October 19th-25th,2008 Vol.15 No.42
詩編活用法 デボラ グローバー博士
<コロサイ 1:9-12> 初めに詩編19編14節の言葉で祈って初めましょう。「どうか私の口の言葉が御旨にかない、心の思いが御前に置かれますように主よ私の岩、私のあがない主よ」 先週、バドピアソン牧師のメッセージの最後に紹介された御言葉を思い出したいと思います。第一テサロニケ5章18節です。「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 私たちはすべてのことにおいて感謝をするように勧められています。神様は「感謝の歌をうたって主の門に進み/賛美の歌をうたって主の庭に入れと」(詩編100:4a)言われました。 私たちは礼拝をすることによって神様の御前に出ることができます。 詩編22章4節には、「だがあなたは、聖所にいまし/イスラエルの賛美を受ける方。」 とあります。言い換えれば、 私たちが賛美をするときに神様は共にいてくださるのです。 ダビデは詩編を通して神様を賛美し、崇めました。詩編には辛いことを語る箇所もありますが、神様をたたえる箇所もたくさんあります。私は詩編にある神様をたたえる歌を集めた本を作りました。タイトルは「神をあがめよ」です。 なぜこの本を作ったかというと、私は神様のすばらしさを語る詩編だけを集めた本が読みたかったからです。 アメリカに戻ったら私の本を何冊かお送りします。皆さんも詩編を読んで神様のことを表す歌、神様の御業をほめたたえる歌、そして感謝と賛美の歌を書き写してみてください。自分で詩編を読んでいるのを録音したり、書き写したりワープロでタイプしたりしてください。最初に詩編136章から150章までから始めることをおすすめします。それらの詩編は神様をほめたたえる詩編です。また詩編100、103、104などもおすすめします。 私は詩編の言葉を書いた小さなカードをバッグに入れていて、歩いている時、電車やバスを待っているときに暗記したり黙想をしたりします。神様は私たちのお父さんです。私たちが神様のことを覚え、思うことをよろこんでくださいます。 さて、私がどのように詩編を活用しているかをシェアしたいと思います。
ローマの信徒への手紙にこう書いてあります。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ローマの信徒への手紙12:2) 神様のすばらしさを表す詩編を読むと、私たちの置かれた状況や問題のことばかり考えるのではなく、問題の解決をくださる神様に集中することができます。 詩編で歌われている神様についての事実を歌ったり、読んだりしてください。私たちの魂の敵は逃げて行くにちがいありません。いま皆さんの中には「自分で問題の解決を見つけ出さなくてはいけない」とお考えのかたもいるかもしれません。しかしそれは神様を知らない人のやりかたです。 私たちの問題の解決は神様に心を向けて御声を聞くことによって明らかになるのです。 サムエル記上30章にダビデが住んでいた町、ツィクラグが敵に攻撃されその町の女性や子供がつれさられてしまったことが記されています。6節にダビデはその神、主によって力と励ましを得たとかいてあります。その町の兵士はダビデを恨み石で打ち殺そうと言い出したのですが、ダビデは神様のことを思い励まされました。 「兵士は皆、息子、娘のことで悩み、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したので、ダビデは苦しんだ。だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした。」(1サムエル30:6) 私たちも御言葉を読み黙想をするときに神様から力をいただくことができます。詩編は問題にフォーカスをあてるのではなく神様のことにフォーカスをあてさせてくれます。ダビデは神様のことを思い起こして神様の導きを待ちました。このことにより、敵から奪われたものすべてを取り返すことができました。 歴代誌下の20:1−25にヨシャファトというユダヤの王が大軍に戦いを挑まれたことが書いてあります。ヨシャファトは神様にこういいました わたしたちには、攻めて来るこの大軍を迎え撃つ力はなく、何をなすべきか分からず、ただあなたを仰ぐことしかできません。(12b). 私たちも問題に直面したときにこういえばいいのです。 神様はヨシャファトになんとおっしゃったのでしょうか? 神様は予言者を通してこういわれました: 主はあなたたちにこう言われる。『この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。(15b). ユダヤの人々は神様の言葉を信じて賛美をささげました。次の日にヨシャファトに命じられて人々はこう歌いました 「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。」 (21b). ヨシャファトが歌うように命じた歌は詩編の136章にもあります。ぜひ読んでみてください。ユダヤの人々が歌い始めると神様の手により敵を打ち負かすことができました。25節には 「戦利品は多く、それを奪い去るのに三日かかった。」(25b) と記されています。 私たちが敵に攻められ、つらい状況に置かれているときに神様を賛美することは難しいことです。しかし、神様を礼拝するときに神様は私たちの感情や心を静め勝利へと導いてくださるのです。
