2005/2/27 メッセージノート 

イエス・キリスト 復活の真相 

ローマの信徒への手紙4章13節〜25節

今年のイースターは3月27日、あと一ヶ月です。毎年イースターにはシリーズを離れて特別なメッセージをしますが、今年も3月20日と27日は十字架の恵みと復活の喜びについて、今のローマの信徒への手紙のシリーズを離れて特別なメッセージをしようと思っています。今日はローマの信徒への手紙のシリーズの続きですが、今日のテキストには神様がアブラハムに与えられた祝福の約束と、イエス様の「十字架と復活」との関係が明らかにされているので、イースターを迎えるためによい心の準備となるでしょう。

A. アブラハムに学ぶ約束の地に向かう道の歩み方

1) あなたも私もアブラハムの子孫?(13-17、創世記17:4-6)

今日も先週に引き続いて、パウロの話は「アブラハム」から始まります。神様のアブラハムに対する祝福の約束はアブラハム個人だけではなく、その先にずっと続いてゆくアブラハムの子孫にも及ぶものだったのです。今日のテキストはローマの信徒への手紙4章13節〜25節です。先ず17節までを読んでゆきましょう。ここでのポイントは、アブラハムの子孫とは誰かということです。

神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。 律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。 実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。 従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。(13-17)

皆さんはストックオプションという言葉を聞いたことがありますか?何年か前に、世界最大のコンピュータソフトウエア会社の日本支社を退職した人が、このストックオプションによって莫大な利益を得たというニュースを聞いたことがあります。ストックオプションとは、自分の勤める会社の株をあらかじめ決められた価格で買うことの出来る権利のことです。その人がよく働き会社が成長して株価が上がれば、その差額を将来、得ることができるわけです。すごく「おいしい」話だけれど私たちには何の関係もないと、その時には思っていたのです。ところが妻が、今の会社で仕事をするようになってから、ストックオプションの権利をいただいたので、関係があることのなったのです。それで今まで見たこともなかったようなナスダックのホームページにブックマークをつけて、時々二人で株価のチェックをしたりするわけです。もっとも数も少ないし、会社も急成長しているわけではないので、マイクロソフトの人に比べれば微々たる物です。ボーナスのようなものですが、会社が口座に振り込んでくれるボーナスとは違って、ストックオプションの権利は自分が長く勤勉に働いた上で、市場で取引をしなければ実際の財産とはなりません。

アブラハムが神様にいただいた祝福の約束は、成長している会社のストックオプションによる経済的利益より、はるかに大きく、素晴らしいものです。でもその権利を与えられているのに、自分には関係ないと思い込んでいて、神様の働きのために勤勉でも忠実でもなく、その権利を行使しない人が多いのです。

「私はユダヤ人ではないしアブラハムとは関係ない」と思っていた人が多いと思います。ユダヤ人の人が、日本人である私が「アブラハムは私の先祖」だと言うのを聞いたら笑ってしまうでしょう。パウロは、アブラハムが信仰によって義とされたのだから、血のつながりや、旧約聖書の律法の民には限られずその信仰を受け継ぐ者こそが、本当のアブラハム、神様によって正しいとされた者の子孫である、ということを明らかにしています。先週は創世記12章のアブラハムに対する神様の最初の呼びかけを取り上げましたが、今日はその24年後に語られた神様の呼びかけに注目しましょう、創世記17:4-6です。

「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。 あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。 わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。

ここで神様はアブラハムとその子孫に対する祝福とは、一部の民族に限られたものではないことを宣言されました。そしてわざわざ彼の名前をアブラム(高貴な父といった意)からアブラハム(多くの国民の父の意)に変えてしまったのです。このときアブラハムは、聖書の証するたったお一人の神を信じ、信仰によって神の民となったすべての者の共通の祖先となったのです。あなたもまた、「信仰によってこそ世界を受け継ぐ者」の系図に連なっていることが、分かっていただけたでしょうか?

