February 3rd - 9th, 2008 Vol.15 No.5
特権と義務ユアチャーチカヴェナント (2)
先週は教会が何を信じているのか、ユアチャーチはどのような教会を目指しているのかということをお話ししました。今週はこの教会の働きの担い手はどのような人々か、ということをお話しします。この教会の働きを担う人々がカヴェナントメンバーと呼ばれている人々です。カヴェナントとは、誓い、誓約のことです。いろいろな組織に会員制度があります。会員になれば特典や割引があったりしますが、反対に会員としての責任や義務も生じます。カヴェナント会員になるとどんな特典があり、どんな義務が生じるのでしょうか?たった三つのことですから、はじめに誓いの内容を確認しておきましょう。
1. 私は礼拝を生活の中で最優先することと十分の一の献げ物によって、神様を愛し神様に仕えます
2. 私はあらゆる機会(日常生活、ミニチャーチの交わり、ミニストリーグループの働きなど)に惜しみなく分かち与えることによって、互いに愛し仕えあいます
3. 私は神様の世界に対する働きを担い、様々な働きを支援することによって、世界を愛し世界に仕えます
ここからお得な特典を発見できましたか?一見、特典は一つも見当たりません。しかしここには大きな特権が隠されています。それはキリストの体のユアチャーチという器官の一部となりユアチャーチの働きに加われるということです。メンバーではない人もミニチャーチや礼拝、バーベキューやポトラックに来られることを歓迎されますから楽しみたいだけなら、交わりを楽しみたいだけなら、義務と責任が伴うカヴェナントに署名する必要はないのです。しかしカヴェナントメンバーにならなければ得られない喜びがあるのです。神様を愛する喜び、互いに愛し合う喜び、世界を愛する喜びです。ある人々、は心にイエス様を受け入れれば、実際の教会に属さなくても愛することができると主張します。目に見える教会は人間の集まりだから清くないし、目に見えない一つの教会に属しているのだからそれで十分と考えるのです。教会の人間関係の中で傷つき疲れた人を気の毒に思いますが、それでも目に見える教会の外側に自分の身を置くことは神様の意思に反しているといわなければなりません。イエス様を通してしか神様とつながることができない、という教えに反対するクリスチャンはいないはずです。教会はキリストの体であり、実際の諸教会はその一部であり、私たちはさらにその一部分としてデザインされています。この神様のグランドデザインに従わずどうして神様を愛すると言えるのでしょうか、互いに愛し合うと言えるのでしょうか?教会に中にいなくてもいいということは、自分の愛したい人だけを愛せばいいということです。それはもうイエス様の無条件の愛とは異質なものです。
そこでクリスチャンは例外なく、ユアチャーチである必要はありませんが目に見える一つの教会の、責任と義務を負った一部となる必要があるのです。
ユアチャーチは一年毎にカヴェナントを更新します。このような制度をとっている教会は多くはありません。多くの場合その教会で信仰を持ち洗礼を受けることはその教会の期限無しのメンバーになることを意味しています。その結果、名前だけがカウントされていてほとんど働きに加わっていない会員の方が、礼拝の出席人数よりずっと多い教会も多いのです。教会員の数え方はいろいろあってよいと思いますが、私たちは名前だけの会員というのは意味がないと思うので、実際に責任を負うことを決意し少なくともこの一年間は投げ出さずに約束を果たしたいという方に署名をしていただきたいのです。そこでこのカヴェナントをもう少し詳しく見てゆきましょう。
1. 私は礼拝を生活の中で最優先することと十分の一の献げ物によって神様を愛し神様に仕えます
彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』(マルコ12:28-30)
信じる
信じるとは心の中で「そう思っている」ということではありません。信じるとはイエス様を自分の主と確信し、信頼と服従によって行動することまでが含まれているのです。神様が私たちに求められている第一のことは礼拝です。カヴェナントメンバーにとっては共に集まる週の初めの日の礼拝をあらゆる生活の第一優先におくことは果たすべき責任です。勿論私たちは皆置かれている状況が違います。日曜日が休みではない人もいれば、家族がクリスチャンではない人もいるのです。日曜日に来られる日が多くないからメンバーになれないということはありません。去年からウエッブで礼拝に参加できるようになりました。ワーシップの部分も公開されてはいませんがメンバーは見ることができます。日曜日に来られなくても、ヴィデオで参加して、ミニチャーチに出られれば、日曜日に来られた人たちとほとんど同じ霊の糧を得られると思います。ミニチャーチについては後で詳しく話しますが、このことが、できるだけ毎週開けるようにするのが良い一つの理由です
