2006年6月18日 父の日の礼拝メッセージノート
父親のためにあなたができること
聖書には3つの意味で「父」という言葉が使われています。神様を意味する「父」、先祖を意味する「父」、そしてもちろん父親の意味で使われています。今日は父の日ですから自分のお父について聖書が教えてくれることに耳を傾けましょう
A. 聖書の教える父親の役割
1) 信仰を伝える
旧約聖書の箴言は深い知恵のあったことで有名な、ダビデの子ソロモンの名が冠された書物です、実際にはほとんどの部分がソロモンより後代の著者によるものだと考えられています。箴言は、父の、子に対する戒めという形で書かれています。父親が子に対してなすべきこと、また子が父から受けとるべきことが多く記されています。その中で最も大切なこととして記されているのは信仰を正しく伝え継承することです。箴言のー章の最初の部分に、この書の書かれた目的が記されています。一章の1〜7節を読みましょう。
イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。 これは知恵と諭しをわきまえ/分別ある言葉を理解するため 諭しを受け入れて/正義と裁きと公平に目覚めるため。 未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与えるため。 これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え/聡明な人も指導力を増すであろう。 また、格言、寓話/賢人らの言葉と謎を理解するため。 主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。(箴言1:1-7)
祝福に満ちた正しい道を歩むための知恵を我が子に伝えるためであることがわかります。そして7節にあるように、知恵の原点は、主を畏れることです。畏れるとは恐がることではありません。神様を心から信頼し、信じ従うということです。そして知恵の完成もまた神様を知ることだ、と2:1-5にあります。
わが子よ/わたしの言葉を受け入れ、戒めを大切にして 知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら 分別に呼びかけ、英知に向かって声をあげるなら 銀を求めるようにそれを尋ね/宝物を求めるようにそれを捜すなら あなたは主を畏れることを悟り/神を知ることに到達するであろう。(2:1-5)
つまり人にとって真の知恵とは主を畏れることに始まり、主を知ることによって完成するものであることがわかります。3:1-6も読んでみましょう。
わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。 そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し/平和が与えられるであろう。 慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。それらを首に結び/心の中の板に書き記すがよい。 そうすれば、神と人の目に/好意を得、成功するであろう。 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(3:1-6)
これこそ父が子に伝えるべき最も大切な戒めです。このことは簡単に伝えられることではありません。神様の慈しみとまことから迷い出ないようにするためには、書いたものを首に結び、書き記すように心に刻みつけなければならない程、残念ながら、人はおろかな存在なのです。実際、この箴言を著したソロモン自身、並外れた知恵を持った人であったにもかかわらず、神様に背き、イスラエル王国分裂の原因となってしまいました。
父は子に生きてゆくための知恵を授けなければなりません。しかしそれは一貫して神様を畏れ、神様を知るものでなければ、それはどんなに優れた知恵であっても虚しいものなのです。
2) 諭し、育てる
鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える。(13:24)
かつて日本では母が家で教育をにない、父の役割は外で働いて家計をささえるものだという風潮がありました。この傾向は、父親と子の関係を希薄にし、逆に母と子の関係を不健康なほどに密着させ、様々な問題を生み出してしまいました。しかし、聖書は父の役割がそれだけではないことを教えています。 神様に姿に似せて作られた人間の父は、ある種の鳥や哺乳類のように肉体を維持するための食料を運んでくるだけではいけないのです。人間の父親は、人間にとって欠かすことの出来ない霊の糧、神様の言葉を、子供に与えなければならないのです。人間は肉体的な栄養だけでは健康に育つことの出来ない被造物です。
