2006年4月23日 メッセージノート

「土台は完璧、問題は建て方」 1コリント 3:10-23

皆さんはなぜ教会の礼拝が日曜日の朝行われるのかご存知ですか?それは週の初めの日にイエス様が復活なさったからです。先週はイースター礼拝をみんなで喜ばしく奉げましたが、主の復活は、年に一度のイースターだけではなく、毎週、私達が心新たに思い起こすべき大切なことなのです。つまり、全ての日曜日は私たち信じるものにとって「週刊イースター」なのです。ですから今朝も、イースターは終わりましたが、主がよみがえられたことを喜びながら、この喜びをあなたの人生にどう活かすか、コリントの信徒への第一の手紙から考えてみましょう。前回取り上げたテキストの最後に、あなたがたは神の建物なのです。(9) という表現がありました。パウロは今日のテキストで、この建物をどう建てたらよいのか教えてくれています。始めに10-11節を読みましょう。

A. あなたの人生:神様という土台の上に建てる家 (10-15)

1) 大前提:土台の上に建てる (10-11)

わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。(10-11)

自分の人生を建てるのは自分自身です。誰かが代わってやってくれるものではありません。使徒パウロは、自分の務めが人々に確かな人生の土台:イエス・キリストを紹介することであると自覚していました。あなたがどんな建物を建てるのかは、あなたに任せられています。しかしイエスキリストという土台を無視して、それ以外のものを土台として建てられた家、つまりあなたの人生が、どれほど崩れやすいものなのかがここで警告されています。

あなたはどんな土台の上に人生を築こうとしているか自覚していますか? あるいは、イエス様を主と信じる前には、どんな土台の上に人生を築こうとしていたか憶えていらっしゃいますか?

この答えを知るために簡単な方法があります。自分にとって一番大切なものは何かという質問を自分にしてみるのです。その答えが、あなたの人生の土台です。たとえば、配偶者とか恋人とか親とか子供など自分にとって大切な人々をあげる人がいると思います。また仕事や財産、地位や名誉をあげる人もいます。それらはみなもちろん大切ではありますが、それらの上にあなたの人生を築こうとすれば失望に終わることになります。それらは全て、限界があり、変わりやすく、なくなってしまうこともあるものだからです。

私はクリスチャンだから大丈夫だ、と思っている人も、時々自分が土台からずれてしまってはいないか、注意しなければなりません。イエス様以上に何かを、誰かを大切にしてしまってはいないか?という質問を時々自分に発してみる必要があるのです。

2) どんな建材で建てるか? (12-15)

この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。 だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。(12-15)

以前に三匹のこぶたの話をしましたが、作者はこのテキストから物語のヒントを得たかもしれませんね。土台の問題は最も重要です。しかし確かな土台の上であっても、建て方に問題があるなら、やはり建物は安全ではありません。そこで気をつけなければならないことは、良い設計か、適切な材料が用いられているのか、丁寧に組み立てられているかということです。私たちの人生に当てはめていうならば、人生の目的を忘れずに、神様のもとで注意深く作りなさいということです。人生の目的とは何でしょう?実際の人生は人の数だけありますが、すべての人の人生の目的は一言で表現できます。それは、神様の栄光を表すということです。

あなたがイエス様という土台にとどまっている限り、地上での歩みがどんなであっても、どんなにたくさん失敗をしても、神様を悲しませても、永遠の命がいただけなくなることは決してありません。ただ神様は、あなたがこの地上の歩みにおいても、それぞれに与えられた賜物を活用して、精一杯神様の栄光を表してゆくことを望んでおられます。16節以下に「目的を忘れずに、神様のもとで注意深く作る」ために重要なことが三つあげられていますから、読み進めてゆきましょう。

B. あなたという存在:神様の神殿(16-23)

1) 内にいてくださる神様と生きる

あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。(16-17)

