March 2nd,-8th, 2008 Vol.15 No.9

  


思い直される神様 ヨナ書3章

主の言葉が再びヨナに臨んだ。 「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」 ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。 ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」(1-4)

すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。(5)

このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。 人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。(6-8)

そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」(9)

神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。(10)

A. 悔い+改め

先週からヨナ書に学んでいますが、今日は、ニネベの人々の態度から『悔い改め』という大切な事について学びましょう。日本語の『悔い改め』は原語の意味を良く伝えています。それは、後悔する、そして生き方を改める、という二つの事が組み合わされている言葉です。

1) 悔いること

ニネベの人々はヨナの宣告に心から、今までの生き方を悔いたのです。ヨナは滅びを宣告したのです。滅びたくなければ正しくなりなさい、と言ったのではありません。

悔いるということは、罰を免れようとして、ごめんなさいと言うことではないのです。もしヨナが「滅びたくなければこのようにしなさい」という言い方をしたなら、彼らは悔いることなしに断食をしたり、粗布をまとったりして難を逃れようとしたかもしれません。しかしそれでは滅ぼされていたことでしょう。

けれど彼らは、口先でごめんなさいといったのではなく、心からそう思っています。それが悔いるということです。本当に間違っていた、すれば良かった、あるいはしなければ良かったという気持なのです。これが本物でなければ、次の段階である『改め』には至りません。

2) 改めること

世の中には、自分には悔いることは何もないと思い込んでいるという人もいます。そのよう人は、もちろん行ないを改めることはありません。一方で、いつも後悔ばかりしている人もいます。なぜそんなに後悔ばかりしているのでしょうか?それは後悔するばかりで、生活を改めることをしないからです。悔いて神様にたちかえらないのは、まだ主を知らない人々の問題ですが、悔いるのに行動が改まらないのは、クリスチャンの問題でもあります。クリスチャンになることももちろん大切なのですが、クリスチャンになってどう歩むかも同様に重要な事なのです。

ヨナは悔い改めて使命を果しました。ニネベの人々は速やかに悪から離れました。さあ、あなたは何をするべきなのでしょうか?何をやめるべきなのでしょうか?そうすることによって悔い改めは完成します。そうしなければ悔いることの繰り返しです。悔いもしない方がまだ気楽なのではありませんか?

3) 今、最初にするべき悔い改め

ニネベの人々はヨナの宣告に素早く反応しました。「神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。」のです。彼らは第一に「神様を信じ」ました。彼らは神様をどのように信じたのでしょうか?彼らにとっては異国の民の神と考えていたヤーウェが、善悪の基準を持っておられる唯一の神様であること。悪、不法を許さない方でニネベを滅ぼすことができるか方であることを信じたのです。信じなければ次の行動は出てきません。「悔い」と「改め」を結ぶものは、「信じる」ことです。

泥棒でも、ある意味では悔い改めるのです。反省し、明日はもっと巧くやろうと新しい計画を立てるのです。それは神様抜きの「悔い改め」です。みじめな生活から抜け出そうと思っても、神様抜きでそれをしようとしてもうまくはいきません。

そこで、みなさんにお勧めしたいことは、「神様があらゆる者に勝る、世界のすべてにおける主権者だということを本気で信じましょう」ということです。

口で神様は全能ですというクリスチャンは沢山います。でも肝心なところでは神様に頼り切ることができずに、お金や人脈に頼ろうとするのです。それは、心では神様が全能であると信じてはいないということになってしまいます。私たちは今日の聖書のテキストで、神様は悪を決して許さない方であると同時に、悔い改めに応え思い直して下さる方であることを知りました。あなたが第一にすべき「悔い改め」とは神様に背を向けていたことを悔い、神様を信じて、神様に従ってゆくことです。

B. 神様の恵みを世界に満たすために

1) 自分が悔い改めること

ニネベでは、まずヨナの宣告を聞いた人々が悔い改め、王にも伝えられました。最終的には王が民に悔い改めの布告を行なったのですが、王はヨナの宣告を直接聞いたわけではありません。人々の真剣な悔い改めが王宮にも届いたのです。ニネベの人々は町の悪の問題を王や役人のせいにはしませんでした。自分達の事として悔い改めたのです。その真剣な悔い改めが王を真剣にさせました。社会に問題を感じたら、自分もまたその社会の一部であり、私も悔い改める、というのでなければ全体の悔い改めにはならないのです。皆さんの周りには多くの困った事があると思いますが、そこに神様が介入してもらいたいと思うなら、自分なりの悔い改めから始めなければなりません。

2) 人々に、世界に悔い改めを勧めること

全ての人に、悔い改めを勧めることはクリスチャンの使命です。ここで私達がどう伝えたらいいかを考えてみましょう。最初にお話ししたように、悔い改めは、心からのものでなければ意味がありません。だから恐れさせたり、永遠の命を得る交換条件のようにしたりして迫るものではないです。全て民の真剣な悔い改めが王に伝わり、王の真剣な悔い改めが全ての市民に伝わり、神様はニネベの町を滅ぼすことを思い直されました。私達が神様の思いを人々に伝えたいなら、その第一歩は、あなた自身の悔い+改めです。そこに神様の豊かな祝福が注がれます。さああなたも今日、悔い改めから始まる新しい歩みを始めましょう。

<メッセージのポイント> 

ヨナはこの町の滅亡を宣告するために遣わされたのです。しかし、この町は同じように滅ぼされたソドムやゴモラのように滅ぼされることはありませんでした。それは多くのニネベの人々が心から自分達の悪を後悔して神様にゆるしを願ったからです。もし彼らが悪を続けていたなら滅びを招くことは避けられなかったでしょう。神様はあなたが心から後悔して正しく歩み始めるなら、どんな悪の道を歩んで来たとしても、思い直されてゆるして下さいます。つまりそれは、あなたが今までどんな人生を送ってきたとしても、神様と共に新しくやり直すことができるのです

<話し合いのために>

1) もうすぐ滅びると警告されて、ニネベの人々は何をしましたか?

2) なぜ神様はニネベを滅ぼすことを思い直されたのですか?