2) 信仰によって強められ生きる

それでは18-22節を読みましょう

彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。 そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。 だからまた、それが彼の義と認められたわけです。(18-22)

地上の会社のストックオプションよりはるかに莫大な祝福の約束をいただいたアブラハムとサラでしたが、半信半疑でもあったのです。このときアブラハムは99歳です。常識的に考えれば、子供など与えられるとは考えられない状況です。しかし神様は、誰かを養子に向けるとか、若い別の妻を与えるという方法ではなく、ほとんど100歳のおじいさんと90歳のおばあさんの「間に」子供が与えられることを予告しました。パウロはここでちょっと二人をほめすぎていることが、創世記のほうを読むと分かります。彼らはパウロが持ち上げたほど信仰の鉄人ではありませんでした。でもそこが私たちをほっとさせる所でもあります。ただ彼らは22節にあるように、自分たちの心の状態がどうであれ、神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。 だからまた、それが彼の義と認められたわけです。私たちが弱いものであるにもかかわらず、強く生きることのできる秘密はここにあります。あなたは「信仰によってこそ世界を受け継ぐ者」の系図に連なっています。神様はそのあなたのために、必要なことは必要なときに必ずして下さるのです。

B.計画の完成

それでは残りの3つの節を読みましょう

しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、 わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。 イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。(23-25)

1) 十字架=罪の清算

アブラハムが義と認められ祝福を約束されたことと、私達に対する神様の祝福は、ただ似ている、とかお手本になるとかいうことではなく、神様のひとつの計画のうちに含まれている連続した事柄なのです。

アブラハムに対する神様の祝福の約束の完成と、全世界の人々に及ぶ救いの完成は同じことを意味しています。そして、祝福の完成の鍵が「十字架と復活」なのです。「すべての人の罪を清算するためにイエス様が十字架にかけられた」と言う時、あなたはどのような範囲の人を思いうかべますか?それにはイエス様が世に生れる前に生きた人々はそれに入っているのでしようか?そうです、すべての人はすべての人、時代も場所も超えてアダムからあなたに至るすべての人です。もちろん旧約の時代の人々は「十字架と復活」を出来事としては知りませんでした。アブラハムもイエス様としての神様を知りませんでした。しかし、神様は知らない未来の神様のあり方を信じなければ、あなたを義とは認めないと無理な事をおっしゃらずに、ただ神様を素直に信じ従ったモーセを義と認められたのです。ただ十字架の時が来るまで神様の側の手続きはなされていなかったというわけです。神様のアブラハムにさし出された同じ救いの手が今あなたにもさし出されたのです。アブラハムより私たちの方が恵まれている点は、救って下さったということを歴史的な出来事として知らされているということです。アブラハムのように呼びかけられて、彼のように何の判断材料もないのに、すぐ決断してついてゆけるような人でなくても、決断することが出来るということです。

2) 復活=永遠の命の始まり

神様は十字架で罪を赦された者に「そのままもう天国に帰っておいで」とはおっしゃいません。罪のゆえに死んでいた者が、今までおかれていた所で、今度は生れかわった者として、新しい命を与えられて生きるのです。普通、釈放されたら、そのまま牢獄に残っていたい囚人はいません。けれども神様はこの世界に、あなたが必要だと考えておられます。大変なこと、つらいことがあっても、神様は、あなたのいるここに神の国を拡げたいと願っておられるのです。あなたがかつてそうであった、この世界に幽閉された魂の囚人に、あなたは解放を告げることができるのです。あなたはここにいるけれど、ここにしばりつけられているわけではありません。イエス様の復活の出来事は、あなたの永遠の命の保証です。時には牢のように不自由でつらいことのある、生命すらもおびやかされることさえある私たちの社会ですが、つらい時、悲しい時、ぜひ次の事を心に刻み、神様から力を得て立ち上り、歩み出して下さい。あなたはおかれている所に囚人として縛られているのではなく、神様の働きのために、神様に派遣されて、そこにおかれているのです。神様はあなたが使命をはたすために必要なものをすべて与えて下さいます。そこでの使命を終割れば、神様はまた別の所へあなたを遣わします、地上での務めを終えれば天国に迎え入れてくださいます

メッセージのポイント

アブラハムに始まった神様の人間解放計画はイエス様の十字架と復活によって完成しました。十字架と復活は私たちの信仰の基礎です。このどちらをも神様が自分のためにしてくださったこととして真剣に受け取らなければ、神様からのプレゼントを全部いただいたことにはなりません。あなたが十字架だけに目を向けるなら信仰は将来を切り開く力にはなりません。またあなたが復活の力だけに目を向けるなら、主が十字架にかからねばならなかったほど深刻なあなたの罪の性質は、サタンに再びあなたを神様から引き離すチャンスを与えることになりかねません。アブラハムのように、ただ正しいと「認められた」者として、どんな逆境の時でも主の導きの声に信頼して、約束の国を目指して歩んでゆきましょう

話し合いのためのヒント

1) アブラハムが神様に「義」とされたのはなぜですか?

2) なぜ十字架と「復活」なのですか?