2006/7/9 メッセージ 
ミニチャーチ

だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。(ローマ15:7)

あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。(1ペテロ 1:22)

A. あなたにもミニチャーチが必要です。

1)ミニチャーチとは

ミニチャーチは、誰もが必要なケアを受けられ、リーダーが育てられ、互いに仕えあう、ユアチャーチに集う人々のためのスモールグループです。ミニチャーチとは週の中頃に様々な場所(自宅、レストラン、コーヒーショップ、カラオケボックスetc)で行われる、ユアチャーチに集う人々のための平日の小さな集まりです。礼拝で語られたメッセージからそれぞれが得たことを中心に話し合い、神様の言葉を日常生活に活かすことができます。親しく時間を過ごすことによって友情を育みます。祈りや言葉によって、互いに慰められ、励まされます。ミニチャーチは私たちがクリスチャンとして成長するためのもっとも大切な集まりです。

2)なぜ、ミニチャーチに参加するべきなのか?

 (ヘブライ10:24-25、出エジプト記18:13-23、使徒言行録2:42)

それは第一に神様が望んでおられるからです。私たちは、いろいろ理由をつけてミニチャーチが非現実的であると思い込もうとしているのではないでしょうか?時間がない、場所がない。いそがしい現代の中でも特にいそがしい日本で、毎週平日に集ろうなんて。しかし、集まる事を困難に感じたのはヘブライ人も同じだったようです。ミニチャーチのための時がないと言って、交わりをあきらめることを喜んでいるのはサタンです。この国になかなか福音が根付かない一つの理由は、クリスチャン自身が、交わりによる豊かな恵みを十分には受けとっていないからなのではないかと思います。

互いに愛と善行に励むように心がけ、ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。(ヘブル10:24-25)

第二に、この教会が限られた時間、人材、施設で効果的に神様の働きに貢献するためです。出エジプト記の18章では、民のリーダー、モーセがすべての問題を裁かなければならず、ほとんど燃えつきそうになっている状況が記されています。この状況は今日の教会にも見られる問題です。神様がこの教会を通してなさろうとしている事は、リーダーだけで担えるほど小さなことではないと私は信じています。ところで聖書的リーダーシップを最初に提案した人が誰だか知っていますか?それはモーセの義父でした。彼はモーセにリーダーシップを階層化することを勧めました。モーセは忠告に従って1000人のリーダー、100人のリーダー、50人のリーダー、10人のリーダーを立て、それぞれのレベルでできることを委ねました。皆さんは私や妻が燃えつきてしまわないかと心配して下さいますが、そのためにしていただきたいことは、集まりを減らすことではなく、ミニチャーチを増すことです。 (出エジプト 18:13-26)

そして第三に、あなた自身の霊的な健康と成長のために不可欠だからです。使徒言行録2:42を読んでみましょう。

ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。(使徒言行録 2:41-42)

ここに霊的な健康と成長のために欠かせない3つの要素が記されています。「神の言葉」と「祈り」と「交わり」です。 この三つの要素を十分に得るために、ミニチャーチは不可欠です。

「神の言葉」:

教会で行われる礼拝の説教の時間を、教室での講義、教えの時間とたとえるなら、ミニチャーチは、教えの内容について話し合い、生活に適用するための実験室やゼミのようなところだといえます。礼拝では、教えについて質問したり、話し合ったりする時間はありません。聞いただけではせっかくの霊の糧が身についたとはいえません。ミニチャーチでは説教について話し合うことがプログラムの中心です。きっとあなたが持っていた説教に対する疑問にも答えが与えられます。そのためにミニチャーチは欠かせません。

「祈り」:

祈りもまたミニチャーチの重要な要素です。一人で祈る時間も大切ですが、数人が心を合わせて祈ることの大切さをイエス様も「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」(マタイ18:19) と教えられました。祈りあうことのできる恵みの大きさをミニチャーチで体験してほしいのです。仲間が自分のために祈ってくれるのを聞くとき、私たちは大きな力を得ます。そして次の週のミニチャーチでその祈りにどう応えてくださったかを分かち合う時、ミニチャーチは感謝と喜びで満たされ、さらに大胆に祈ることができるようになるのです。

「交わり」:

マタイ18:19の続き20節でイエス様は「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:20)と続けておっしゃいました。私たちは様々な生活の場で人との交わりを経験します。ミニチャーチの交わりが他の交わりと決定的に違うのは、そこにイエス様がともにいてくださるという事です。イエス様がいてくださるということは、この交わりが、利害関係ではなく、無償の愛に基づくものだという事です。惜しみなく与え、遠慮なく受けとる、自分を飾る必要がなく、ありのままの自分が受け入れられる場所です。そしてこのような交わりこそ、私たちに本当に必要な交わりであり、決して他の交わりでは得ることができません。

ここでもう一つ触れておきたいことは、普段余り考えることがないことです。それは、愛されること、受け入れられること、祈られること、慰めや励ましを受けることです。というのはこのことに素直になれない人が案外少なくないからです。プライドが高い人、自分の弱さを悟られたくない人、周りから見てもしっかりとした人、リーダー的な人にこの傾向が強いのです。このような人にお勧めしたいことは、祈ってもらうこと、助けてもらうことにオープンになる事です。どんなに熱心に人のために親切に祈ったり、ケアしても、私には祈りも助けも必要ありませんという態度の人が時々いますが、それでは、その人は人々にとって先生や指導者ではあっても、「互いに〜しあう」という存在にはなれないのです。

B. ミニチャーチに参加する。ミニチャーチを作る

1)何をするの?どのように?いつ?どこで?誰が?