親子関係に起因する様々な問題は日本だけで起っているわけではありません。キリスト教国とみなされている国でも起ります。親から子へ良いものを継承することを快く思わない力は常に働いているのです。そして親子のコミュニケーションを破壊します。私たちはこの力に対抗して、神様からのよいものを伝えていかなければなりません。箴言を読むなら、この内容を子供に伝えたいと親なら誰でも願うでしょう。けれども、自信を持って伝える言葉がない父親、子供と満足に口を聞いてもらえない父親のなんと多いことでしょう。それは全て父親本人のせいとは言いきれません。伝える自身のない父親、父から受け取ることを拒む子供。問題はどちらの側も、神様に目を上げないことにあるのです。それはクリスチャンホームの親子にも起りうることです。クリスチャンであろうがなかろうが人は皆、欠けがあるのです。欠けのある人間同士で良い関係を保ち合いたいと思うなら、赦し合うということのほかに土台はありません。この土台に互いが立って始めて、親子の間で神様から来るよいものを継承することが出来るのです。
親として神様を知っていようがいまいが、神様は親としての責任を人にお与えになっています。そのような父親にとって、諭し育てるということは非常に困難だと思えるでしょう。自分にお手本がないからです。それが時としてピンとはずれのしつけになったり、子供のためを思ってのことであっても返って子供を傷つけてしまうことになったりするのです。ここにいる多くの人は神様の恵みによって、お父さんよりも先に神様を知ることが出来ました。お父さんは、無意識の内に自分の限界と戦いながら精一杯あなたに好いものを与えようとしてきました。それがあなたにとって良いものではなかったにしても、それは、神様を知らなかったことによる限界だったということを認め赦して差し上げてほしいのです。お父さんがクリスチャンであるならなおさらのことです。お互いに不完全です。しかし私たちは赦し合うことを知っているのですから。
B. 感謝の気持ちを・・・
1) 愛で表わす
あなたのお父さんがクリスチャンであろうがなかろうが、あなたを子として愛して、育てて下さいました。私たちはこのことについての感謝を二つのことで表わすことができます。愛することと、彼のために祈り続けることです。皆さんの中には、お父さんに対しわだかまりや、赦せない気持ちを抱いて今に至っている人もいるかもしれません。何でこの人を愛さなければいけないの?私は愛されてこなかったのにと思っているかもしれません。どうか神様の皆さんに対する愛を考えてみて下さい。神様はあなたを愛するにふさわしい存在だから愛して下さっているのでしようか?いいえ、それどころか私たちは皆、正反対に罪深く神様の愛にふさわしい存在ではありませんでした。神様が私たちの罪を赦し、子として迎え入れ愛して下さっているのです。あなたとお父さんとの関係がどのようなものであっても、神様の愛のうちにあるあなたは、お父さんを愛することができます。その前に赦す、というプロセスが必要かもしれません。「赦せない」という気持ちは長く持っていればいるほど、固く溶けにくいものとなってしまいます。けれども十字架によってしめされた神様の愛に溶けないものはありません。神様があなたを無条件で赦し、愛して下さっているように、あなたの内にあふれる神様の愛でお父さんを愛しましょう。
2) 祈りで表わす
愛することは相手に行動を表すことです。今までの関係によっては困難を感じる人もいるかもしれません。大きな勇気と決心を必要とするかもしれません。そんな困難を憶える人は祈ることから始めてください。祈ることは、相手に知られずに始められることです。もちろん素直に愛を現せる人も、お父さんのために折に触れて祈ってください。祈りには大きな力があります。そしてお父さんが自覚しているか、していないかは分かりませんが、子供の祈りを必要としないお父さんは一人もいないのです。彼のためにどのように祈ったらいいのかはあなたが一番よく知っています。クリスチャンではないお父さんのためにも具体的な導きや守りを祈ってください。ただ「悔い改めてクリスチャンになれるように」とだけ祈ってはいけません。彼にはクリスチャンになる前にも父としての責任が与えられているのだから、神様の助けと、守りと導き、そして祝福を祈って下さい。
メッセージのポイント
神様は子供の信仰・成長のために父親に大きな責任を与えています。優しさにおいても、厳しさにおいても父親の理想像は天の父:神様です。「父の日」は、この役割を果たすために、惜しみなく自分自身を献げる「お父さん」に感謝する日です。あなたの感謝の気持ちを、彼を愛すること、彼のために祈ることで表わしましょう。
話しあいのヒント
1) なぜ神様は「天の父」とよばれるのでしょうか?
2) あなたのお父さんのためにこれからあなたは何をしますか?