January 20th - 26th, 2008 Vol.15 No.3

イエス様と共にどんなことでもしよう!

2008年基調メッセージ (3) コリントの信徒への第一の手紙9章23節

わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。(19) ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。(20) また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。(21) 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。(22) 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。

 クリスチャンの間では「福音」という言葉がよく使われますが、皆さんは福音とは何ですかと聞かれてどう答えますか?今日のテキストでパウロが「福音のために何でもする」と言っているくらいですから、とても大切な事柄なのです。この大切な事柄を私たちはよく知っている必要があります。先週まで私たちは「あらゆる人を得るために、あらゆる人になる」ということを学んできましたが、その人を得るということは、その人に「福音」を伝え、その人が「福音」を受け取る、ということなのです。

 最も説得力のあるセールスは、売り手自身もそれを持っていて自分が本当に満足しているから勧めるという商品を売る場合です。それと同じで、私たち自身が「福音」の意味とその価値を知り、満足していなければ「福音」を伝えることはできません。今日は「福音」とは何かをしっかりと心に留めたいと思います

A 世界にとって福音とは?

1)歴史上最もうれしいニュース

 「福音」という言葉は「良い知らせ」という意味の言葉です。日本語の福音も英語のゴスペルもギリシャ語のユーアンゲリオンに同様の意味をもつ言葉を当てて作られた言葉です。古い英語にはこのギリシャ語に起源を持つevangel と言う言葉があり、今のevangelical, evangelismはそこから来ています。ユーアンゲリオンは、戦いの勝利の知らせを伝えた人への報酬を意味する言葉でしたが、勝利の知らせ自体にも用いられ、さらに勝利に限らず「喜びをもたらす知らせ」として用いられるようになっていました。

 一般的だったこの言葉は、イエス様の十字架と復活によって特別な意味を持つ言葉となりました。ちょうどごくありふれていたイエスという名前が唯一の方をさすようになったように。

 なぜそうなったのか。それは世界にとって他と比べようのない最高の喜びをもたらす知らせだったからです。最高の喜びとは何でしょう?世界中を手中に収めることでしょうか?イエス様はこのことについて、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。」(マタイ16:26, マルコ8:36, ルカ9:25)とおっしゃいました。自分の魂が平安であること、その平安が決して失われないことこそが、大切なのではないか?と語りかけておられるわけです。このことを真の自由と言い換えることができます。平安がないのは何かが足りないからではなく、自由ではないからです。人は際限のない欲望から自由ではありません。名誉欲、独占欲、物欲を追求することこそ自由だと考える人がいますが、それではいつまでたっても平安を得ることはできません。聖書は、なぜ人が自由ではないのかということと、どうしたら自由を得ることができるのかということを明確に教えてくれています。だから最高にうれしいニュースなのです。

 人が自由ではないのは、誰でも生まれながらに聖書で言うところの罪人だからです。それは神様に背を向けているという状態のことです。その中で人は、自分を神様のようにして自分の欲望を追求するという性質によって、かえって人を不自由に、欲求不満にし、永続する喜びが持てないのです。

 イエスキリストが来られたのは、私たちの罪を十字架の死によって清算して下さるため、罪をゆるされ、神の子としての身分に与らせるためでした。だから、罪を悔い改めイエス様を救い主と信じるなら、罪は赦され永遠に神と共に歩む人となれるのです。イエス様はこのことを「永遠の命を得る」と表現されました。これが良い知らせ=福音です。

 このようなわけで福音という言葉は、「すべての人にとって最高の良い知らせ」という意味を持っているのです。

2)歴史上最も重要なニュース

 パウロはなぜそこまで「福音」を伝えることにこだわったのでしょうか?それは、この知らせをまだ受け取っていない多くの人々が世界中で苦しんでいることを知っていたからです。国際的なユダヤ人としてパウロは、平安がなかったのはユダヤ人だけではなくギリシャ人もローマ人も同じであったことを知っていました。「永遠の命」に与っていないということは、「永遠の滅び」に定められているということになります。平安の唯一の源泉である神様から離れていることほど悲惨なことはないことを私たちは歴史から学ぶことができます。そしてこのことは遠い外国のことでも、大昔もことでもありません。今私たちの周りに不安を抱えている人が、あるいは生きる希望を失いつつある人がいるのです。この国の99%の人がそうであるということをあなたは信じられますか?自分より幸せそうに見える、クリスチャンではない人がいるのではありませんか?それでは、福音を伝えたいという気持ちになれないのも不思議ではありません。しかし人の外側で判断してはいけません。自分が福音を受け取った時のことを思い出して下さい。やっと本当の平安、本当の自由を得たと喜んだのではなかったですか?実際これ以上の喜びはないのです。そして例外なく誰にでも必要な重要なニュースなのです

