January 27th - February 2nd, 2008 Vol.15 No.4

教会とは何か?ユアチャーチカヴェナント (1)

今週と次週は今年度の誓い(カヴェナント)の心備えのためにお話しします。今日は、私たちが誠実であろうとする教会が私たちにどのような信仰を求めているのか?教会はどのような目的をもって存在しているのか?そして、このふたつのことを共有する<キリストの教会>の一部であるユアチャーチがどのような特色を持って頭であるキリストに仕えようとしているのか?という事についてお話しします。

A. 私たちが信じていること

私たちはどのような信仰によって一致することができるのでしようか?

1) 神・聖書・教会

<神>主イエス・キリストによって示され聖書にあかしされている唯一の神は、父と子と聖霊との三位一体の神です。み子は私たち罪人の救いのために人となり、十字架にかかり、ただ一度ご自身を完全な犠牲として神にささげ、私たちのあがないとなられました。神は恵みをもって私たちを選び、ただキリストを信じる信仰によって、私たちの罪をゆるして、義とされます。この変わらない恵みのうちで、聖霊は私たちをきよめて、義の実を結ばせ、そのはたらきを完成されます。

<聖書>旧新約聖書は神の霊感によってでき、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会のよるべきただ一つの正典です。聖書は、聖霊によって、神と救いとについて、完全な知識を私たちに与える神のことばであり、信仰と生活との誤りのない基準です。

<教会>教会は主キリストのからだであって、恵みによって召された者の集まりです。教会は公同の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝え、洗礼(パブテスマ)と聖餐との聖礼典を行ない、愛のわざにはげみながら、主がふたたびこられるのを待ち望みます。

2) 使徒信条

以上の信仰の内容をまとめて表現したのが<使徒信条>です。使徒信条は初代教会から続く信仰の基準を言い表したものです。

 私は、天地の造り主、全能の父である神を信じます。私はそのひとり子、私たちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。私は聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。(日本基督教団、教会教育用口語訳)

B. ユアチャーチが大切にしていること(教会の目的)

1) 主を愛し、主に仕える(ワーシップ=礼拝)

  (祝祭=共に集まる礼拝, ミニチャーチ、家庭、個人における礼拝)

 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ローマ12:1,2)

 教会全体で行われるワーシップは祝祭(セレブレーション)の性格を持っています。もっと規模の小さい集まり(ミニチャーチ、家庭、個人)におけるワーシップは神様との親しい交わりに重点が置かれます。ワーシップは私たちにとって何をすることよりも優先すべきものです。私たちは、共に集い神様に賛美と誉れを捧げて礼拝することを心から喜び楽しみます。私たちの言葉、歌、捧げものを通して、神様に対する愛と願いを自由に表すときです。教会で行われる礼拝だけがワーシップではありません。ミニチャーチや個人の日常生活においても、神様との良い交わりを保つために最も大切にして継続的に行われるべきものです。

2) 互いに愛し合い仕えあう(交わり)

 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。?(ローマ12:9-13)

 互いに愛し合い受け入れあうこと。特にミニチャーチは私たちが最も大切にしている教会の集まりで、そこは集う者にとって主にあって親密な霊的ホームベースです。ここで私たちは主からの愛を互いに目に見える形で現します

3) 世界に対する教会の務め 

(1)宣教

 イエスは、近寄ってきて言われた「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」?(マタイ 28:18-20)

 私たちが神様の恵みによりただで与えられたかけがえのない宝、確かな生きる道として、福音を宣べ伝えます。伝道は私たちの自然な喜びのあらわれであって強制されてするものではありません。伝道は次のような形でなされます

A. 個人、ミニチャーチでの伝道を支援する

B. 教会成長(教会の機能を高め、提供できるミニストリーを充実させる)や教会開拓(教会の株分けや、ティームの派遣によって、教会を増やす)

C. 海外宣教(富める国のクリスチャンの責任・宣教師、宣教ティームの派遣及び支援による宣教活動)

(2)社会に対する務め

 私の兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要な物を何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう、信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。?(ヤコブ 2:14-17)

 貧困、病、他からの助けを必要とする人々に対してイエス様が深いあわれみのまなざしを向けられたことと実際に助けの手を伸ばされたことにならうよう、神が私たちの心にふれ、ヴィジョンを与えて下さるので、私たちはこれらの人々に対する、霊的、精神的、物質的な助けを行うと共に、社会に公正と正義を求め働きかけます。?

C. ユアチャーチのめざす教会の姿

1) 次世代に開かれた教会=新しい革袋

また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。 新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。 また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」(ルカ 5:37-39)

 ユアチャーチのメンバーは自分に心地よい教会であるより、これから教会に加わる若い世代が受け入れやすい教会であることをめざし、信仰の本質に係わること以外は大胆に時代のニーズに応えて行きます。

・特定の年代のファッションや言葉に偏見を持たないこと

・礼拝のスタイル・集会のあり方についての固定観念にとらわれないこと

・教会でしか通用しないような特殊な表現をできるだけ避けること

・言葉・リズム・メロディーの面で新しいワーシップソングを生み出してゆくこと

・経済的に余裕のある世代が、そうではない世代のミニストリーのために大胆に捧げ、犠牲を払ってゆくこと 

これらのことによって新しい革袋(柔軟な教会)として新しいワイン(新人類)を育てるのにふさわしい教会をめざします。

2) いやし、育て、送り出す教会

=心の傷を癒し、霊的健康を取り戻す

=一人一人が与えられた賜物を用い仕えることができるように成長する

=国内外に牧師、宣教師、働き人を送り出す。自分自身が出てゆく