AugustAugust 17th,- 23rd, 2008 Vol.15 No.33

詩編に学ぶクリスチャンライフシリーズ (4)
主を呼び求めよう
詩編第4編

キリスト教信仰を持つということの本質は、その教えを信じて○○教会のメンバーになるということではありません。聖書の神様を信頼して生きることが信仰の本質です。「私はクリスチャンです」と言う時,それがただ○○教会の会員ですということを意味しているだけで、神様に対する信頼がその人の人生の基調になっていないなら、信仰の本当の恵みを十分に味わっていないことになります。あなたは本当に神様を信頼して生きていますか?

A. 呼び求めて救われる (2)

呼び求めるわたしに答えてください/わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください/憐れんで、祈りを聞いてください。

1) 苦しい時こそ神様を呼び求めよう

ダビデは、信仰者のお手本となる人です。彼は高潔で非の打ち所のない立派な信仰者ではありませんでした。だからこそ私たちの良いお手本なのです。彼は何度も窮地に立たされ、その度に神様に叫び求め救われる経験をしてきました。神様は必ず手を差し伸ばしてくださることを十分知っていました。それでも彼は、またここで私の祈りを聞いてくださいと叫び求めています。彼だけではなく、聖書に出てくるすべての信仰の勇者といわれるような人々もまた、苦境に陥っても涼しい顔をして、「いや大丈夫です。私は神様を信頼しているから、御心配なく」という態度だった人は一人もいませんでした。イエス様でさえ十字架にかけられた時「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」(マタイ27:46)と大声で叫ばれました。イエス様は父を100%信頼しておられました。しかし、その肉体の苦痛と精神の恐れは間違いなくイエス様を襲っていたのです。 何があっても平然としていられることが信仰の強さではないのです。助けを求めるべき時に、それをしようとしないことは強さではなくむしろ愚かさです。どんなに過去、大きな恵みを経験していたとしても、苦しいときは苦しいのです。恐ろしいときは恐ろしいのです。大切なことは、それを心の中に、隠しておかずに神様に叫び求めることです。それは信頼していないことではありません。不信仰なことではないのです。

 

2) 解放と憐れみを必死で願おう

解放や神様の憐れみを必要だと思っていない人は、それを願いません。解放の第一歩は、自分がとらわれていることに気付くことです。薬物やアルコール依存症であっても本人が依存症であることに気付かなければ解放のプロセスは始まりません。罪は私たちの感覚を麻痺させる働きをします。自分が抜け出すべき状態にあることを本人は気付いていないということが良くあります。虚栄心、劣等感、強すぎる自尊心、罪悪感あるいはガラテヤの信徒への手紙5:19-22に記されている「肉の業」にとらわれていることが、苦しみの原因か、原因ではなくても悪化させている要因です。 「私を憐れんでください。」 プライドの高い人には大変言いにくい言葉です。しかし、これは恵みの入り口です。人間は神様の憐れみによらなければ、何も得ることのできません。どん底に落とされてやっとそのことに気付く人もいれば、そこまで行かなくても悟る人もいます。しかし苦しみのどん底にあっても気付けない人もいるのです。皆さんは、自分には神様の解放や憐れみが必要な者であると気付かれているでしょうか?

 

B. クリスチャンは人々にこう勧められる

主の慈しみに生きる人を主は見分けて/呼び求める声を聞いてくださると知れ。

皆さんの周りには「信仰が必要なのは弱い人であって、自分は強いから必要ない」と言う人がいると思います。彼らは強いのではありません。自分の弱さを認めたくないのです。そのような人でもあなたに耳を傾けるチャンスがあります。そのような人にも失敗する時、落ち込んでいる時、自信を失っている時があるからです。神様が私たちにとって唯一の信頼に足るお方だということを、なんとかこのような人々に伝えたいものです。彼らが知るべきことは、あなたがどれだけ神様を頼っているのかということです。私たちの弱さの中にこそ働く神様の強さを伝えるのです。ですから、信仰とは弱いものが持つものだ、と思っている人々に対してさえ、私たちが強さを誇る必要はありません。クリスチャンは恐れない、悩まない、迷わない、怒らないのではなく、神様がそのような中でも働くことを知っているものなのです。私たちはまだ主を知らない大切な人々に、この部分から三つの伝えるべきことを知ることができます

1) 主はご自分の羊を見分け、呼び求める声を聞いて下さる (4)

主の慈しみに生きる人を主は見分けて/呼び求める声を聞いてくださると知れ。

 