ミニチャーチは普通水曜日か木曜日に持つのが良いと思います。それは週の半ばで、心も少し疲れてくるところで、もう一度日曜日に与えられた神様の言葉に立ち返るのに良いタイミングだからです。

ミニチャーチは皆さんが考えているよりずっとコンパクト(時間)でシンプル(形)なものです。一例を挙げてみましょう。食べたり飲んだりしながらおしゃべりを楽しむ(30分)。この間に遅れているメンバーも揃います。 数曲のワーシップがあってもよい(10分) なくてもよい。その週のメッセージについて「話し合いのヒント」を参考に生活に即した短い分かちあい(30分)。互いの為の祈り・自分が最も心に促されたことを祈る最後にリーダーが誰にも祈られない人のために祈る(10〜20分)これで長くても90分です。短すぎると感じますか?このくらいのほうが、来週が待ち遠しくなります。

ミニチャーチのモデルは初代(使徒言行録の時代)の教会です。(それは多くの人が集まる宮と少人数で集まる家々で行われました)彼らは家々で時を共に過ごし・聞き・話し・知り合い・聖餐式を行い・食事を共にし・歌ったのです (使徒言行録2:43-47)

すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。(使徒言行録 2:43-47)

私たちは愛し合う者として歩むことができるように、神様によってユアチャーチに招かれたのです。愛し合うということは、互いの必要を満たしあうということです。その人の必要とはあるときには「祈ること」「声をかけてあげること」あるときには「ただ黙って聞いてあげること」「慰めること」であるかもしれません。あるいは「ただ一緒にいてあげる」ことかもしれません。具体的に「何かを手伝ってあげること」のときもあります。また、分かち合うのは苦しいこと悲しいことばかりではありません。パウロは喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマ12:15) という表現で、喜びも悲しみも共にすることを勧めています。(ローマ12:15)

ところで、愛するということを目に見える形で表すと、本当にさまざまな形をとりますが、どれにも共通することがひとつだけあるのです。それは「自己犠牲」です。自分の時間、自分のお金、自分の労力を差し出して、その代わりにその人の「悲しみ」や「寂しさ」「苦しみ」を一緒に持とうとすることです。イエス様の十字架によって示された「真の愛」には「自己犠牲」が必ず伴います。でもこの愛を表してゆくことは、ただ苦しい我慢なのでは決してありません。イエス様が従って行く私たちを喜んでくださるように、私たちには「求める者」ではなく「与える者」としての満足と喜びが満たされるのです。ミニチャーチはこの愛し合うことを学んだり、実践したりするのに最も相応しいところです。ミニチャーチを続けるには時間を捻出しなければならないでしょう。このことに困難を覚えている人が多いのだと思います。時間は在るものではなく創るものです。それもあなたのなすべき最初の「自己犠牲」かもしれません。あなたがミニチャーチを必要としているだけでなく、あなたがそこにいるミニチャーチを必要としている人がいるのです。

2)自分のミニチャーチを見つけよう

今ユアチャーチに10以上ミニチャーチがあれば、そこから選んでくださいといえますが、実際にはミニチャーチはまだそれほど多くはありません。ですから見つけるというより、始めると言う方が相応しいかもしれません。私は今現在も、何人かの人にミニチャーチを始めるよう励ましています。どうぞあなたの希望をリーダーに伝えてください。

いろいろなミニチャーチが考えられます。ご近所ミニチャーチ、職場近くでのミニチャーチ(横浜・東京など)、スカイプによるミニチャーチはどうでしょうか。

メッセージのポイント

教会の健康な姿とは、立派なビルディングがあることでも、人がたくさん集っていることでもありません。それはそこに「愛」があるかどうかで判断できます。そして愛は心の中にあるままでは愛とはいえません。それを目に見える形にして差し出すことが愛です。そこにはあなたのさまざまな犠牲が伴いますが、それを避けて「愛し合う」ことはできません。ミニチャーチへの参加は、「愛し合う」ことの第一歩です。まずあなたの時間をミニチャーチに参加することにささげませんか。

ミニチャーチのためのヒント

1)なぜミニチャーチがそんなに大切なのですか?

2)霊的な健康と成長の三要素とは?