2005/2/13 メッセージノート

あなたにこそ知ってもらいたい「十字架の意味」

ローマの信徒への手紙3:21-31

A. これであなたも生き返る

1) 霊的には死んでいた? (21-23)

私の家は集合住宅なので庭はないのですが、狭いベランダでいろいろな植物を育てています。ベランダですから草花は鉢に植えられています。鉢植えの草花は水遣りが欠かせません。毎日か少なくとも一日おきに水を与えなければ枯れてしまうのです。ついうっかり忘れて枯らしてしまったこともありました。また時には肥料を与えなければ、枯れはしなくてもきれいな花やよい実をつけてはくれません。ベランダの植物の生死は私の手にかかっているのです。

実は人も同じなのです。神様に生かされているのです。しかしそのようには考えず自分の力で生きていると考えている人、神様以外の何かを頼って生きているつもりでいる人も沢山います。自分にとってなくてはならないものが何なのか、それがどこから来ているかを知らないのです。誰でも、水や食べ物だけでは腹を満たすことは出来ても、心は満たされないことを知っています。そこで心の空腹を満たすために、人は様々なものを追い求めます、生まれたばかりの赤ちゃんだって、ミルクだけでは生きられません。お腹がすいてなくても泣いて両親の愛情を求めます。どんなに深く両親に愛されて育った子供でも、10代になれば他の人からの愛情が欲しくなります。さらに人は財産、名誉や地位を得ることによって満足を得たいと思います。欲しいものを手に入れたい欲求はなぜいつまでたっても満たされないのでしょうか?それは、人にとって本当に必要な心の栄養を得てこなかったからです。まず23節まで読んでみましょう

ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています(21-23)

イエス様が来られたのは、私たちと神様との関係を回復するためでした。すべての人は神様から背を向ける罪を犯すことによって魂に必要な栄養を補給する道を自ら絶ってしまっていたからです。イエス様の言葉を紹介しましょう。ヨハネによる福音書4:13-15です。

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

2) 行いによっては正しくなれない (24)

実際には神様につながっていないからといって、めちゃくちゃな生活をしている人はそれほど多くはありません。むしろあなたの周りの多くの人は、クリスチャンであるあなたよりも、道徳的で、勤勉で、思いやりがあって、「イエスキリストの助けなんか借りなくても、人間として正しく生きていける」と考えている人がたくさんいます。 しかし神様の正しさも基準は非常に高くて、自分の力でクリアできる人は1人もいません。泳ぎが得意な人と苦手な人とがいます。全然泳げない人と10キロくらい平気で泳げる人とはずいぶん差があるように思えますが、設定されたコースが、湘南海岸からハワイのワイキキだったとしたら泳げないことと10キロ泳げることはほとんど変わりありません。 失格です。24節です

ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(24)

「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して」とあります。それ以外には、正しくあることが出来ないということです。問題はあなたの行いではなく、神様との関係なのです。25節26節を読んでみましょう。

3) あなたが生き返るたった一つの方法 (25-26)

神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。(25-26)

あなたは十字架のアクセサリーを持っていますか? 日本人は本当に不思議だと思うのですが、イエス様を信じていないのに平気で十字架を身につけています。確かに十字架は愛と希望のシンボルです。でもそれ自体に神秘的な力があるわけではありません。十字架が表している出来事は、そのデザインと同様、シンプルで力強いものでした。けれども本当に知らなくてはならないことは、私が赦されるために、神様に正しいと認められるために、神の子イエス様が十字架につけられ、私の罪のために苦しみ死なれたことです。あなたが罪に死んでいる状態、霊的に死んでいる状態から生き返らせる方法として神様は自らが人として苦しみ死に渡されることを選ばれました。自分が返すことが出来ない負債は、誰かが肩代わりしてくれなければ決して無くなりません。私たちの罪も同じです。イエス様はそれをしてくださったのです。それでは私たちはどう応えたらいいのでしょうか。27節28節を読みましょう。

B. 信仰によって救われるとはどういうことか?

1) 行いの法則 VS. 信仰の法則 (27-28)

では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。(27-28)

行いではなく信仰によって救われるとパウロはしつこいくらいに何度でも繰り返します。人間にはここで言う「行いの法則」が体に染み付いているからです。良く人は「信じるだけで救われるなんておかしい、何かすることによってその報酬として救われるというほうが合理的だといいます。確かに、分かりやすい考えです。「ただであげましょう」と言われれば何か裏があると疑う必要のある世の中です。けれども、赦されること、新しく生かされることはただではなく、あなたが払えないほど効果だったということです。「信仰の法則」とは払うことの出来ない罪の代価と、払うことが出来ないからいつまでも満足できない私たちに代わって、代価を払い、新しい命を与えてくださった方を主と信じしたがってゆくことなのです。

2) すべての人を救う神様 (29-30)

神様はこのチャンスをすべての人に与えてくださっています。あなたの前にも差し出されています。29−30節です。

それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。(29-30)

すべての人を救う唯一の神様がおられます。神様は行いの法則によって救うのではありません。あなたがどんな人であっても、その内側にどんな悩みや苦しみがあっても、ひとには分からない自分の内面の罪を痛感していても、法律上、本当に罪を犯していても、神様はあなたを罪の泥沼から引き上げることができるのです。あなたが出来ることは差し出された手を握り返すことだけです。

3) 本当の信仰には行いが伴う (31)

パウロの信仰によって救われる、というメッセージはたちまち「それじゃあ信仰があれば、律法を無視していいのか?」というユダヤ教徒の反論にあいました。つまり、「神様から行いとは関係なしに正しいと認められたのだから、神が望んでおられることをしなくても、反対に神様が嫌われることをしてもいいということか?」ということです。それに対するパウロの答えがこの31節です。

それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。(31)

何百年かかっても払いきれないほどの大きな負債を、誰かが命がけで肩代わりしてくれたら、あなたは引き続き自分の欲望のためにその人に新たな負債を負わせたいと思いますか? そうではなく、その人のために誰に対してより誠実に生きようとするのではありませんか?律法の原点は律法を与えられた方に対する愛と誠実です。そのあなたの神様に対する愛と誠実が、あなたの周りにいる誰かに伝わります。あなたが十字架を見上げて歩み始めるということは、全世界が主の十字架を見上げる時に向かう、大切な一歩なのです。世界はぼろぼろです、重病のようです、あちこちで助けを呼ぶ声、泣き声、ののしりあう声が聞こえてくるようです。 あきらめてはいけません。神様があなたに手を差し伸べているのですから、神様にしっかりと捕まって、新しく生きてください。神様はあなただけを助け出したいと思っているだけではなく、あなたから始まる救いのリレーを始めようとしておられるのです。

メッセージのポイント

全てのものを作られた神様は、人を「他の被造物を正しく治める特別な存在」としてあらゆるものの最後に創造されました。しかしそれは人間が自分たちの欲望の赴くままに好き勝手にすればいいということではありません。 ところが残念なことに、人はそのように歩いてきてしまい、自然環境においても、社会環境においても大きなひずみを作り出してきてしまいました。創造主に対する服従も尊敬もなかったからです。「世界がもう一度、主の十字架を見上げること」に最後のチャンスが残されています。そしてそれはあなたが主の十字架を見上げることから始まります。

話し合いのヒント

1)  霊的に死んでいるとはどのような状態を指しているのでしょうか?

2)  あなた個人の魂の解放と世界の問題とどう関係があるのですか?