2005/9/11 メッセージノート ローマの信徒への手紙15章22-節(シリーズ第33回)
教会は福音を伝える駅
A パウロの計画と実際の足どり
1) ローマへ、そしてローマからスペインへ向かう願い (22-24)
こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。 しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。(22-24)
パウロの宣教計画は遠くスペインまでも視野に入っていました。壮大なヴィジョンです。しかし、もしパウロが実際にスペインにまで到達していたら(実際に訪問したという伝承はありますが、ローマで生涯を終えたと考えるのが普通です)、さらにその先を目指していたか見知れません。パウロは大きなヴィジョンを持っていましたが、無鉄砲な冒険家ではありませんでした。ユダヤの社会の中で始まった教会が、イエスキリストの福音を隣接した地域に伝え、その地に教会が組織されました。それらの教会は成長すると、また次の地域に福音を伝えました。こうして地中海沿岸を反時計回りに、今のギリシャにまで到達しコリントでも教会が形成されました。パウロは各地域の教会が健全に成長させるために多くのエネルギーを費やしてきました。しかし、もっともてこずったコリントの教会に対する働きも、ようやくパウロの手を離れようとしていました。パウロは教会を強く大きく成長させても、自分は主任牧師としていつまでも留まり続けるつもりはありませんでした。パウロの願いは、強くなった教会が自分を送り出してくれることだったのです。
2) イスラエルへの旅行 (25-29)
パウロはローマに行く前にしておかねばならない仕事がありました。それはエルサレムを訪問する事でした。25節から29節までを読みます。
しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。 マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。 彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。 それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。 そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。(25-29)
当時のユダヤ地域の教会は、迫害と飢饉という二重の苦しみの中に置かれていました。マケドニア、アカイアに組織された異邦人の教会は、エルサレムの教会の貧しい人々のために喜んで募金をしました。募金を持ってゆくのは、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの架け橋でもあるパウロ以外にはいなかったからです。しかしこの旅はパウロの個人的感情からすれば楽しいものではありませんでした。パウロは一刻も早くローマに行きたかったのです。それにエルサレムはパウロにとって危険すぎる近づきたくない場所でした。ユダヤ教徒には裏切り者を殺害するチャンスを与えることになります。ユダヤ教の影響を様々な面で色濃く残していたユダヤ地域の教会にとっては、異邦人伝道者パウロはまだ十分に信頼することに出来ない要注意人物でもありました。それでもパウロはエルサレムに向かいました。それは異邦人クリスチャンの教会とユダヤ人教会に受け入れあっていないのならば、キリストの体はひとつとはいえないからです。全ての人に同じ福音が伝えられるためには、教会が民族、人種を超えてひとつの体として取り組まなければならないことをパウロはよく理解していたのです。今回の旅で大きな苦難を受けることをパウロは覚悟していました(使徒言行録20:22-24)
そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。(使徒言行録20:22-24)
3) 捕らえられ、囚人としてローマへ向かう (使徒言行録23:11)
実際、エルサレムで恐れていたことが起こりました。けれども神様はこの苦難の中でパウロに語りかけてくださいました
その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」と (使徒言行録23:11)
ローマ総督は、パウロがローマ市民権を持っていたので、エルサレムでの混乱を避けるために港町カイサリアに移しました。その後も、パウロは2年以上監禁されていたのです。パウロは神様の言葉に希望を持ち続けていました。神様の語りかけは私たちに忍耐を与えてくれます。私たちは使徒言行録21章から24章まで10分もかからずに読み終えてしまいますが、ここにはパウロの2年間の忍耐があるのです。ようやくローマからの総督が交代し裁判は再開しました。パウロはローマ市民として裁かれるために、ローマに移送されることになりました。パウロは自主的な自由な旅行ではなく囚人として、手紙を書いてからさらに2年以上待たされてローマに到着したのです。パウロのローマに行きたいという願いは神様の計画に一致していました。だから実現したのです。しかしそのプロセスはパウロの思い通りではありませんでした。苦難や、長い時間の経過に耐え願いがかなったのは、パウロが神様の導きを確信していたからです。
