇帝が人口調査を思いたった事、様々な人々の言動を用いて神様は事を起こされるのです。マリアとヨセフの決断は私たちが主に従って歩もうとする時のよいお手本です。神様は有名な人の目立つ働きも、無名な人々の小さな働きも組み合わせてーつの偉大な事をなさるのです。
2)かいば桶に置かれた王?(6-7)
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(6-7)
ベツレヘムの町は人口調査のために帰郷した人々であふれ、泊まる事が出来る宿はもう残ってはいませんでした。ふたりは馬小屋で夜を明かすことになり、ここでイエス様は生れました。すべての人の主となられる方なら、ブッダのように由緒正しい王室に生まれるのが本当ではないかと思うのが普通かもしれません。でもイエス様は馬小屋で生れ、かいばおけの中におかれました。でもそれはイエス様の生涯にふさわしい誕生だったのです。イエス様は小さい者、弱い者、身分の低い者の悲しみや苦しみを身をもって知っておられ、権力者や貴族や裕福な者の友であるより、そうではない者と共に、彼らのために地上での生涯をすごされたのです。
B あなたも奇蹟の証人になれる
最初に、神様はいろいろな人々を用いてその栄光を現わされるとお話ししましたが次に登揚してくるのは羊飼いたちです。彼らはー般の庶民より、もっと低い身分の人々でした。社会的地位も信用もない証人としては最もふさわしくないと思われる人々です。けれど残りの部分を読んでゆくと、彼らこそ救い主イエス様の誕生の証人としてふさわしかったということがわかります。また羊飼いやマリアを通して、私たちが、イエス様が救い主であることの証人として歩んでゆくためのヒントをいただくことができます。
1)日常の生活の中で神様の呼びかけを聞く(8-14)
それでは8節から14節までを読んでみましょう。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。(8-9)
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(10-11)
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(12)
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(13-14)
神様の代理として天使が語りかけたのは、夜中に働いていた羊飼いでした。多く人々は、立派な教会のおごそかな礼拝の中で神様が呼びかけて下さると思っていますが、本当は特別な人にではなく私たちに、しかも日常の中で心の耳を澄ませば語りかけて下さる方なのです。
2)呼びかけに応えて行動する(15-16)
彼らは天使の奇妙な呼びかけを疑うことなく信じて、行動しました。15-16節です
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。(15-16)
神様がしてくださることに対する好奇心、期待が私たちの行動の力です。今の時代に生きる私たちにはそれが欠けているのではないでしょうか?神様がいろいろな人を通して、あるいは聖書を読んでいる時に教えてくださっても、自分の思い込みなのではないか?単なる自分の願望ではないかと考え、リスクを恐れて神様がストップする前から、なかなか自分から行動に移ろうとはしないのです。御心を良く知ることのできる人になる方法はたった一つしかありません。それは失敗を恐れないことです。
3)記憶にとどめる(17-19)
その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。(17-19)
マリアはその時その時、神様がなさることを理解できていたわけではありません。 しかしその時は理解出来なくても起きたことを心に納めました。 イエス様が救い主としての活動を始められてからも、彼女にとっては理解できない、納得できないことがイエス様の活動には多くあったのです。それでも彼女はあの十字架の元にまでイエス様について行きました。彼女がそうすることが出来たのは、イエス様についての最初の出来事が預言の通りであったことを、その時その時思い起こすことが出来たからです
4)再び日常生活の中へ(20-21)
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。(20-21)
この部分を読む時、私はいつも私たちが日曜の朝ごとにここにつどっていることを思いうかべます。たった2時間ですが曰常から離れて主に向って歌い、神の言をメッセージを通して聞き、そして日常の中に帰ってゆく。人は日曜礼拝の中でだけクリスチャンであるのではなく、むしろ残りの6日間を日常生活の中で証人として歩めるように、日曜の礼拝から一週間を始めます。私たちの日常生活の中でこそ、キリストの香りを放って歩むことが大切です。
メッセージのポイント
クリスマスのエピソードは遠い昔のイスラエルの出来事として、自分には関わりのない事のように思える人のほうが多いこの国ですが、イエス様はすべての人のために人となられた神様です。あなたが聞こうとするなら、あの夜、歴史の中に突入された神様、イエス様は今もあなたの人生に素晴らしい変化を起こす言葉を与えてくださいます。それは特別な宗教的雰囲気の中で起こることではなく、あなたの日常の中で起こることです。イエス様の言葉によって日々変えられる私たちは、その変化を日常の中で生かしてゆくことができます。イエスキリストはあなたのために生まれた方なのです。
話し合いのヒント
1)イエス様がお生まれになったとき、王家の立派なベッドではなく馬小屋の飼葉桶だったことをどう感じますか?
2)日々の生活の中で、神様が呼びかけておられるのを意識したことはありますか?