2007/7/1 メッセージ マルコによる福音書6章30?44 シリーズ20
不健康なカウチポテトクリスチャン
カウチに寝そべって、砂糖の入った本物のコークを飲み、ポテトチップスの入った大袋を抱えて好きなテレビ番組を見るのは、最高に気持ちのいい事ですが、体には最低です。週一日くらいにしておかないと健康チェックに引っかかってしまいます。カウチポテトの習慣がなくても、あなたの心はカウチポテト状態かもしれません。心のカウチポテトとはどんな事をさしているのでしょうか?それは、この世界の問題がテレビニュースの中にだけ存在するかのように、自分は与えられている恵みを楽しみながら、「神様、世界はこんなに大変です。どうかあなたが奇蹟を起こして何とかして下さい。私はこの気持ちの良いカウチに寝そべって応援していますから」という態度のことです。
A. あなたの必要を満たして下さるイエス様
1) 主に仕える者にも栄養補給と休息が必要 (30-32)
気持ちのよいカウチポテトのどこが問題なのでしょうか?それは、高カロリーの摂取X運動不足による栄養過多です。カロリーは燃やしてエネルギーにするために必要ですが、このエネルギーを消費しなければ、体内に脂肪として蓄積され、度を超せば健康を害してしまいます。これと同じ問題が私たちの魂にも起こるのです。確かに神様の恵みは私たちの魂にとって不可欠な栄養です。これなしに人は生きることはできません。30-32節を読みましよう
さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。(30-32)
どんな神様に熱心に仕えたくても、おなかがへっていれば力は出来ません。肉体的に精神的に疲れていれば働くことは出来ません。人間の力で神様に仕え続けるなら長くは続きません。ですから私たちは定期的にイエス様のそばで安心して憩う時が必要なのです。それは私たちにとってこの礼拝であり、ミニチャーチであり、あるいはイエス様と二人だけですごす静かな時間です。イエス様も働き詰めの弟子たちを気遣い、人里を離れゆっくり体みに行くことにしたのです。
2) 弟子の仕事は月から金まで9時から5時までではない (33-34)
ところが彼らは、結局この時はゆっくり休むことは出来ませんでした。33-34節を読みましょう。
ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。(33-34)
イエス様は、決して今は休暇中ですから、癒やしも、助けも、救いも営業中にいらっしゃい、とはおっしゃいません。弟子たちに相談もなさいません。すぐに彼らの必要を満たし始めたのです。彼らを深く憐れまれたからです。クリスチヤンとはこのイエス様の働きの担い手として呼び出された者です。
私たちは必要とあれば早朝でも、休日でも、深夜でも出動する魂の救急隊員や消防隊員です。自分の都合ではなく、イエス様の憐れみに突き動かされて仕えているのです。私たちはイエス様の活躍をカウチに寝そべって応援するために神様の家族に迎え入れられたのではないのです。私たちが24時間365日休む事なく開かれている魂のERのスタッフとして働くことができるように神様の与えて下さる栄養はハイカロリーです。だからあなたが神様の恵みを誰かのために用いなければ、あなたのうちに留めて用いないなら、すばらしい恵みもあなたの霊的健康を害するものとなってしまいます。
B. あなたを用いて人々の必要を満たして下さるイエス様
1) 私に願うのではなく、あなたがするのです (35-37)
35?37節を読んでみましょう。ここでイエス様はカウチポテトクリスチャン的考え方に囚われている弟子たちに、弟子としての正しい態度を教えています。
そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。 人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」 これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。(35-37)
せっかくお休みにきたのに、それどころではなくなってしまい、おなかもすいて弟子たちはだんだんイライラしてきたのでしょうか?ついに我慢できなくなってイエス様に集会の中止を提案しています。しかしイエス様は必要を覚えてやってきた人を何も与えずに追い返される方ではありません。人々は精神的にも肉体的にも飢え乾いてここにいたのです。私たちがカウチポテトを決め込んでいても世界が救いを必要としている事はわかります。だから目の前のテレビニュースを指差して「イエス様これをなんとかして下さい」と叫ぶのです。しかしそんな私たちに対する答えがここにあります。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」これが今日のキーワードです。弟子たちはイエス様のこの命令に「マジ?あり得ない、できるわけない、シンジラレナーイ」とストレートには言いませんでしたが、つまりはそう言いたかったのです。私たちが目の前に見せられている問題は、とても自分の力では解決できそうもありません。だから、神様なんとかして下さい。私は見ています。となってしまうのですが、イエス様はそれを許しません。あなたを用いて奇蹟をなさりたいのです。
2) やり方は私が教えてあげます (38-44)
弟子たちが「私たちにできるわけがない」という態度を見せても、イエス様はかまわず弟子たちを奇蹟にまきこんでゆかれます。残りの部分を読んでみましょう。
イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」 そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。 人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。 すべての人が食べて満腹した。 そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。 パンを食べた人は男が五千人であった。(38-44)
弟子たちは、イエス様の言われた通りにし、奇跡は起きました。イエス様の担当はパンと魚を手に取ってなさった賛美の祈りだけです。イエス様がはじめてなさった、結婚式での奇蹟の事を覚えていらっしゃいますか。水が上等のワインに変わった奇蹟です。この時もイエス様は何か特別のことをしたわけではありません。ただ人々に命じたのです。水瓶に水を入れて料理長のところに持って行きなさい、と。奇蹟がおこるプロセスに関わっている者に必要なことは特別の技術ではありません。ただ神様を信頼し、自分に与えられた仕事を疑わずに忠実に行う事です。あなたが行うのです。イエス様はあなたを通してこの世界を救いに導かれます。
メッセージのポイント
イエス様により良く仕えたいと願うなら、十分な霊的休息、栄養補給が必要です。それは、イエス様と共に過ごす安らぎの時間です。しかしそのように大切な時でさえ、それを中断して働かなければならない時もあるのです。それは主の深い憐れみが誰かに向けられている時です。そのような時には、私たちは座り心地の良いカウチから立ち上がって、仕える事を求められています。イエス様は主でありながら私たちに仕えて下さいました。私たちもこの世界に仕える者として選び出されました。私たちは必要とあれば早朝でも、休日でも、深夜でも出動する魂の救急隊員や消防隊員です。目の前におかれている問題が絶望的であるなら奇蹟を求めるのです。ただし奇蹟はイエス様が起こすものではありません。あなたがイエス様の指示に従って起こすのです。
話し合いのヒント
1) 自分の休みを返上した時に、与えられた恵みについてシェアして下さい。
2) あなたはどのような奇蹟を起こしたいですか?