B あなたにとって福音とは

1)福音のためならどんなことでもする

ニュースは伝えられなければニュースではありません。その人が聞いて喜ぶまでは、まだその人にとっては「福音」とはなりません。父のもとに帰られる前にイエス様がクリスチャンに命じられたことは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」 (マルコ16:15)でした。パウロはそれを忠実に守った、私たちのお手本です。イエス様はパウロにだけそのように命じられたのではありません。牧師や宣教師にだけ命じられたのでもありません。すべてのクリスチャンが福音のために生きるのです。そこで、福音のためにどんなことでもするという言葉は少し整理しておかなければなりません。それは誰でも地上での仕事を辞めて宣教の働きに専念しなさいということではないのです。

私たちはよく「イエス様、いつも、私とともにいて下さい」と祈ります。それが真実な祈りならイエス様はいつもあなたとともにいてくださいます。あなたは人生という道程をイエス様と共に歩いています。一番大切な友と歩いていて、誰かに出会ったら、その友のことを紹介したくならないでしょうか?「この方が私を愛してくれているので今私は生きていられるのです!イエス様はあなたのことも愛しているのですよ!」と。もちろん、現実はそう簡単にはいきません。だから私たちはなんとかしてその人に知ってもらいたいので、イエス様の素晴らしさを伝えます。言葉での説明も大切ですが、愛は言葉だけでは伝わりません。イエス様はその人の目には見えないからです。私たちはわたしたちの内に働かれるイエス様の愛を紹介するしかありません。あなたがその人を愛そうとしないなら、イエス様を知ってはもらえません。ところで愛するとは、イエス様があなたにして下さったように、その人のために喜んで犠牲を払うことです。だから先週お話ししたように「その人のようになる」のです。それは人を教会に連れてくることではなく、教会がその人のところへ行くことです。つまりあなたがその人のところへ行くのです。そして必要を満たします。それは必ずしも、その人がしてほしいこととは限りません。ましてや、あなたがしてあげたいことを押し付けるのでもありません。イエス様がその人にしてやりたいことを、想像力を働かせて注意深く、どんなことでもするのです。

2)福音に共にあずかる

パウロは少し不思議な言葉でこの部分を締めくくっています。今まではどんなことでもする理由を、人を得るために、と言っていましたが、ここでは「わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」といっています。パウロはすでに福音にあずかっているのではないでしょうか?

運転免許を得ることは小さなカードを持つことに意味があるのではなく、日々免許を持つドライバーとして車を運転するからこそ意味があります。

福音も同じです。それは福音が一度受け取ったら、満足してどこかにしまっておく「天国への入場券」ではないのです。先ほど、福音とは赦されて自由な神の子供としての身分を得られることだとお話ししました。それで私たちは神様とともに歩めるようにされたということになりますが、実際にともに歩き続けてゆかなければ意味はないのです。それはイエス様の体の一部として歩むということです。イエス様は何のために今も生きて働いておられるのでしょうか?一人でも多くの人を神様と和解させるためです。だから、福音にあずかるということは、聞いて受け入れるだけでは完成してはいないのです。神様の愛を伝え続けること、愛し続けることによってのみ、実質的に福音にあずかっていることになるのです。私たちもパウロにならって、イエス様とともに福音のために何でもしてゆきましょう。ともに福音にあずかる者であり続けましょう。

メッセージのポイント

その方法はそれぞれ違っていても、クリスチャンの人生の目的は福音(良い知らせ)を人々に伝えることです。ニュースは伝えなければニュースにはなりません。ニュースを伝えるために大切なことは、1) あなた自身、そのニュースが大好きで、よく知っていること 2) あなたに合った伝え方をすること 3) 伝えたい相手に合った伝え方をすること 4) 決してあきらめないことです。

話し合いのヒント

1)福音とは何ですか?

2)福音のためにあなたは何をしますか?

3)福音に共にあずかるとはどのようなことなのでしょうか?