June 8th,- 14th, 2008 Vol.15 No.23

教会(自分)をもっと良く知るシリーズ:エフェソの信徒への手紙より(3)
苦難の先にある栄光に到達するために(第3章)

先々週からエフェソの信徒への手紙を通して、教会、そしてその部分である自分をよく知ろうと学んでいます。先週までに明らかになったことは、一言でいうなら、私たちが神様の恵みのうちにある者だということです。神様が私たちの人生の1ページ、1ページにかかわって下さっている。それこそが神様の恵みです。しかしわたしたちはしばしば、「恵みのうちにあるといいながら、イエス様の愛を伝えるという生き甲斐を持ちながら、なぜ私は困難に直面するのか?」という疑問が心の中にわき上がります。今日のテキストは、私たちが困難を乗り越える力を与えられている者だということを良く教えてくれています。

A. すべての人に向けられている恵みを伝える困難 (1-13)

1) 計画を理解し共有しよう (1-6)

こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。 あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。 初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。 あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。 この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。  

まず、前提として確認しておきたいことは、私たちは「戦い」の中にいるということです。それは、人々の心に自由や平和をもたらす戦い、解放のための戦いです。実際多くの人は、鉄の鎖に繋がれているわけでも、暗い牢獄に閉じ込められているわけでもありません。けれどもすべての人は生まれながらに「罪」という鎖、牢獄に囚われています。そしてそのほとんどの人々は、囚われていることにさえ気付いてません。これは、サタンの巧妙な策略です。目の前のちっぽけな名誉や財産をちらつかせ、それらに夢中にさせたり、他人の不幸を見せて優越感を与えたり、反対に自分より多く持つ者を見せて、その人を見返すことこそあなたの人生の目的だと錯覚させたりするのです。そのような人々が本当の幸せをつかむために、イエス様を紹介するという私たちの戦いを、敵が快く思うはずがありません。あらゆる手段を用いて妨害するのは当然です。イエス様御自身も、人としてその困難を経験され、12人の弟子たちも経験し、パウロもまたこの困難に直面しています。それ以降の者もまた経験し私たちも経験しているのです。神様の計画は、敵にとっては大変大きな脅威となる戦いの計画なのですから、反撃や抵抗による困難は常にあるのです。もしクリスチャンが困難を感じていないなら、それは、神様の計画のために戦っていないクリスチャンです。サタンにとっては全く無害で攻撃する価値のないクリスチャンです。それは私たちにとって全く不名誉なことです。  私たちにとって幸いなことは、この戦いは既に終盤を迎えているということです。イエス様は十字架と復活によって勝利を得られました。サタンには勝利はありません。しかしまだ敗北宣言をしてはいないのです。一人でも多くの人を滅びへの道連れにしようとしているのです。私たちは、神様の約束に与る者として、一つの体に属する者として神様の計画に参加し、困難を感じながらもこの戦いの最後の局面を注意深く、しかも大胆に戦い抜くことを神様に期待されているのです。

2) 困難にひるまず、もっと神様に近づこう (7-13)

神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。 この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。 こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。 わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。 だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。

神様は力のない私達に無理な期待をかけておられるわけではありません。神様御自身が、その力を表されてパウロを仕える者として下さったように、私達をもそのような者として下さるのです。 パウロは自分が神様の目から見ればどれほど小さな者であるかということを自覚していました。私達から見ればパウロは偉大な伝道者ですが、彼は自分が神様の力によらなければ、神様に背き続けて生きるしかない者であることを忘れてはいません。 困難は乗り越えることができます。しかし、私達の力でできるのではありません。神様の力です。だからこそ、困難であればあるほど神様に近づこうとするべきなのです。私達は自分の直面する困難どころか、他のクリスチャンの困難を見ても落胆してしまうような者達です。パウロに倣って言うなら牧師、指導者の苦難が、皆さんの栄光だというのです。私の、弟子達の中で最もつまらない者と自称したパウロよりもはるかにつまらない者の、しかもちっぽけな苦難でも、皆さんの栄光となるということです。私にとってこれほど大きな慰めはありません。結局のところ、クリスチャンの受ける苦難は何一つ無意味なものはなく、誰かが神様の栄光を表すことに役立つのだということです。時が良くても悪くても、もっともっと神様に近づきましょう。それは神様の願いであり、あなたの栄光のために苦難を厭わない信仰の仲間にとっての慰めでもあるのです。