献げる
一人一人が収入の1/10をささげることが、その教会のメンバーの義務だと私たちは信じています。ですからメンバーになりたい人にはこのことを求めます。教会の中にはそう信じていない教会もありますから、このことを信じられない人はそういう教会のメンバーになることをお勧めします。ユアチャーチのリーダーたちは誰にいくら収入があっていくら捧げているということを知りませんし、知るつもりもありません。これは第一に神様との契約なのです。キリストの体である教会もこの社会に存在する以上コストがかかります。メンバーが誠実にささげる額が、ユアチャーチが神様の働きのために仕える金額であるということです。神様が私たちに求めておられる働きはそれ以上でもそれ以下でもありません?。
2. 私はあらゆる機会 (日常生活、ミニチャーチの交わり、ミニストリーグループの働きなど)に、惜しみなく分かち与えることによって互いに愛し仕えあいます
イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。(1ヨハネ 3:16-18)
ミニチャーチ
ユアチャーチの最も大切な集まりは週に1回少人数(3人から8人くらい)で集うミニチャーチです。できるだけ多様なグループを週日の様々な時間に用意することをめざしています。どのミニチャーチに集うかは自由ですが、メンバーは誰もがどれか一つのミニチャーチに属することを期待されています。ミニチャーチは少人数の親密な雰囲気の中で、必要な癒し・慰め・励まし・アドヴァイスが得られ、礼拝で受け取ったメッセージを日常生活に活かすこと、互いに愛し合うこと、仕え合うこと、伝道や社会に対する務めが自然にできるようになる、なくてはならない霊的なファミリーです。
ミニチャーチリーダーはミニチャーチの中でミニチャーチのリーダーを見習うことで養成されます。新しいミニチャーチは、株分けによって、まだミニチャーチに属していない人々が集まることによって生まれます。ミニチャーチは親密な交わりができる人数を超えたら株分けをします。
従う
牧師と教会のリーダーたちは委ねられた群を導く重い責任を神様から委ねられ、私利私欲によらず、自分の思いではなく、神様の意思に従って指導しています。もちろん彼らは神様でも、あなたと神様の間に立つものでもありませんし、完璧な者ではありませんが、神様によって立てられたことを教会が認めた人々です
教会の意思決定はリーダーミーティングにおいてなされます。教会リーダーミーティングは月に二度(必要に応じて臨時にも) 開いています。決定は十分な話し合いと祈りを経て牧師の責任でなされます。
できる限り広くメンバーの考えが反映されるよう、意志決定以前の調査や意見を知るために、月に一度開かれるハドルミーティング(教会メンバー総会)でなされます。
なぜ多くの教会がしているような週の半ばの祈祷会や聖書研究会ではなくミニチャーチなのですか、と聞かれます。ユアチャーチには聖書研究会や祈祷会よりミニチャーチが必要だと信じるからです。と答えます。
また教会のリーダーやあるいは牧師の信任をメンバーの選挙によって民主的に行っている教会もあります。しかしユアチャーチは、そのような方法はとるべきではないと考えます。
3. 私は神様の世界に対する働きを担い、様々な働きを支援することによって、世界を愛し世界に仕えます
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」 (マタイ5:13-16)
仕える
私たちがキリストの体(教会)の一部として一人一人に期待されていることは、(1)教会の様々な働きに自覚と責任を持って加わることと、(2)日常生活の中で自分が与えられた恵みや喜びを人々に伝え、愛することによりキリストの香りをはなち、イエス・キリストを紹介し、その人が神様との関係を回復する手助けをすることです。 例えば教会が日曜日の礼拝を行うためにも様々な準備があります。礼拝の時にも、音楽や映像、子供の教会、これらの仕事はカヴェナントメンバーが分担しています。
カヴェナントメンバーであるということは、月曜から土曜日の間も、神様がユアチャーチに与えられた愛の働きの一部を担っているということです。
1でお話しした優先順位
2でお話しした教会のあり方
3でお話ししたクリスチャンとしての生き方
を喜んで受け入れ責任を果たしたいと願う人はどうぞカヴェナントに署名して下さい