多くの詩編を書いたダビデはサウル王に仕えていた時に竪琴を使って歌を演奏して悪霊が王から離れたとサムエル記上16:19-23に記されています。 使徒言行録16:23-26には信じる者たちが牢屋で賛美をしている時、神様が彼らを救い出したことが記されています。パウロとシラスは鞭で打たれ足かせをはめられて牢に投げ込まれたました。真夜中に彼らは神様やほかの囚人が聞こえるように賛美の歌を歌っていました。そうすると大地震が起こり牢の戸はみな開き囚人のくさりもはずれました。彼らは自由となったのです。神様を賛美することによって心配したり不平をいったり怖がることを忘れ、神様の救いを見ることができたのです。私たちにも同じことができますか? ある晩、私は賛美の詩編を、声を出して読んでいました。私はこれを「歌を武器にする戦い」とよんでいます。なぜその時、悩んでいたのかは覚えてませんが、とても困っていたのは覚えています。詩編を読むと、聖霊は私の恐れは人間の恐れだということを明らかにしてくださいました。悪い霊が自分の内側から見つかったときは悔い改めて、その霊を追い出すことができます。パウロとシラスが牢屋から解放されたのと同じように私も恐れから解放されました。
詩編は病気の人や困っている人に平安をもたらすことができます。私は病院で手術前の患者さんや自宅で療養している人と詩編を読むことがあります。例えば詩編103編です わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。 主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け 長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。 私の友人の息子がヘロインを過剰に摂取しました。神様の恵みによって彼は生き延びました。わたしは週に一度彼の家を訪ねて詩編を読んであげました。彼は反応することすら出来なかったのですが、彼の霊や魂はちゃんと私の言葉を受け入れていたと信じています。彼はすばらしい回復を見せています。
詩編は私に真実なこと、気高いこと、正しいことを思い起こさせてくれます。 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。(フィリピの信徒への手紙4:8) 神様は問題のことばかり考えずにフィリピの信徒への手紙に書いてあることを考えるように勧めています。 詩編23章は真実なこと、気高いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉なこと、徳や称賛にあたいすることを考えたいときに読むべき詩編です。 (1)主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 (2)主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い (3)魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。 (4)死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。 (5)わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。 (6)命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。 神様の御言葉を心に納めましょう「わたしは仰せを心に納めています/あなたに対して過ちを犯すことのないように。」(詩編 119:11) 心に納めてある物はけして取り上げられることはありません。聖書の言葉を暗記していれば聖書を持っていなくても神様の言葉を思い出すことができます。
最後に、詩編は神様をたたえ、喜ばせたいときに活用します。声を出して読んでみてください。自分の耳でしっかりとその言葉を聞いて心の中で信じることが大切です。詩編の103章には「私の魂よ、主をたたえよ」と書いてあります。どうやって主をたたえるのでしょうか?神様のすばらしさを言い表すことで私たちは神様をたたえることができます。 マラキ3章16節を思い出してください。「そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。神の御前には、主を畏れ、その御名を思う者のために記録の書が書き記された。」 神様を崇める詩編を読むときに自分の魂、そして周りにいるすべての物に神様のすばらしさを伝えることが出来ます。神様のことを思い、信じるなら神様も私たちのことを覚えてくださいます。だからどうなの?とお考えの方はいらっしゃいますか?次の17節にその答えがあります。「わたしが備えているその日に/彼らはわたしにとって宝となると/万軍の主は言われる。人が自分に仕える子を憐れむように/わたしは彼らを憐れむ。」 あなたは神様のものとなり、神様の守りのうちにいきられるということです。
最後に、トーマス マートンというトラピストの修道士の言葉で締めくくりたいと思います。 「詩編の言葉で神様を賛美するときに神様のことをもっと良く知ることができる。もっと良く知るともっと神様と親しくなれる。もっと親しくなるにつれて私たちの本当の喜びが神様のうちにあることがわかる。」
祈り: 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。 主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。 主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。(民数記6:24-26)
イエス様は「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネによる福音書17:3) とおっしゃいました。詩編を読み黙想することて、私たちは神様を知り、愛するのです。パウロはローマの信徒への手紙12:2で「 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」と言っています。詩編を読み黙想することによって、あなたの思いはキリストの思いへと変えられてゆき、あなたは日常生活の中で神様の意思を知る者と変えられてゆきます。
1)今日の教えを聞いて、これからどのように詩編を活用しますか?
2)今日紹介された箇所以外で、神様を賛美することがあなたの生活に平和と解放をもたらすことが記されている聖書の中のストーリーを探してみましょう