2005/1/2 新年礼拝メッセージ 

新しい祈り・新しい祝福・新しい賛美 

(詩篇115編)

欧米では新年を盛大に祝う習慣はありませんが、アジアの国々では新年は大きな区切りとして様々な行事が行われます。特にこの日本では、正月は最も重要なときとされています。離れ離れに暮らしている家族が集まったり、神々に一年の祝福を願って、普段全く宗教からかけ離れている人でも神社に行ったりするのです。

偶像を礼拝することは無意味なばかりか有害なことですが、年の変わり目を意識することはクリスチャンにとっても大切なことです。日本の格言に「元旦に考えたり行動したことがその1年を特徴づける」という意味のものがあります。今日は正月2日ですが、一年の最初の日曜礼拝ですから、相応しい聖書の個所を取り上げました。最初に詩篇の115編全体を読んで見ましょう。 

2005年の初めに新たに心に留めるべきことは何でしょうか?この詩篇は私たちに三つのことを教えてくれます。それは新しい祈り・新しい祝福・新しい賛美です。1-3節をもう一度読みます。

A.新しい祈り

1) もう一度主に目を向けて

わたしたちではなく、主よわたしたちではなくあなたの御名こそ、栄え輝きますようにあなたの慈しみとまことによって。 なぜ国々は言うのか「彼らの神はどこにいる」と。 わたしたちの神は天にいまし御旨のままにすべてを行われる。(1-3)

去年の出来事の中には、楽しいこともあれば、思い出したくない辛いこともありました。良いことであれ、悪いことであれ、そのこと自体に目を向け続けるなら。私たちの祈りのフォーカスはいつの間にか自分の願いだけに向いてゆきます。「神様、どうかこれを取り去ってください」あるいは「ずっと与え続けてください、もっと多く与えてください」でもそれでは、神を信じない人が一年に一度だけ、なんとか神社で祈る「神様お願い!」というのと変わりありません。本当の神様はお賽銭を入れたら恵みがでてくる自動販売機のような方ではありません。イエス様は十字架にかかられる前「この苦難から逃れられることが私の願いですが、でもあなたのお考えの通りになさってください」と父なる神様に祈られました。私たちが目を向けるのは目の前にある状況ではなく、神様御自身であることを、今朝もう一度確認しましょう。私たちの祈りの原点は「あなたの御心がなりますように、あなたの御名があがめられますように」 です。私たちの祈りがそこにフォーカスされるなら、神様は私たちの世界の中でも存分にその力を発揮してくださるのです。 


2) 偶像を棄てて

国々の偶像は金銀にすぎず人間の手が造ったもの。 口があっても話せず目があっても見えない。 耳があっても聞こえず鼻があってもかぐことができない。 手があってもつかめず足があっても歩けず喉があっても声を出せない。 偶像を造り、それに依り頼む者は皆、偶像と同じようになる。(4-8)

偶像を実際に作り拝むことはもちろん、心の中に神様以上に大切なものがあるならそれは「偶像礼拝に他なりません」 それらにより頼んで神様に信頼をおかないことが、人の歩みを狂わせます。あなたは心の中心にイエス様ではなく偶像が居座っていませんか? もしそのようなことがあれば、その人の祈りには全く力がありません。


3) 主に依り頼もう

とはいえ、人間の弱さはいつの時代にも偶像に場所を与えてしまいがちです。神様に、奇跡的にモーセを用いてエジプトから脱出させてもらったイスラエルの民でさえ、ほんの少しその指導者が見えなくなるとすぐに不安に駆られて金の子牛の像を作ってしまいました。偶像礼拝の誘惑に隙を与えない唯一の方法は、どんなことがあっても主を信頼してゆくという態度です。9−11節を読みましょう

イスラエルよ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。 アロンの家よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。 主を畏れる人よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。(9-11)


B.新しい祝福

1) 祝福を願い求める

神様が私たちの心にもう一度憶えて欲しいと願っておられる第二のことは、新しい祝福を求めなさいということです。「祝福を求めなさい」というと何か抽象的ですが、それは神様が与えてくださる幸せのうちに歩み続けられる喜び、生かされている喜びをもっと実感できるように大胆に求めてもいいということです。