ここで、私たちは自分の人生が自分を表現するだけのものではないということに気付かされます。人生がただの家ではなく神殿だ、ということは、神様がご自身を世に現すものとしてあなたの人生を用いられるのだということです。つまりあなたは「神様の栄光を現すという目的を持った人生」を生かされているということです。この目的を知っているなら、私たちは自分の人生を軽々しく扱うことは出来ないはずです。神様に祈り求めつつ、丁寧に建てあげてゆきたいものです。当時のコリントの教会の問題は、自分を誇る人々がグループを作り、彼らに従う人々は自分のグループやリーダーを誇り、グループ同士が対立していたということです。自身を神様の神殿ではなく自分を祭る神殿にしてしまった人も、そのような人のグループに所属して互いの勢力を競っていた人も皆、自分自身を神様の栄光を表す神殿をではなく自分を祭る神殿にしてしまっていたのです。私たちが建てようとしているのは、神様がその中心に住んでいてくださる神殿のような人生だということを、いつも覚えて、神様の住まいに相応しくきよめられることを求めて祈りましょう

2) 自分をどう見るか? (18-19)

だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。 この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、(18-19)

自分をどう見るか?正しく自分を見られるか?このことはとても重要なことです。自分の目で時分を見るとき、私たちは不当に高く評価したり、反対に卑下したりしてしまう傾向を持っています。そして、それは自分を欺いていることなのだとパウロはここで指摘しています。この考えを持ち続けているなら、決して良い人生を建てあげることはできません。神様の下で注意深く建てることにはならないからです。必要なのは神様の視点を意識するということです。神様があなたの監督なのです。監督の考えをしっかりと聞きながらつくっていこうという姿勢が大切なのです。

3) 人を誇らず、神様を誇ろう (20-23)

また、「主は知っておられる、知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。 パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。(20-23)

パウロは、この「自分に対する欺き」がサタンに付け込まれて、教会の分裂に至ってしまうことを警告しています。イエス様を素直に信じ従っていこうとする信仰は、パウロ教、アポロ(使徒18:27)教、ケファ(ヨハネ1:42)教になってしまいそうだったのです。私たちは神の神殿ですが、聖書は教会をキリストの体であるとも表現しています。つまり私たちは、神の神殿である自分を他の人とは関係なく、野原の一軒家のように建てようとしているのではなく、集合施設(Complex) のように組み合わされたものとして建てあげることを求められているということです。その典型がショッピングモールです。同じような競合する店があっても、同じ場所にあることで売り上げを伸ばせます。全体として利益を上げることがショッピングモールの目的です。教会の目的はキリストの愛をあらわすことです。でも、その目的のために集合しているというのはモールと同じ原理なのです。ユアチャーチカベナントに署名してこの教会のメンバーになるということは、お店がモールの加盟店としてルールを守り互いに尊敬しあいながら全体の目的に向かってゆくように、このキリストの体の目的の一部として自分という存在があると認めることです。個性を発揮してもいいのです。でもユアチャーチとしての調和が前提です。競い合ってもいいのです。でもそれは誰かを引きおろすことではなく、自分を引き上げることであるべきです。 お客さんは、ここにはアップルストアがあるから、シアーズがあるからという理由でモールにやってきます。教会であれば、あなたがいるからという理由であなたの友達は教会に来てくれます。でもお店であるあなたの目的は、自分のファンを増やすことではなくイエス様を知ってもらうということではないでしょうか?あなたがカベナントメンバーであるのは、自分の利益のためではありません。牧師のためでも、他の誰かのためでもありません。ただイエス様のため、神様のために、すべての人は生きるのです。このことを忘れずに歩むなら、いつ天に帰る日が来たとしても、自分の地上での仕事に満足して帰ってゆくことができるのです。

メッセージのポイント

自分の人生を良いものにしたいなら二つのことが大切です。最も大切なことは神様という土台にそれを建てあげるということです。人生という建物をすえるのに相応しい土台は、聖書があかししている、あなたを作られた唯一の神様以外にはありません。この土台無しにはどんな努力もむなしいものになってしまいます。けれどもポイントはもうひとつあります。それは、この確かな土台の上にどのような材質で、どのようなものを建築するかということです。建物の建て方は、気候風土、建物の使い方によって材料も、形も違います。つまり、一人一人の人生のあり方は違っていて当然なのです。ただ共通していえることは、よく考えていない設計、手を抜いた工事、粗悪な材料で人生を建てようとするなら、土台の良さを活かすことが出来ないということです。

話し合いのためのヒント

1) 人生における建材の違いとは、どのようなことなのでしょうか?

2) 神様の神殿であるあなたを聖く保つために必要なことは何でしょう?