2004/12/26 クリスマスメッセージ(4) 

イエス様の誕生と新しいあなたの誕生  
ヨハネによる福音書1:1-18

先週まで三回そしてイヴの礼拝を含めて四回クリスマスについてのお話をしてきました。今日が今年のクリスマスメッセージシリーズの最後です。今日とりあげるヨハネによる福音書の最初の部分なのですが、ヨハネによる福音書はそれ以外に三つの福音書と違った雰囲気があります。哲学的というか、象徴的というか、霊的な感じが他の三つより強いので「深いなー」と感じたり、「分かりにくいなー」と感じたりする人もいるでしょう。今日の個所も分かるようで分からない。メッセージを聞くと納得するのだけれど、帰って考えてみると腑に落ちない。ということになりやすいところなので、一日たっても分からなくならないようなメッセージを心がけてお話したいと思います。

A. クリスマスの本当の意味を理解しよう

1) 初めからおられた方

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。(1-3)

最初から単純なのか複雑なのか分からない文章です。私たちが国語の時間にこんな作文をしたら、先生から、これは正しい文章ではありませんと叱られてしまいます。

次の部分まで読み進めてゆくと「言」とはイエス様のことだと分かります。イエス様は神様とともに最初からおられた方だということです。1人の人として地上におられたのは2000年前の30年ほどのことでしたが、すべてのものが造られるのに先立っておられた方なのです。しかし、「共にあった」と言ったすぐあとで「言は神であった」です。このことを説明するために教会は「三位一体」という言葉をもう西暦300年頃から使っていました。たった1人の神様が三つの有りようで御自身を私たちに表されるのです。このように考えると、父なる神様、イエス様、聖霊についての関係がすっきりします。それで、共にあったということと、言葉は神であったということが一緒に成り立つのです。

 でも、すべてのものが「言」によって出来たとなると、イエス様によってできた?ということになってしまいますよね。このときの言葉はまだイエス様と私たちが受け取れるような方ではなく、文字通り神様の口から出る言葉として、あったのです。神様がすべてのものを造られた過程は創世記の一章に記されています。


2) イエスキリストの内にある「永遠の命」

言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(4)

命、光は「言」つまりイエス様の内側のことを表現しています。命とは(神様と共にいるという意味で使われる)「永遠の命」です。私たちに必要な唯一のもの「永遠の命」すなわち「神様と共にいる」こと。そのためにはイエス様を知らなければならないのです。なぜならイエス様の外側には「永遠の命」はないからです

3) 「永遠の命」の輝きを

光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(5)

残念なことに多くの人々はいまだに、自分の問題の本当の解決はイエス様だということに気付いていません。2000年前にその輝きが始まり今でも信じる人々を通して掲げられている光を理解できないでいるということです。


4) 焦点は常にイエス様へ

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。(6-8)

ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。(15)

この部分はバプテスマのヨハネについての説明です。彼の活動を見聞きしてヨハネが救い主なのではないかと誤解した人が少なからずあったのです。現代でも同じことが起こっています。たとえば多くの人々はマザーテレサの働きを賞賛します。でも彼女の人々の対する願いは、自分を賞賛してもらうことではありませんでした。そうではなく彼女にあのような生き方をさせたイエス様を賛美し、自分も彼女のように主イエスキリストを信じて従うことなのです。


B. イエス様を通して新しい命を得る

1) イエス様を知る前の私たち

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。(9-11)

イエス様が与えようとしている永遠の命は、特定の人のためのものではありません。すべての人にもらう権利のあるものです。まだイエス様を信じる前の私たちは、この目の前に差し出されて受け取ることのできる権利があるのに、気付かずにもらおうとしなかった状態にあったのです。


2) ただ恵みによって新しく生まれ変わる

でもあるとき、私たちに大きな変化が起こりました。今まで信じられないと思っていたイエス様を信じようと思ったときです。それは私たちに特別な資格があったわけでも、良い人であったからでも、能力があったからでもありません。むしろ罪深い者、内面の醜い者であるにもかかわらず。ただ憐れみによって、恵みによって生まれ変わりました。そう、それは新しく生まれたと言ってもいいほどの体験だったのです。

しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。(12-13)


3) イエス様を通して神様を知る

ヨハネは、イエス様誕生の本当の意味を次のように表現しています。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(14)

わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。(16-18)

今日は2004年最後の礼拝です。こうして皆さんと共に礼拝することができることをとてもうれしく思います。今年も二人の方が夏に、このターニングポイントを迎えました。イエス様を主と信じクリスチャンになったのです。2人とも今家を離れそれぞれの場所で学んでいるので、ここにはいませんが、新しい歩みを喜んで楽しんで歩んでいます。まだクリスチャンとしての歩みを始めることに戸惑いを感じている方にお勧めします。神様っているのかなーと思っている人は沢山います。でも聖書ははっきりと語っているのです。「神を見たものはいない」と。しかしただ1人の神の御子イエスキリストが見に見える事実として、この世界に現れて以来、チャンスはあなたの目の前に差し出されているのです。あなたは本当に豊かですか?本当に幸せですか?もし100%の自信をもってそう言えないのならどうかイエスキリストをあなたの救い主として受け入れ、クリスチャンとして歩みだしましょう。

メッセージのポイント

クリスマスの出来事は、2000年後の世界に生きている私たちにとっても大きな意味を持っています。あの日に降誕されたイエスキリストという唯一の人格を通してでなければ誰も神様とつながることは出来ないと、聖書は証言します。すべての宗教は(キリスト教を含めて)人から神様に近づく営みです。そして聖書は事実上キリスト教の教典ですが、それを単に人の英知の集積ではなく、神様の啓示として受け取るときに、神様のほうから私たちに近づいてくださり、私たちはもはや教会という団体や、キリスト教の教義を信じているのではなく、イエス様として御自身を表された人格的な神様を信じていることになり、神様との関係が回復されていることになるのです。

話し合いのためのヒント

1) 今日のテキストで「光」と表現されているのは何のことでしょうか?なぜ光と表現されたのでしょう?

2) クリスマスの出来事はあなたにとってどのような意味がありますか?