2006/9/11 メッセージ
信じる・受洗する・教会員となる
A. 信じて救われる?
1) 何を (1コリント2:1-2)
兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
「十字架につけられたキリスト」この短い言葉が、私たちが信じている中心を言いあらわしています。目に見ることはできない、すべてのものを造った神様が人としてこの世界に来てくれたこと。この方が、私たちを罪を赦すために十字架で身代わりに死んだこと。この方を自分の主として新しく生きること。
さらに聖書は、イエス様が十字架で死んで、そのままになってしまったのではなく、三曰目に死からよみがえり、永遠に信じる人とともにいて下さることを教えています。私たちは実際に神さま、イエス様の霊「聖霊」に日々、助けささえられて生きてゆけるのです。
2) どのように (ローマ10:9-10, マタイ10:32−33)
口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 (ローマ10:9-10)
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」(マタイ10:32−33)
クリスチャンになるということは、「心でその通りだと信じること」だけでは不十分で、口で言い表わすことが必要なのです。それは、あなたがイエス様を神と信じ従って行く決心を心の中に隠しておかずに人々に知らせなさい。そしてイエス様の仲間に加わりなさいということです。クリスチヤンになるとはイエス様の仲間になることなのです。そしてイエス様の仲間になるということは「キリストの体・教会の・クリスチャン」の仲間になるということなのです。教会の仲間たちに、あなたの心の中の信じる決心を目に見えるかたちに表わすことが、後で詳しくお話しするバプテスマです。
3) 信じてからのあなた (ローマ12:1-2)
それでは神様は、クリスチャンとなったあなたにどうなってほしいと願っておられるのでしょうか?
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。 (ローマ12:1-2)
「私の人生は、もう私のものではありません。イエス様、あなたのものです。」「あなたのために私の命を100%ささげます。」ということです。命を神様に捧げるとはどういうことでしょうか?それは、これからは自分の思い通りではなく、神様の思いどおりに生きる。ということなのです。
それでは神様の思いをどう知ったらよいのでしょうか?それは礼拝、祈ること、教会の人々と話すこと、聖書を読むことなどを通して知ることができるのです。
B. バプテスマを受ければクリスチャン?
1) クリスチャンになる条件?(ガラテヤ3:26-27)
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。(ガラテヤ3:26-27)
27節だけを見ると洗礼を受けないとクリスチャンになれないようにもとれますが、26節から読めば先に読んだローマ10:9-10と同様、信仰によるということがわかります。信じたのでキリストに結ばれ、それを告白する一つのこととしてバプテスマを受けるのです。心で信じ口で告白しても、様々な事情で洗礼をすぐに受けられない人もクリスチャンなのです。特に異教社会の日本では、家族の理解を得られないということもあります。
2) バプテスマの意味(ローマ6:3-4)
ところでバプテスマという儀式にはどんな意味が込められているのでしょうか?聖書から答えをさがしてみましょう。
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。(ローマ6:3-4)
バプテスマとはちょうど、お葬式と誕生と結婚式を同時にするようなものです。バプテスマではまず水に浸されます。それは、古い罪に支配された自分が死ぬことを表しています。だからバプテスマは罪人だった自分のお葬式です。それから、水から引き出されます。それは新しい神の子供としての人生の始まりを表しています。だから神の子とされた新しい人の誕生でもあるのです。そして、このことは十字架で死に三日目によみがえられたイエス様と一緒に歩き始めることでもあります。ですからイエス様との結婚式のようなものでもあるわけです。
C. 教会のメンバーになるとは?
1) 教会を信じる?(エフェソ4:12-16、コロサイ1:24)
イエス様を信じることが信仰なら、それは「教会を信じる」ことでもあると言ったらおかしく感じますか?しかし聖書は、教会はキリストの体であり、クリスチャン一人一人はその一部であるとはっきりと教えています。
つまりイエス様を信じるというのなら、私はキリストの体の一部となったということをも信じることです。そして一部となるということは頭であるイエス様の働きの一部を担うという生き方を選ぶことであり、もう自分のために生きようとはしないという決心なのです。
こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。 (エフェソ4:12-16)
今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。(コロサイ1:24)
2) カヴェナントメンバー:ユアチャーチの場合 (ローマ12:5-15)
特にユアチャーチでバプテスマを受けるということは、自分がユアチャーチというキリストの体の一部分となるという事です。ユアチャーチでバプテスマを受けなかった人でも、ユアチャーチのメンバーになることができます。それは「この教会が自分にとって快適だから」ではなく、このキリストの体の中でも、特にユアチャーチという部分が自分の位置だという確信に基づくものでなければなりません。ユアチャーチはクリスチャンであってもなくても誰もが歓迎される教会です。礼拝に来てくれる人のニーズをできるだけ満たそうと努力している教会です。しかし、メンバーにとっては楽しいだけ、恵まれるだけの場所であってはいけないのです。ユアチャーチのメンバーになるということは受け取る者ではなく与える者となる、ということです。それはユアチャーチでなくともすべての教会でも同じです。
ユアチャーチのメンバーの資格は「ユアチャーチカヴェナント」を忠実に守る決意をした人に与えられます。ですからカヴェナントに忠実に生きる決心は、ユアチャーチでバプテスマを受ける条件の一つなのです。
私は良く冗談めかして、「本当に署名するのですか?しないほうがいいかもしれませんよ。それは何の特典もなく義務だけが重くのしかかることですよ」といいますが、実は結構本気で言っているのです。そこには、1/10のささげものをします。ミニチャーチのメンバーになります。牧師の指導に忠実に従います。忠実に礼拝に出席します。毎日祈ります。と書かれています。これらのことは本当に生き方を変える決心なしにはできないことだからです。ローマ12章1節の「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」という表現は、中途半端な気持ちで「私はクリスチャンです。」と言うことを許さない厳しさが感じられると思いませんか?神様はそれでもあなたを招いておられるのです。本当の幸せは、そこにしかないからです。
わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。 わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
メッセージのポイント
私たちの信仰の中心は、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストです。このキリストを信じて生きるということは、生き方が180度変わることを意味しています。確かにバプテスマを受ける事には重要な意味があります。またクリスチャンになるとは、ローカルチャーチのメンバーになることでもあります。しかし、受洗した、メンバーになったという事実以上に大切なことは「あなたの生き方が実際に新しくなっているか?」ということです。
話し合いのためのヒント
1) バプテスマとは何ですか?
2) ユアチャーチカヴェナントの内容をおぼえていますか?