主よ、わたしたちを御心に留め祝福してください。イスラエルの家を祝福しアロンの家を祝福してください。 主を畏れる人を祝福し大きな人も小さな人も祝福してください。(12-13)


2) 祝福を運ぶ

14−16節を読んでみましょう。ここでこの詩篇は、神様への祈りから、人々への呼びかけに変わっています。

主があなたたちの数を増してくださるようにあなたたちの数を、そして子らの数を。天地の造り主、主があなたたちを祝福してくださるように。 天は主のもの、地は人への賜物。(14-16)

私たちが大胆に祝福を求めることを神様は喜んでくださいますがそれは、決して自分や自分の家族の幸せだけを願いなさいということでは決してありません。イエス様は囲いの外の羊に目を向けられる方です。それは多くの人々が陥っている「自分さえ良ければ、自分の家族さえ良ければ、自分の教会さえよければ、自分の国さえ良ければ」という自己中心的な考え方とは正反対の生き方です。私たちはイエス様を見習って常に祝福をまだ届いていない人に届くよう、人々に呼びかけます。それは神様が私たちに、教会にゆだねられた働きなのです。


C.新しい賛美

三つ目のポイントは心を新たに主を賛美しようということです

1) 賛美できる特権

主を賛美するのは死者ではない沈黙の国へ去った人々ではない。 わたしたちこそ、主をたたえよう今も、そしてとこしえに。ハレルヤ。(17-18)

私たちが日曜の朝ごとにここに集うひとつの大きな目的は、多くの同じ主に対する思いをもった人々と共に、主に向かい賛美の声を上げることです。賛美の表現は音楽には限りませんが、聖書を読むと、賛美(主をほめたたえること)の中心が音楽によってなされてきたことが分かります。私たちは神様に歌を、演奏をそしてダンスをも捧げなさいと聖書は勧めています。賛美することは私たちの心に力と喜びをあふれさせてくれます。神様に向かい賛美できることを、当たり前のことだと思わないで下さい。これは神様があなたに与えてくださった素晴らしい特権です。神様に向かって歌わない人、神様を信じられない人はどこから生きる力と喜びを得るのでしょうか?日本の世界に誇る発明のひとつは「カラオケ」です。世界中の人のライフスタイルの一部を変えて世界共通語になってしまいました。いったいこの国では一晩にどれほどの歌がカラオケで歌われているのか想像もつきませんが、ものすごいエネルギーが消費されているはずです。でもむなしいことにその歌は、もちろん神様に対する賛美でもなく、誰かへの励ましや慰めではなく、自己満足のために歌われ、せいぜい気分転換にしかなっていないということです。それにひきかえ神様への賛美は私たちに力と喜びをもたらす大きな特権なのです。皆さんは賛美歌やワーシップソングをいろいろな音楽の中の特殊なジャンルだと思っているかもしれませんが、歌はもともと神様への賛美から始まったもので、そこから神様抜きの音楽が派生したのです。賛美歌やワーシップソングを歌う人はこの国では少数派ですが、「歌うということの本当の価値を知っている」という特権に預かっているのは私たちなのです。


2) いつまでも立ち止まって入られない

新しい歌を主に向かって歌いなさいと聖書は勧めます。それはなぜでしょうか?私たちが常に神様から新しい力と喜びを糧に生きてゆくためです。年の変わり目は、過去の失敗、悲しみに区切りをつけて新しい心で歩みだす良い機会です。過去の反省をせずに失敗を繰り返すことは愚かなことですが、過去の失敗を恐れて歩みださないことよりはずっとましです。主があなたと共におられます。立ち上がり歩み始めましょう。いきなりトップスピードで走り始める必要はありません。一歩一歩神様を信頼して歩き始めるのです。今日この教会の扉を出る一歩が、今年あなたが多くの人に祝福を運ぶ第一歩となりますように

メッセージのポイント

過去を振り返り反省することは大切なことですが、やがて反省を糧に立ち上がり歩き出さなければ反省する意味はありません。今日は去年の反省を生かして新しい年を歩き始める日です。そのために必要な、新しい祈りをささげ、新しい祝福を求め、新しい賛美の声をあげて、今年も神様の祝福を運ぶ日々を歩みだしましょう。

話し合いのヒント

1)あなたの今年最初の祈りは、どのような祈りでしたか?

2)今年の自分にとっての信仰の課題をシェアしあいましょう