それは第一に、「神様はあなたを誰よりもよく知っていてくださり、その叫び求める声を聞いてくださる」ということです。「あなたの心の叫びは誰にも届いていないように思えても神様は聞いておられるよ。私はあなたに神様が最高のプランを用意していてくださると信じているよ」と伝えるのです。そんなことどうしたら分かるのですかと、問われたら第二のことを伝えましょう。

2) 自分の心を探ると共に沈黙の中で語られる神様の声に耳を傾けなさい (5)

おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り/そして沈黙に入れ。〔セラ

第二のこととは、「自分の心と正直に向き合い、心静かにするなら、沈黙の中で語りかけられる神様の声を聞くことができます」ということです。誰でも良い答えが欲しいのです。本当の良い答えは目先の利益を約束してくれるものではありません。口に苦い薬のようなものであることもあります。夜は、あまり深く考えない方が良いとも言われます。否定的な考えや混乱で眠れなくなってしまうからです。しかし静かな夜は、神様と自分のことについて考えるなら素晴らしい時となります。

3) 献げ物と信頼 (6)

三番目は ふさわしい献げ物をささげて、主に依り頼め。 ということです 心を静かにして聞くなら、神様の声はどのように語りかけてくださるのでしょうか?それはいつも「私に従いなさい」ということです。それは一貫しているのです。誰かにいつもそんな風に言われるなら、面白くないかもしれませんが、神様には、そう命じる権利があります。神様があなたをおつくりになったのです。そして私たちは、彼に従うことが最良の選択であることを経験しています。献げ物というと献金を思い浮かべる人が多いと思いますが、お金はその一部に過ぎません。あなたが献げる事のできる最高の献げ物は、あなた自身です。すなわち従うということです。自分のための人生と思うなら利己的に生きることになります。誰かのために生きたいと思っても、その人を満足させてあげられるとは限りません。私たちは皆不完全だからです。しかし、神様の栄光を表わすために生きたいと願うなら、神様は必要な助けを必ず与えてくださるのです。

C. 私の願い

この歌は、神様を信頼して歩む人がことを願うことの出来る三つのことを紹介して終わっています。あなたもダビデと共にこれらのことを願ってください。これらの願いはあなたに祝福をもたらす鍵です。

1) 御顔の光を向けてください (7)

恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。

わたしたちは神様が恵み深い方である事を知っています。私たちの感覚では神様が私の方を向いていてくださらないのではないかと思うような時があるものです。神様があなたをみておられないわけではありませんが、心細い時にはあなたはあなたの感覚に従って、「こっちを向いて下さい、私の顔をあなたの栄光で輝かせて下さい」と願ってよいのです。

2) 何にも勝る喜びをお与え下さい (8)

人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを/わたしの心にお与えください。

神様はダビデに物質的な成功による喜びよりも、尊く重要な喜びがあることを教えました。それは私たちがイエス様に教えていただいたインマニュエルの喜びです。インマニュエルすなわち、「神様は私と共におられる」という喜びです。物質的な成功は、あなたにいろいろなものを与えてくれます。しかしそれは、お金で買えるものばかりです。家はお金で生えますが家庭はお金では買えません。ベッドは買うことができても安眠は買えません。お金で人を雇うことはできても、家族は買えないのです。誰がそれを与えてくれるのでしょうか?それは神様以外にはありません。

3) 私の平和な居場所でいて下さい (9)

平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに/わたしをここに住まわせてくださるのです。

 

富に勝る喜びをお与え下さいという願いの後に、ささやかな願いだと思われるかもしれませんが。前にも述べたように、安らかな眠りも、平和な身の置き所も神様しか提供することはできません。多くの人が、家庭に、職場に、学校に自分の身の置き所がなくて悩んでいます。神様と共にいるなら、そこがどんな所であろうと、安らかに眠りにつくことのできる安全な場所なのです。また、いつ居場所を奪われるかと恐れている人もいます。しかしあなたから神様を奪うことができる人は一人もいません。目に見えるものを奪うことはできても、神様があなたの身の置き所であるなら、あなたはそれを決して失うことはありません。

メッセージのポイント

神様は、あなたが呼び求める声を聞き逃さない方です。苦しいときは声を上げて、神様を呼び求めましょう。それが出来ることは私たちの特権です。多くの人はその喜びを知らず、あなたに対しても敵対的であるかもしれません。あなたは誰かに追いつめられているようなときであっても、実はその人より優位な立場にあるのです。なぜなら神様はあなたと共におられるからです。

話し合いのために
1) どのような状況の中でこの歌は歌われたのでしょうか?
2) 麦やぶどうの豊かな収穫にもまさる喜びとは何ですか?