B. 困難を乗り越える祈り (14-21)

さて、神様に近づく最良の方法は祈りです。祈りはまた、苦難を乗り越える最高の武器でもあります。そしてあなたはそれを手にしているのです。

1) あなたには祈る資格がある (14-15)

こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。 御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。

主イエスキリストの名が与えられているということは、この名によって祈ることができるということです。この特権の大きさに気付いていないクリスチャンのなんと多いことでしょう。人は誰でも祈らずにはいられない時があります。神様は憐れみ深い方ですから、神様を知らない人が星に祈った祈りでも聞くことのできる方ですが、クリスチャンは神様とのホットラインを待っているのです。それはあなたの主イエス・キリストです。パウロは彼のホットラインを使ってエフェソの人々のために三つの祈りを捧げています。

2) あなたの心にイエス様が住み、その愛にしっかりと立つことができますように(16-17)

どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。

「あなたの心にイエス様が住み、その愛にしっかりと立つことができますように」これが第一の祈りです。イエス様はあなたが彼を主と信じた時から、あなたの心に住んでおられます。この祈りが必要なのはイエス様が本当に不在だからではありません。確かにおられるのに、イエス様が不在かのように振る舞ってしまう私達なので必要なのです。私達がこの素晴しい事実を自覚していればイエス様の愛を土台とした苦難にも揺らぐことのない人生を建てあげることができます。

3) 神様の豊かさに満たされるように(18-19)

また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。

第二の祈りは、神様の豊かさに満たされるようにというものです。真の豊かさは物質的豊かさでもなければ、知識、経験、心のゆとりといった精神的な豊かさでさえもありません。人が満たされるべきなのはここで紹介されている神様の豊かさです。しかし多くの人々にとって、この豊かさは理解できないものです。この豊かさにあずかるためには、イエス・キリストを知ることから始める長いプロセスをたどらなければなりません。キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、と書かれている通りです。残念なことにクリスチャンでさえイエス様と出会った時の最初の愛の印象で満足して、それ以上に進んではいかない人は多いのです。しかし、イエス様の愛はあなたが考えているよりもはるかに強く広く高く深いのです。ですから、今の理解で満足していてはいけません。もっと主を知りたい、という願いが、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされる秘訣です。

4) すべては神様の栄光のために(20-21)

わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

この祈りの最後のポイントは、私達の祈りの頂点として、神様の栄光が現されるように、祈るべきだということです。そしてこのパウロの祈りは、神様の栄光はイエス様とその体である教会によって現されるのだという重要 な事実を伝えています。神様は私達に関係のないところで栄光を表す方ではありません。私達が神様の栄光を表すのです。私達が神様の働きに仕えることによって、その働きを見る人はそこに神様の輝きを見るのです。このことに関して私達が気を付けなければならないことがあります。神様の栄光を求めての行動なのか、自分の栄光のための行動なのか、私達は時々自分を吟味してみる必要があるでしょう。そうでなければ、神様の栄光と思いながら実は、自分の栄光を求めていることに気付かずにいることがあるからです。

メッセージのポイント

神様の恵みによって、自分のなすべきことや向かう方向が分かっていても、様々な困難によってその歩みが止められたり、遅くなったり、回り道をしなければならないことがあります。それはクリスチャンの歩みには必ずあることです。そんな時には神様の前にもっと進み出て、神様とミーティングをしましょう。そして神様の基本的な計画を、もう一度良く教えていただくのです。それから、今日教えられた困難を乗り越える祈りを自分でも祈り、人々にも祈ってもらいましょう。このことは、誰かが困難に直面している時に、あなたがアドヴァイスしたり、祈ってあげたりすることでもあります。

話し合いのヒント

1) あなたはどのような困難のうちにありますか?

2) そのためにどのように祈ったら良いのですか?