B 私たちもローマの教会のように
1) 伝える教会、送り出す教会として成長してゆこう (24)
もういちど24節を読んでみましょう。
イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。(24)
パウロはローマの教会に送り出される形でスペインにまで行きたいといっているのです。このことはただローマがスペインに行く途中にあるからちょっとよって行きますよということではありません。ローマの教会が「送り出す」教会となってスペインに行かせて下さいというのです。パウロの働きはいつも教会をベースにしたものでした。アンティオキアの教会を育てて、そこをベースに今のトルコ、ギリシャに宣教を進めました。そしてパウロはローマの教会にもアンティオケアと同じ期待を抱いていました。ユアチャーチは世界中のまだ主を知らない人のために存在する教会です。誰も宣教を一人でできる人はいません。宣教は、宣教師の働きであると同時に、宣教師を送り出す教会の働きなのです。宣教師の働きは困難です。教会と共にいるという喜びに包まれていなければ続けることはできません。ユアチャーチはロバートをケニアに送り出しました。バドとキャシーはアメリカにいます。アレックスとヴァレリーはスリランカでの働きを始めました。でもそれはあなたの働きでもあるのです。また私たちは遠くを見ているばかりではありません。海外宣教に無関心ではいけませんが、私たちに期待されている働きの中心は、第一に私たちの周りにいる人々なのです。私たちは人々に届くために教会の成長を願います。ユアチャーチは神様の恵みによってずいぶん成長してこられたと感謝しています。でも私は満足していません。もっと活発に、もっと強く、もっと大きくないたいと願います。どうか不快に思わないで下さい。これは正しい願いです。イエス様はおっしゃいました「収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイによる福音書9:38-39) それが牧師としての自尊心を満足させるためなら神様が裁かれるでしょう。でもその理由が、もっと伝える、もっと送り出す、もっと人々に届く教会になるためなら、神様はきっと助けてくださいます。そのためにみんなで成長してゆきましょう。
2) 現代のパウロたちのために祈ろう (30-33)
それでは30節から33節までを読んでみましょう。
兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。 平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。(30-33)
パウロはまだ会ってもいないローマのクリスチャンに「私と一緒に神様に熱心に祈ってください」と三つの祈りのリクエストを書き送りました。エルサレムで身の危険にさらされないように、ユダヤ人クリスチャンに歓迎されるように、そしてローマに行くことができ願っていた交わりが実現するように。
世界のいたるところで現代のパウロが懸命に神様の愛を伝えています。あなたもその一人です。私たちは、遠くで働く宣教師のために、そしてお互いのために祈ります。これらの祈りがなければ神様の愛の働きは進みません。危険から守られるように、その働きに理解を得られるように、目的を達成することができるように。そしてそのあと、パウロはローマの人々のための祈りでこの部分を締めくくっています。祈りの形をとった挨拶のように聞こえるかもしれませんが、これは大変重要な祈りです。平和の源である神があなたがた一同と共におられるように 神様が共にいてくださらなければ、私達には何の力も知恵も愛もありません。平和の源である神様なしには一致も調和もないのです。そして神様と共にいられるというのは、クリスチャンだから自動的に保障されているということではないのです。それは熱心に祈り続けることによって保たれるものです。
さあ私たちも教会の成長を願い、パウロの祈りのリクエストが自分にも与えられている者として熱心に祈ってゆきましょう
メッセージのポイント
パウロは遠くスペインにまで福音を宣べ伝えるヴィジョンを持っていました。パウロの、ローマの教会に対する期待は、将来のヨーロッパ伝道の拠点となれるように成長することでした。かつてアンティオキアの教会がそうであったように、送り出す教会が福音を世界中に浸透させてゆくのです。私たちもまたこの東京と神奈川の境目に、福音の前線基地としておかれています。ここからまだ本当の神様を知らない99%以上の人々に届こうとしているのです。そのために成長して、人々を送り出し教会を生み出す教会になってゆきましょう
話し合いのために
1) アンティオキアの教会はどんな教会でしたか?
2) パウロの3つの祈りのリクエストを憶えていますか?