2006/12/10 アドヴェント第三聖日メッセージ

恐れを越えて信じる(マリアの信仰) 

ルカ1:26-38

A. 深遠な神様の計画

1) 計画を立てあなたに役割を与える神様 (26-29)

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。(26-29)

今日の最初の登場人物は天使(旧約聖書では「御使い」)ガブリエルです。聖書には天使について意外なほど多くの記述があります。また天使の現れ方は多様です。普通の人のように現れてその時には天使だと気が付かない場合もあれば、姿が見えない場合、天使と名乗って現れている場合も見られます。名前が聖書にあきらかにされているのは、このガブリエルとミカエルの二人だけ(旧約聖書外典トビト書にはラファエルの名が記されている)です。天使は神様がその意思を人に伝えるために使わすメッセンジャーです。ですから天使について聖書に書いてあること以上に詮索するのは良いことではありません。守護天使といった考えが俗信であることは言うまでもありません。

ガブリエルは神様からメッセージを託されてマリアに現れます。実はその前にバプテスマのヨハネの父ザカリアにヨハネの誕生を告げています。それがここでいう6ヶ月前の出来事です。当時のイスラエルでは、婚約が成立すると法的には夫婦とほぼ同様の権利と義務が生じました。婚約者以外の男性との関係は姦淫の罪に当たったのです。

ガブリエルはマリアが混乱する前に、まずこの出来事の本質をマリアに伝えました。日本語では「おめでとう」と訳されている言葉は、原語では普通に使われた「こんにちは」です。元の意味は「喜べ」という意味の言葉です。「こんにちはマリアさん。あなたには神様の恵みがあります。主はあなたと共におられます」これは表面的に受け取れば、ごく普通の挨拶なのです。でもマリアにはこれがただの挨拶ではないと思われたのです。「喜びなさい!あなたは(特別に)恵まれている。主は(特別な形で)あなたと共におられるのです」と。だから彼女は戸惑い、その意味を考え込んだのです。確かにその通り、神様は人として世界に誕生するため最初の、そしてユニークすぎる役割をマリアに与えられたのです。

神様は私達には相談なしで、ご自身で計画され、ただ私たちは役割を告げられるので、私たちは戸惑うことが多いわけです。人生は思い通りに行かないと嘆く人が多いのですが、それは当然です。私たちは自分の計画で生きているのではなく、神様の計画によって生かされているのですから。神様には深い計画があるのですから、それを信じましょう。起こってくる出来事がすぐにはわからなくても、意味があると信じて前向きに取り組むことが大切です。

2) ありえないと思われる計画を知らされたとき (30-33)

やはりこの挨拶はただ事ではありませんでした。考え込んでいるマリアにガブリエルは彼女がとても理解出来ないことを告げます。

すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」(30-33)

恐れることはないと言われても、これほど恐ろしいことはありません。誰の身にも起こったことのないことが、彼女の体に起るというのです。ただ、起ることは理解を超えたことであっても、もたらす結果は誇らしいものであることがわかります。「あなたが、生む子どもは偉大な人となり、永遠に支配するものとなる」と告げられて楽しみに思わない人はいないでしょう。神様の計画は、私達にとっても、マリアが経験したほどではないにしても、最初は、「いやだなあ」「困ったなあ」「怖いなあ」といったところから始まることがよくあるものです。しかし主イエス様はどんな時でも共に歩いていてくださる方です。彼から離れずに歩んでゆくなら、私たちがどんなことに直面しても、イエス様はいつでも「恐れなくてもいいんだよ、私はいつもあなたと共にいるから」と励ましてくださいます。神様はあなたに、その生涯の終わる時に本当に良かったなあと振り返り、天国に帰ることができるような計画を用意しておられるのです。

神様は、ガブリエルを遣わして、計画の全体をマリアに知らせはしませんでした。もし、誕生してくる子供がすべての人の罪を背負って十字架で死ぬと聞かされたら、マリアは耐えられなかったでしょう。

私たちにとっても同じことです。何度も山と谷をこえ、下りがあるかと思えば、長いのぼりにあえぎ、やっと平坦になったかと思えば、また目の前に険しい山が立ちはだかる。あらかじめ分かっていたら、最初から気持ちがなえてしまうほど、誰の人生も平坦ではありません。神様は私たちが受け取れるような形で、その計画をタイミングよく少しずつ教えて下さいます。ですから私たちは人生のどの時点においても、神様の導きを求めつつ歩まなければならないのです。

B. 神様と信じる人のコンビネーションで奇蹟が起る

1) 神様に出来ないことは何一つない (34-37)

マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」(34-37)

誰でもクリスチャンなら頭では神様は全能の方だと知っています。しかし、多くのクリスチャンが神様を全能の方として扱ってはいません。神様のタイミングを待ちきれずに自分で何かをしようとしたり、あきらめたり、サタンと妥協したりしてしまいます。また、周りの国の脅威に神様を信頼せず他国の力を信頼し失敗したイスラエルのように、神様を信頼しきれずに自分で何か手を打とうとします。神様が全能だということは、あなたの計画にその全能を発揮なさる、ということではありません。神様の全能は、神様の計画において発揮されるのです。神様を敵とするならこれほど恐ろしいことはありません。しかし神様に従うなら、これほど心強いことはないのです。

神様に出来ないことは何一つ無い、という事実は過去においても現在においても未来においても変わりありません。問題はこの事実に対する私たちの態度なのです。そこでとるべき態度が最後の節のマリアの言葉に表されています。

2) 「この身に成りますように」という信仰 (38)

マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(38)

神様はあなたにも、いろいろな方法で語りかけてくださいます。祈っている時、聖書を読んでいる時、メッセージを聞いている時、ごく普通のことをしている時、良い思い付きや判断、決心などを与えてくださることがあります。神様は天使だけではなく人もお使いになります。誰かを通して、時には自分の小さな子供を通してさえ語りかけてくださいます。このような神様の働きかけに応えて一歩足を進める時に神様は私たちの前で奇蹟を起こしてくださいます。誰も苦労をしたくはありません。危険も避けたいものです。しかし私たちが「神様あなたの素晴らしい御業を見せてください、でも私ではなく誰かを用いてお願いします」といったら、神様は他の所では奇蹟を起こされますが、私たちの中には何の奇蹟も起りません。私たちは小さな奇蹟を沢山経験してきました。その時、私たちはリスクを犯して信じ「この身になりますように」と祈り続けて、今ここにいるのです。このチャペルを使えるようになる前に、私たちは隣のフェローシップホールの部分だけで礼拝をしていました。始めは十分な広さでしたが、やがて手狭になってしまいました。二年前にこの部分が空室になったとき、オーナーはユアチャーチに借りてもらいたいと考えたのです。それは、経費のことを除けばありがたい提案でした。私たちには、数百万円の保証金や二倍の家賃を払う資力はありませんでした。それで、ありがたい提案ですが私たちにはお金がありません、と言うしかなかったのです。ところがオーナーは、さらに、それなら保証金は要らないし家賃も半額でいいと提案してくれたのです。

それでも支出が増えることには変わりありません。依然としてそれは不可能に見えたのです。しかし私たちはそれを神様の提案と信じ契約を結び、今こうして私たちは両方の場所を活用しています。

この教会は、お金より人が先に増える傾向にあります。このチャペルももう十分ではなくなってしまいました。それはもっと多くの奇蹟を期待しなければならないということです。このままでは神様に礼拝をささげるためにここに来る人のために十分な席を確保することはできなくなりますが、先の見通しはまだ立っていないからです。

このジレンマを通して、私は、牧師である私自身が「お言葉どおり私の身に成りますように」という信仰からずれていたことに気付かされました。この教会の予算がいつもぎりぎりだったのは皆さんの責任ではありません。私がささげものについて、率直に正しく教えていなかったことが問題だったのです。この危機を通して多くの人々を用いて神様は私に警告されました。私は、お金のことをあまり言わない牧師という評判が壊れることを恐れて十分の一献金を厳密に教えることや、牧師謝儀をいただくことを遠慮していたのです。

もしマリアやヨセフが人々の評判を気にして婚約を解消していたら史上最大の奇蹟に与ることは出来ませんでした。私はそれと同じようなことをして、神様の計画を邪魔していました。だから次の奇蹟をみることが出来なかったのです。

そこで今年の後半から、献金の仕方を改め、謝儀も頂くことに決めたのです。その結果どんな祝福がもたらされたかは、ここ数ヶ月の会計報告が証明しています。それだけではありません。私は祈り求めていた、ブライダルの仕事を土曜日だけにすることができ、日曜日の午後に充実したプログラムを始めることもできました。

あなたは神様のもっと大きな奇蹟をその目で見たくありませんか?神様は奇蹟を起こすパートナーとしてあなたを必要としているのです。わくわくしませんか?奇蹟が見たいなら、マリアの信仰が必要です。「神様の奇蹟?そんなこと信じられないから、私は私の好きなように生きる」と言わないでマリアのように「わたしは主の僕(はしため)です。お言葉どおり、この身に成りますように。」と神様に答えましょう。


メッセージのポイント

神さまはあなたに素晴らしい計画を持っておられます。そして、それは神様の計画全体の一部でもあります。人間が立てる計画は、時に変更を余儀なくされ、時に断念しなければならなくなります。しかし神様の計画は当初実現不可能に思えるようなものでも必ず実現するのです。神様は、この世界の救いという大きな計画を達成するために、あなたの働きを当てにしているのです。「そんなこと信じられないから、私は私の好きなように生きる」と言わないでマリアのように「わたしは主の僕(はしため)です。お言葉どおり、この身に成りますように。」と神様に答えて下さい

話し合いのためのヒント

1) 天使とはどのような存在なのでしょうか?

2) 自分には不可能に思えたことを神様の言に従うという信仰で乗り越えた経験をシェアしましょう